見出し画像

私と読書術と集中力/2022-3-13

続かない集中力

ふと,集中力の低下を感じる時がある。

時計を見ると,それほど時間は経っていないにもかかわらず,ついつい集中の糸が切れてしまう。

私にとって,集中力を感じる身近な機会は,主に読書だ。

そのため,さまざまな集中力を高める方法や読書術などを検討してみるも,どうにもピンとこない。

しかし,ここ最近は読書に限っては集中して読み進めることができている。

そのため,今回は自分なりの読書の方法を備忘録として整理してみようと思う。

私の読書の前提条件

そもそも,私の読書術に関して明確にしておきたい前提条件がある。

それは,私はかなり本に書き込むタイプであるということだ。

漢字がわからなければ辞書で引いた内容を隣に書き込むし,理解しづらい点は自分の言葉で再構築し,その近くに書き込む。

その他にも,本文には書いていないが関連してそうだと感じたキーワードも書き込む。

そのため,この読書術は,明らかに本に書き込むことを前提としたものであることを前提としている。

読書の道具

まずは,読書をする際によく用いる道具についてだ。

基本的に,用いる道具は三種類であり,以下の通りだ。

1.ペン(3種類)
2.紙(ノートでもA4コピー用紙でも)
3.栞

ペンについて

私は何か物を書く際には,基本的に万年筆を用いることが多い。

そのため,読書の際にも万年筆は存分に活用している。

主に,読書で用いる万年筆は2種類であり,それは太字と細字だ。

インクの色はどちらもブルー寄りのブルーブラック(太字がプラチナBB,細字がパイロットBB)だ。

巷では,3色ボールペンを活用する色を分ける方法を見かけるものの,個人的にはあまり合わなかった。

それは,何色にどのような意味を持たせるのかを咄嗟に判断することが面倒なことと,それぞれの色に持たせる意味を忘れてしまうからだ。

色が違うということは,そのラインの用途や意味の違いが明確になる。

これは,目的別に別れるという点では確かにメリットなのだろう。

しかし,しかしだ。これには大きな問題がある。

それは,2色のどちらとも取れる記述に線を引く際には,悩む余地があるということだ。

そのため,色を選ぶということに悩むことを防ぐために,万年筆の色は青色で統一している。

だが,それではとくに強調したい点が分かりにくい可能性がある。

そのため,同じ青色であっても,細字と太字という字幅の異なる物を使っている。

ちなみに細字はパイロットのキャップレス万年筆,太字はセーラー万年筆のプロフィットライトを使っている。

また,同じ色を使えば,無駄に目がチカチカしないため,再読もしやすい。

以上が,利用している3本のペンのうちの2本,細字と太字の万年筆である。

では,残りの一本は何を使っているのか。

それは,鉛筆だ。

正直,気になった部分に関しては容赦無く線を引くため,正直単色の青色であっても多少鬱陶しく感じることがある。

そのため,軽いメモや内容の整理,読み解く際に強調しておいた方が楽,すなわちその文章における主語や目的語といったキーワードを強調するに際は,鉛筆を利用している。

鉛筆の利点は,強調度がそこまで高くないことだ。

正直,万年筆であってもボールペンであっても,インクを用いているものは否が応でも目立ってしまう。そのため,他の強調させたい箇所と競合してしまうことがある。

しかし,鉛筆は彩度がそこまで高くなく,本文との親和性も高いため,少し読む際に便利な仕組みを作る上では,ちょうどいいのだ。

また,裏写りもしないため,何かと都合がいい。

ちなみに利用しているものは,uniのBもしくはFのものだ。

以上,利用しているペンは,青いインクの万年筆(細字・太字)と鉛筆だ。

紙について

基本的に,本になんでも書き込むが,どうしても理解しにくい場合は内容を整理し,再構築する必要がある。

そんな時は,紙に書き出してみるのが最も手っ取り早い。

書き出すのにも本の余白の場合は,図形的に配置するのにはかなり狭い。

そのため,読書には内容を整理するための紙が必要になる。

これは,コピー用紙でもノートでもなんでもいい。

強いていうとすれば,見開きA5もしくはA5サイズの紙では少し小さい。

そのため,B5以上のものが望ましい。

栞について

最後は,栞だ。

私は,基本的に栞を3枚は使用している。

1枚はその日読み始めた地点に挟む栞であり,もう1枚はその時点で読んでいる地点を表す栞であり,最後の一枚は,今読んでいる章の最後に挟む栞だ。

まず,2枚目の栞が通常の栞として用いられる用途の栞となる。

その時点でどこまで読んだのかを示す栞だ。

では,1枚目と3枚目はなんだろうか。

まず,1枚目はその時点で読んだページ数を実感させるための栞だ。

すなわち,達成感のための栞である。

次に,3枚目は後どれくらいで区切りになるのかを示す栞だ。

すなわち,目標のための栞である。

この二つは,読書をする上でのモチベーションを保つために利用している。

例えば,1枚目の栞があることで,現時点でどれほどまで読み進めることができたのかをより強く実感することができる。

また,3枚目の栞があることで,最低でも後どれくらいを目標とすればいいのかという目処を立てることができる。

これら二つの栞があることで,自動的に目標設定がなされるとともに,ふとした時にフィードバックが生じるため,何かと捗りやすい。

強いていうなれば,これがストーリーがあるもの,特にミステリ関係のものであると,残りページ数からなんとなくの結末(どんでん返しの有無など)を感じさせることもあるため,場合によっては適宜注意して使われたい。

道具は,以上の3点だ。

もちろん,読書のための道具であることには変わりがないため,本は忘れずに準備されたい。

時計は邪魔なもの

ここまでで,主な道具の紹介は済んだため,これより先は実践編になる。

まず,私が最近読書をする上で感じたことは,時計は予想以上に邪魔ということだ。

私にとっての集中力が続かない原因は,頻繁に時計を見ることによって集中が断たれてしまう事だった。

それもそのはずで,頻繁に時計を見てしまっていては,その度に読む手を止めることになってしまう。

ポモドーロという方法がよく紹介されてはいるが,試してみると集中が強制的に断たれることと,経過時間をついつい気にしてしまうことがデメリットのように感じた。

しかし,時間はフィードバックを行い,達成感を得るための重要な指標となる。

そのため時間という評価軸がなければこれを測りにくいだろう。

だからこその,3枚の栞である。

これを使うことで,時間軸での量的な判断ではなく,読んだ分量という軸での判断が可能となる。

読み進め,集中しているところに時計は不要だ。

それが必要であるとすれば,読む途中ではなく,休憩時間にだ。

もちろん,ポモドーロの有効性や,サイクルを回すことにより,長時間集中可能な状態が続くというのも理解はできる。

しかし,私の場合は,集中力が続かないのは,フィードバックを頻繁に行なってしまうためであった。

時間軸に対するフィードバックは,本そのものから目を離してしまう。

しかし,読んだ分量という軸に対するフィードバックの場合には,注目するのは今読んでいるその本そのものだ。

また,せっかく調子が出てきたという時や,ちょうどいいところに差し迫った時にタイマーに邪魔をされるのは,正直不快であったり,タイマーをつけ忘れたりすることもあり,私にはあまり向いていなかった。

そもそも,内容の整理や用語の意味を調べるなどをしている最中にタイマーがなってしまうことが一番面倒だった。

何か関連するキーワードやリンクさせれそうな何かが想起されたときに,タイマーにかき消されたのでは溜まったものじゃない。

そのため,私は休憩時間の目安には時計を見るものの,基本的に読書そのものは時計がない部屋で行うことが多い。

こうしてみると,集中できないのは,集中力が低く持続しにくいからではなく,時計の針に集中力を刻まれ,集中が続く前に断たれるというのが原因なのかもしれない。

渋滞した思考を整理する

注意:これより以下は,読書術という本の読み方というよりも,私にとっての文章の読み解き方に関するものです。

次に,紙の使い方である。

紙を使えば,書いてある内容の整理に加え,自身の知っている知識や別に調べた内容を図形的に配置することができる。

そのため,内容をわかりやすく視覚的にリンクさせることができる。

これは,頭の中で生じている文字の羅列によって生じた交通渋滞を解消するという作業だ。

頭の中にあるイメージは,不定形でアメーバのように常に姿形を変化させている。

そのため,朧げかつ不安定であり,ワーキングメモリの処理能力を超えれば一気に処理落ちしてしまう。

そのため,紙の上に情報を吐き出し,それを視覚的に捉えることが可能な状態にする,アメーバのような思考を定型的な型に入れてしまうのだ。

これは,ある意味で思考のバックアップでもあり,具現化されたワーキングメモリでもあるのかもしれない。

紙の上では,複雑に感じる内容を図形的に配置する,もしくは文章としてコピペし分解するという二つの方法がある。

まず,図形的に配置することを考えてみる。

図形的に整理することによって,その内容の流れを掴むことが可能になる。

これは,視覚的に捉えやすいため,想起されたキーワードやイメージを内容にリンクさせる形で書き足していくことで,既存の情報と新規の情報を関連付け,内容を自分の思考パターンに落とし込むということだ。

まさに,思考の交通整理である。

では,文章としてコピペして分解するとは,どういうことなのか。

わからない内容を何度も調べ,言葉を言い換えたり再構築していった結果,「最初に書いてあった内容」ということかと納得したことはないだろうか。

例えるなら,「A=B,B=Cの時に,A=Cである」という問題があったとする。

これを,数字に置き換えてみるなどし,再構築して捉え直した結果,元の内容のままのことが書いてあった,すなわち「A=B,B=Cの時に,A=Cである」ということは,「A=B,B=Cの時に,A=Cである」ということか!と腑に落ちるような感覚である。

こういった,元の文章のままの意味でしかないが,その意味が文章的に理解しづらく,何かが引っかかって絡まっているような状態の時には,文章そのものを分解して捉え直すことが重要になる。

例えば,主語を明確にする,目的語を明確にする,そもそも何についての説明なのか,その文章中で示されている内容はどこにリンクしているのかを整理する必要がある。

しかし,曖昧にわかったような感じがする時と違って,意味として理解しづらい場合には,図形的な配置が困難な時がある。

その時に,その一文を丸々ノートに書き写し,その文章を分解してみるのである。

文章全体の意味理解を阻害する原因となる,絡まっている結び目を探すようなイメージだ。

文章を書き出し,分解し,時には言葉の定義を明確にしたり,言葉を置き換えるなどして,文章そのものを理解しようとする。

それを,思考だけではなく紙の上で行うことが,文章としてコピペして分解するということである。

そうすると,案外勘違いや単語の意味を理解していなかったことが原因であることに気付くことがある。

まさに,思考における渋滞の原因を探す段階である。

読むことと読み解くこと

以上の内容は,読書そのものというよりも,内容を理解し読み解こうとする方法であるように思われるかもしれない。

しかし,一見複雑そうに感じるこういった作業を,引っ掛かりに気づいた時点で行うことによって,その後の理解が素早くなることがあるのだ。

読書につまづく原因には,理解不足による不明箇所の蓄積というものがあるだろう。

私も,ぼうっとしている最中に読むこと自体がオートマで進み,内容が入ってきていないことがある。

これは,意味を読み解くのではなく,文字の羅列を読んでいる状態だ。

これが文学的な表現に溢れた美しい文章や詩の場合は,心地の良い感覚を得られる価値ある時間となることもあるだろう。

しかし,理解を要する場合には,内容がなかなか頭に入ってきにくいことが多々ある。

そのため,私にとっての読書術は,読むことに加え,理解のために書き出すことも重要な手法となってくるのだ。


この記事が参加している募集

スキしてみて

皆さんの応援に私はいつも支えられています.本当にありがとうございます.