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例えば、僕が歌えなくなったとしても


ライターをしています。

というのが、さいきん自己紹介で定番になっている。
事実だし、単純にわかりやすくて、なんとなくひとの興味を惹く仕事なので、基本的には外さない自己紹介だ。便利なのでよく使っている。
でも、実際のところ、「ライターであること」にはそんなにアイデンティティがない。

noteもTwitterも、「運用どうなってるんですか?」と聞かれることがある。
世間一般の「ライターらしい」ふるまいは、おそらくしていない。なぜなら、わたしはSNSをコミュニケーションツールとしてしか使っていないからだ。

友達が少なかった。引っ越して、転職をして、8年間付き合って結婚した女性とも別れた。とにかく、ひととのかかわりに飢えていた。
初めて、自分から無理せずに「友達を作ろう」と思った気がする。
そうして、2年ほどが経って。Twitterに、ようやく少しづつ友達ができて。
そのひとたちにもっと楽しんでもらえたらな、と書き始めた企画もののブログから、たまたま転がって流れてライターになっただけだ。

noteにしても、もともとはTwitterのフォロワーさんに見てもらうことしか想定していなかった。しょせんブログサービスのひとつ。こんなに多くのかたと知り合えるとは、想像もしていなかったのだ。

仕事の記事では、共感を得られるように。反応をもらいやすいように。自分が書きやすいように。頭がわるいなりに、いろいろ考えて書いてはいるのだけど、noteに関しては「わたしはこういう人間で、こういうことをかんがえているぞ」としか書いていない。
共感されようが、批判されようが、炎上……はちょっとこまるけど、まぁだいたいはどうでもいい。書きたいことだけを、書きたいときに書いている。


好きな曲がある。

SURFACEというグループの「縁」という曲だ。カップリングだし、ちょっと古い曲なんだけど、こういう歌詞なんだ。

こうやって歌を聴いてもらってるのも
何かの縁があったって事なんだろう

いろんな人との繋がりの中でもこれは大事にしたいんだ
言葉以上に分かりあう奴もいるし
思った程言葉が届かない人もいた
全部が全部縁てわけじゃないって事分かるよ
だけどもっと遠くまで届けばいいな

例えば僕が歌えなくなったとしても
切れない縁がどれぐらいあるのかな
「アイツ等との腐れ縁は切っても切れない」なんて
ガラにもなくそうだといいなんて思うよ

わたしはたぶん、そういうご縁を求めているんだろうなぁって思う。

社会人って、会社と家の往復だけだったりして。自分で外に出て行こうとしないと、なかなかあたらしい縁は生まれない。
お店に行っても、常連同士で仲良くなるなんて、けっこうハードルが高いし、好きなバンドのライブに行ったって、急に横のひとに話しかけたりってちょっとできないじゃん。

わたしにとって、そういう関係性を作ることが、ライターよりも優先度の高いことなんだと思う。
そもそも、ライターってたって、ただの仕事。サラリーマンに比べて「すごい」とか「えらい」とか、言っていただけることもあるんだけど、わたしはそうは思わない。
もちろん自分で発信しなきゃいけないこととかもあるんだけど、「働いてお金を稼いでいる」って以上、そこにはそんなに大きな差はないと思っている。
だから、SNSに対するスタンスは、たまーに仕事関連のことをツイートする会社員みたいなもんだ。だから、記事に関係のないことも、音楽のこととか、趣味のこととかもたくさんツイートするし、noteにも書く。


「ライターだから」「なんかすごそうだから」で近づいてくるひとは、正直あんまし好きになれない。自分自身に、そっち側に価値を持っていないから。
例えばわたしが、文章を書けなくなったとしても。
noteを辞めても。Twitter……はたぶん辞めないと思うけど。
ずっと細く長くでも、ゆるく続いていくような関係性が生まれたらいいなぁと思うし、わたしにとってはそれが価値なんだ。

切れない縁を探しているし、求めている。

だからさ。あなたも書けなくなってもいいんだよ。


#エッセイ #日記 #コミュニケーション #人間関係 #note #思考 #価値観 #SNS

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