日記Vol.11 生きるとか死ぬとか

 こんばんは。今日もテンプレになるかと思いましたが、何とか起き上がる程度には回復しました。とはいっても無理はできないのですが。

 今回は抽象的なお題ですが
この間「啓発本は嫌い」というものを読みまして
分かるなあと思うところあり、そこまで毛嫌いするものでもないかなあと思うところありだったので、その辺をゆるりと書いてみたいと思います。

 多分ですが、啓発本が嫌いな人は、「成功した人の成功を語られてもな」っていう気持ちがあると思います。私ならそこが嫌だなと思います。
だって、そこには「普通は」とかの、いわゆる「前提条件」が醸成されているのが最前線で確定されていることが多いのです。その「前提条件」をクリアできない人はこの世には多くいて、クリア出来ないから「普通」になれないのです。そんな啓発本は無意味、と蹴り飛ばしたくなる気持ちは、とても良くわかる。
前提条件が元からある人は、前提条件を持たない人の心が、分からないから。

 では、全くの無意味なのかというと、そうでもありません。
どうやって成功しているのかを書いてあるわけですから、簡単に言えば、這い上がる方法のひとつとして見る分には参考にはなるのです。
心理学とかで言ってもいいんですけど専門用語になるので、ToDoリストとかなら身近でしょうか。あれの作り方だったり、纏め方だったり、置く場所のルール化、やることの明確化など、やり方の一助にはなるのです。
自分も成功するかは別として、今よりもよい生き方をする、という意味では、使えるところはあると思うのですね。


 さて、話を目題に戻しましょう。
色んな啓発本がありますが、心理学の啓発本とか、多いですよね。
精神疾患の方が読んでは、自分はこうはなれないとか、自分と前提条件が違うから成功語りしてるようにしか見えないとか、まあそんな感じになってきます。他はニートからの栄転だったり、フリーターからの成功だったり、精神障害でもここまで出来たみたいなものが多いかな。

 それを嫌だと思うなら、嫌だと思う気持ちを大事にしていいと思うんですね。何故かというと、そうしたいわけじゃないからです。
栄転したいのではなくて、普通になりたいのであったり。
精神障害が完治に近いほどまでになるのではなく、ただ、苦しいと思う、感じる気持ちが和らぐだけでも、良かったりする。
そこまでの栄華が欲しいわけではない、そんな気持ちもあるんじゃないかなと思うのですね。
私も精神障害者の端くれですが、いつも思っています。「嫌だな」と思うものほど、しっかり見つめるようにする。それがどうして嫌なのか分かったら、それに勝る自己覚知はない。

 あとね、心の処方箋というのなら
素敵なクリエイターさんもいるので紹介したいところではありますが
まあ、ご自分で探してみるのもいいかな。
私にとって合うというだけで、あなたにも合うとは、断言しません。
だって悩んでることは違いますからね。

 私がよく「死にたい」と思った時に考えるのが
「相手は百年後には死んでる」とかありきたりなものから
孔子・孟子の言葉だったりとか
ヴァニタスの手記(望月淳)を読んだことがある人は同じことを感じたことがあるのではないでしょうか、「お前がお前でいられなくなった時は、俺が殺してやる」という台詞の輝かしさ。

 心を病むということは、譲れないものを、誰かに傷付けられたということです。少なくとも、私はそう思っています。
譲れるものだったり、捨てれるものなら、そんな一々傷付いたりしません。捨てれば終わるんだから。
譲れないものをずっと攻撃されるから、人は病んでいくのです。
まあ持論の域を出ないので、はあそうですかって言われたらそれまでなのですけれども。

 あとは、墜落JK(sora)とかもそうでしょうか。
もうこれでもかっていうくらい根暗が大勢出てきますし、事あるごとなんか死のうとしますよね。何もなくても死にかけたりしますけどね。
寄り添ったり、尊ばれる言葉なんて通じないと、みんな分かっているから、そんなことは言いませんが
結構斜めの方向に発進するところがあるので、結果オーライっていうのはあります。死にたいと思い詰めるほどの気持ちを、偽善で潰そうとしない。そういうところはあるなあと思っています。

 で、最終的にですけれども
長いこと病んでる人間としては、やはり、死に対抗できるのは恋なんだろうなあと、ぼんやり考えています。趣味とかも「好き」だから分類は同じですね。(同じなんですよ……私もびっくりですよ……)
「好き」だけが、「嫌だな」「怖いな」「自信がないな」「死にたいな」を上書きしてくれるんです。上書きですよ。無くなりはしないですけど。
死にたいと思っている人って、やっぱり、嫌だなって思ってる時間がとても長い。もしくはストレスに晒されている時間が長い。
解決方法を見つけるまで、ずっとそれが頭の中にあって、ずっと考えてるって、つらくないですか。私はつらい。
だから、趣味に逃げたりするのですが
私は趣味を全て殺されたという、人間嫌いマシーンなので
趣味で生きていくことがちょっと難しい。
なら、恋だ。疑似的な恋だ。ということで、乙女ゲーを始める。
沼れば上々です。暫くは沼ったキャラクターのことばかり考えます。
なんなら「このキャラにこんな風にして欲しいなあ……」みたいな、自分がどう救われたいと思っている願望もチラッと出てきます。

 日本がオタク大国でありストレス大国であり自殺者が多すぎ大国でもあるのは、これのバランスによるものが大きいのではないかと思っています。
応援したいアイドル。追っかけたい芸能人。好きなキャラクター。
オタクが持つ心って、結局は「好き」。
「好き」に生かされているなあと、つくづく思うのです。

 まずは、そこから始めてみてもいいんじゃないかな。
別に、いきなり大きなところをゴールにしなくていいんじゃないかな。
だって、とても疲れていて、とても傷付いていて、とてもしんどいのですから。いきなりなんて、難しいじゃないですか。
そう思ったなあ、という記事です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?