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『エターナルズ』感想・アメコミ映画として面白くないことこそが最大の魅力。

先日、MARVEL映画最新作『エターナルズ』が公開した。
原作は、アメコミ界の天才・ジャック=カービーによる同名コミック。
神と人間、自然と超自然を壮大なスケールで描く、MARVEL内でもやや特異なストーリー設定である。

MCUファンなら言わずもがな必見の1本であり、かく言う私も自他ともに認めるアメコミファンであるゆえ、ここで本作の魅力をいくら語ろうと「はいはい、マーベルすごいすごい」と思われて終わりかもしれない。

しかし、どうかファン・オタクという色眼鏡なしにこの記事を、そして映画『エターナルズ』を観ていただきたい・・・

もしも、あなたが日本人、そして地球人だと自覚しているのならば。



『エターナルズ』が口を開いたとき


結論から申し上げよう。
本作が成し遂げたことの1つに...「核は悪だ」と明言したことがある。

いや、なんて?とお思いの方もいるかもしれないが、アメリカ製作・ハリウッド映画・アメコミ作品で、核は、広島の核は悪だったと、はっきり台詞で伝えたのだ。


ネタバレにならない程度で本作の概要を簡単に伝えると...「エターナルズ」という神々が人類誕生のときから地球に存在し、人類の繁栄を促す存在として活躍していたという(ぶっ飛び)設定がベースである。

彼らは"ある目的"のもと、人類の成長を見守り続けてきたわけだが、人類の成長は「戦争・紛争」と常に隣り合わせ。ある時を境に、遂に「エターナルズ」内でも分裂が起こり、人類を見放す者、人類として生きる者など、それぞれの道を歩みはじめた。ただ1つ、人類同士の揉め事には干渉しないというルールを守りながら、彼らは今日まで密かに生きてきたのだ。世界中で散り散りに生活をしていた"彼ら"が再び集結する真の目的とは・・・といった具合なのだが、そうして散り散りになった彼らを巡る回想シーンのひとつとして、あの"広島"が描かれるのである。

「まさかこんなことになるなんて」
「だから人類を見放してはいけなかったんだ」
「これが私たちの最大の過ちだ」

嘘のように広がるキノコ雲と、静かに佇む原爆ドーム、焼け野原のその中で、ブライアン・タイリー・ヘンリー演じるファストスが、泣きながらそう口にするシーンは、悲しいでも悔しいでもない、ただただ立ち尽くして見届けることしかできないだろう。

人類の、そしてエターナルズ自身の最大の過ちだと語るシーンは、MCU作品のみならず、これまでの映画の歴史をも変える瞬間ではないかと、何かをじんわりと心に来るものがあった。

またそうやって、すぐディズニーは悲劇を金に変える・・・と、穿った目で見ずに、オスカー受賞監督・クロエ=ジャオの意思を感じていただきたい。

少なくとも私は、彼女のリスペクトにも似た、優しくも強いその意思を、あの一場面から感じられた。

先述では日本人なら・・・と、あまり好ましくない表現を用いてしまったが、きっと日本人のみならず、地球に住む我々人類であれば、あのシーンで何かを感じ、何かを考えるのではないだろうか。

ただの娯楽作品だが、そこに隠された大きなメッセージ。
アメリカ映画で「核は悪だった」と明言した歴史が作られた瞬間である。

おそらく批判もあると思うが、ハリウッド版ゴジラでもできなかった"それ"をやってのけたあの一幕に、私は心を動かされた。


先日お亡くなりになった坪井直さんにも、ぜひ本作を届けたかったななんて。
やっと核兵器廃絶のスタートラインに立てたのかもしれないと、私は広島の人でもなければ、戦争の悲惨さも知らないさとり世代の若者だが、後世に残された者として、できることならこの凄さを届けたい。



『エターナルズ』は面白くないのか?


さて、少々暗い気持ちにさせてしまったら申し訳ない。
私が伝えたいことは、何も『エターナルズ』日本万歳ということではない。

論理的な話ではなく、非常に感情的で稚拙な感想だが、ひとつアメリカが「核は良くないものだ」と世界に発信してくれたことは良かったよね...ということである。

そしてまた、この映画別に"面白く"はないよね?ということである。。。(おい)



本作は、これまでのMCU作品と比較しても異質、と様々なレビューサイトでもそう評されている。

上述した通り、「核」を真っ向から否定する強いメッセージ性や、各キャラクターの特徴からも、人種や性別、様々な社会問題を提起するような演出が施され、ポリコレや、社会派なんてものに過剰に反応する者たちにすれば、非常に苦痛な作品とも言えるだろう。

特に、闘うヒーロー像を映しておきながら、本作の「戦争」に対する表現は、なかなかに皮肉的で刺激的なものがある。


私は「戦争」というものに対して、どちらが悪でどちらが正義という見方はしていない。どちらも正しくあり、どちらも間違っているからこそ「戦争」であると思う。

これはアメコミ映画でも同じことが言えるだろう。スーパーパワーがあるのかなんなのか知らないが、街中でドンパチ繰り広げることは、正義でも悪でもない、「戦争」である。

そんな戦いを、時には見世物として、時には道徳の教えとして、私たちに様々な価値観や倫理観を教えてくれるのだが…

そうした中で、本作『エターナルズ』はきっと"面白くはない"のだろう。

あらゆる次元を超越し、"神"の視点を通して描かれる本作は、見世物でも道徳の教科書でもない、事象を述べる作品と言える。

各キャラクターの魅力はあれど、観客は誰に感情移入して良いのかも困るだろうし、何を見せられているのかすら分からないかもしれない。

ただひたすらに壮大な世界観と、その終末の美しさに見惚れるだけで、観客が一体アメコミ映画とは・・・いや、映画とは・・・とクエスチョンマークを浮かべていることも容易に想像できる。


だが、私はこれからの世の中で必要なものこそ、この"面白くない"視点なのかもしれないと思うわけである。


よくある言葉で表現するならば、主観と客観とでも言おうか。
人類の視点と、"神"の視点のそれである。

我々はとにかく衝突する生き物である。
家庭や友人間の小さな喧嘩から、国家間の大戦争まで・・・それが言葉であれ、ミサイルであれ、武力と武力の攻撃を止めることを知らない。

そんな我々にとって、ひとつの灯りは"対話"ではないかと、私は最近そう思う。

本作では、「エターナルズ」同士が集結する際に、闘い合わないことがとても興味深かった。

いや、これがまた本作の"面白くない"ポイントの1つなのかもしれないが。笑


彼らは殴り合うことではなく、"対話"を通じて問題解決の道を探るのだ。
それは討論でも議論でもなく、紛れもなく"対話"なのである。

自分が経験してきたことの主観と、神として世界を俯瞰したときの客観を駆使し、神同士の"対話"が織り成されていく描写は、俳優陣のビジュアルだけではない美しさがそこにある。

これまでのアイアンマンや、キャプテンアメリカによる殴り合いでは解決しない、ひとつ上の次元が我々にも求められているのではないかと、そう感じてしまうシーンが豊富であった。

確かに「戦わないアメコミ映画」とすると…なんだか"面白くない"要素ばかりが目立つのだが、逆説的にも、それこそが本作の"面白み"になっていると、ぜひ声を大にして言いたい。



おわりに

とはいえ、MCUシリーズにとって、重要な1本であることは言うまでもない。

これまでの10年間、我々が観てきたアイアンマンやキャプテンアメリカの活躍を、まるでみみっちいヒーローごっこのように扱われることに、苛立ちを隠せない者も多いかもしれないが、我々の視野を何倍にも広げてくれるフェーズ4の幕開けは、わくわくせざるを得ない展開の連続である。

何よりも、MCUが変わるよ...!というメッセージをどーんっと突きつけてきたことは、誰しも感じ取れることだろう。

その発信力たるや、本作の恐ろしくも素晴らしい見どころである。


そして、今日述べた「核の話」も「対話の話」も、本作が史上初めてやり遂げた偉業!というわけではない。

世の中には、それこそありとあらゆる文化があり、価値があり、言葉を発信している人たちがいる。

だが、今や世界中で大人も子供も熱狂している"MCU"という存在が伝えることに、ひとつ意味があるのではないかと思う。



そんな強大なMCU文化を前に、私のこの記事がなんの意味を持つのか分からないが、これもひとつの発信であることは変わりない。

まとまりのない記事になってしまったが、この連休で私の周りでも『エターナルズ』を観に行くという人がちらほらいるようなので、なんとか言いたいことを言語化しようと試みた結果である。

アンジー綺麗だったぁ!とかいう感想も大好きだから、ぜひ劇場で観てきた人たちの感想もいろいろと知りたいところ…笑



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