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広い国で、小さな世界。

ただいま。
3泊4日の上海旅行から帰ってきました。(今さら)

25歳の誕生日はひとりで過ごすことになりそうだな~と思い、フットワークの軽さに拍車がかかったわたしは、飛行機に乗ってお隣さんの国へ。

今回は運よく我らがJALの往復便をゲットできたゆえ、安心安全の日本航空のお世話になったのだが、上海に到着するなりCAさんから「誕生日、楽しんできてください!」と、素敵なバースデーカードをいただいて大感動。
今はどうにも人の優しさに弱いときだから、正真正銘のサプライズに思わず泣きそうになりながらの入国。出発直前、自身の口座の残高を見て少々気持ちが沈んだが…思い切って国を飛び出しちゃって良かったなぁと思った。

さて、今回の旅の目的は、無論「上海ディズニーランド」である。
予定調和とは程遠い、狂いまくりの我が人生だが、世界のディズニーパークを制覇するという謎の計画だけは着実に実行ができていて、東京、カリフォルニア、香港、そして上海という具合に駒を進めている。
ちなみに残るは、フロリダのディズニーワールド、パリのディズニーランド。加えて、アウラニのディズニーリゾートと、カリブ海を巡るディズニークルーズ、そしてディズニーランドのモデルであるデンマークのチボリ公園までを含めて、わたしは「制覇」と思っているゆえ、ここでようやく折り返しといったところ。まだまだ死ぬわけにはいかない。

そんなわけで、今回初めて「上海ディズニーランド」を訪れたのだが、そこで感じたことはまた追々、このnoteやわたしのポッドキャストで話していくこととして(ちなみに無茶苦茶たのしかった)、この記事ではとある"出逢い"について記しておこうと思う。

世界は途方もなく広くて、それでいて驚くほど小さいんだと、そんなお話である。


***


結論から先に言おう。
今回わたしは中国・上海という地で、ロシアの方と、北朝鮮の方と、会話をする機会があった。どちらの国の方も、直接お会いしたのは初めて。会話といっても、ほんのひと言ふた言、あいさつ程度のそれだけど、でももう一度言う。中国で、ロシアと、北朝鮮、だったのである。

今よりずっと先の未来、わたしのこのnoteがネット上に残り続けたその先で、ロシア、北朝鮮、なんて国名を聞いても、誰ひとり訝しげな表情を浮かべないような平和な未来であることを願うばかりだが、こと2024年現在の今は、正直これらの国名を挙げて「緊張感」を持たないほうが難しい。

とはいえ、ここで政治や戦争のことを語りたいわけではない。
いや、確かにその延長線上にある話ではあるのだが、彼らとの偶然の出逢いは、これから先を生きていく上で、少なからずわたしの選択に作用する貴重な出来事であることは間違いないだろうという話なのである。

当たり障りない、至極当然のことなのだが、上海で出逢った彼らは、本当に、本当に、普通だったのである。


なんやねん、その話・・・とお思いだろうか。
自分でもまったく拍子抜けしてしまう話だなと思うし、ただただ自分のアホさ加減を露呈しているだけのような気もするが、あのロシア人も、あの北朝鮮人も、なんか、めちゃくちゃ、普通だったのである。

ロシア人の彼とは、上海ディズニーランドの中で出逢った。
人気のジェットコースターの乗り場で、お互いシングルライダー。隣同士でぎゃあぎゃあ騒いで乗ったあとに、軽くお喋りして、一緒に写真を撮って、連絡先を交換した。

北朝鮮人の彼とは、上海の空港の中で出逢った。
突然「日本人ですか?」と声を掛けられ、その場で少しお喋り。聞けば彼の奥さんが日本人だという。(どういう経緯で日本人の奥さんを迎え入れたの?え?もしかして…?)と思わないこともなかったが、とても幸せそうな顔で、「よい1日を」と互いに言葉を交わし、上海市内に消えていく彼の姿に、テレビの中で見る政治的な影を感じることはなかった。


繰り返しの表現にはなるが、本当に、本当に、普通なのである。
普通ってなに?という哲学的な問いのそれではなく、なんというか、当たり前の日常が、ただ非日常的にそこにあるだけ、その美しさを素直に感じられる出逢いだったのである。

不幸なことに、どうしたってこのご時世、「ロシア」と聞けば、まず間違いなく「戦争」や「政治」という言葉が結びついてしまう。「北朝鮮」も同様に、「ミサイル」や「国家」などというエッジの強い単語が想起されることだろう。
いや、なにやら偉そうな口調で語ってしまっているが、他国から見れば我が日本も大概だ。
そうした世の中に蔓延る負の側面はもちろん事実である。だが、決して正というほどではないが、テレビやニュースやラジオでは見えてこない、"普通"の側面があることも紛れもない事実で、そんなことは分かっているつもりでも、こうして直接肌で感じる以上に、その普通を知ることはできないよなと思う。

***

世界はとにかく広い。
毎日使う仕事場のオフィスだって、1つ下の階には何があるか分からないというのに、海を渡った先の地域のことなど、到底知る由もないのだ。
だがそれと同時に、世界はとにかく狭い。
日本の何十倍という国土を持つ中国国内でさえ、細く小さな1本道で、人とぶつかりそうになる。「あ、すみません」と声を掛け合う。「おひとりですか?」と声を掛けて始まる出逢いがある。「日本人ですか?」と声を掛けられて始まる出逢いが、ある。

冒頭わたしは、世界のディズニーランドを制覇する計画があると言った。そんなディズニーランドの大好きなアトラクションのひとつに「イッツ・ア・スモール・ワールド」というアトラクションがある。「小さな世界」という歌に乗せて、船で世界を旅するというあまりに平和すぎるアトラクションだ。

だが面白いことに、今回訪れた「上海ディズニーランド」には、このアトラクションがない。「イッツ・ア・スモール・ワールド」がないディズニーランドなのだ。
しかしそんな上海が、これまで訪れたどの国の、どのディズニーランドよりも「小さな世界」の面白さを感じる旅となった。

世界は途方もなく広くて、それでいて驚くほど小さいのだと、悲しいニュースばかりが目立つの国の、まったく悲しくない普通のリアルを目の当たりにして、そんなことを考えた。

これを聞いて、かたや戦争を仕掛けている国が何を呑気に海外旅行なんてしているんだ!何の理由で国境をまたいで他国に侵入しているんだ!そんなことを、あなたは思うかもしれない。

現にいま、中国は観光で訪れるだけでもビザの発行が必須だ。
顔写真を撮られ、指紋を取られ、生まれも、育ちも、家族構成も、すべて中国当局に提出しなければ、あの国に足を踏み入れることはできない。その背景には、政治、戦争、テロ、パンデミック、移民、宗教、人種、信用、さまざまな諸問題が絡む、緊迫した現実がある。

ならば、そこまでして海外を訪れる意味はなに?
そう訊ねたくなる人も間違いなくいることだろう。
だが、世界は思っているより普通なのかもしれない。
かなり無責任な言い方をしている自覚はある。だが、その普通を目の当たりにできる機会は大変貴重で、それは何にも代えがたい体験で、普通を知ることの連続で、人は初めて平和を願えるし、善く生きようと思えるし、隣の人を愛そうと思えるのではないかと、そんな気がするのである。
海を渡り旅をするとは、自分の中の"普通の概念"を可能な限り増幅させる、その手立てなのかもしれないな、と。

少なくともわたしは、彼らとの出逢いを通じて、帰国後に見るロシア・北朝鮮のニュースは、これまでに見ていたものとまったく別の感情を抱いて拝見している。

世界中どこだって、笑いあり、涙あり。
みんなそれぞれ助け合う、小さな世界。

25歳の誕生日、四半世紀を生きる節目の旅に、良いプレゼントをもらえたなと、今はただ感謝して。谢谢。Спасибо。고마워요。ありがとう。





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