「オペラ座の怪人」を、シドニー湾で観た
2022年4月23日。
シドニー湾上の特設ステージで演じられた、「オペラ座の怪人」(The Phantom of the Opera)を見てきた。
これは毎年同じような時期に行われている催し物で、これまでは例えば「マダム・バタフライ」、「椿姫」、「カルメン」…といった有名どころのスタンダードなオペラが主演目だったが、最近はミュージカルもやるようになってきて、たしか前回は「ウエスト・サイド・ストーリー」だったっけ。
「オペラ座の怪人」といえば、ミュージカル中の古典も古典、知らない人もいないだろうという大ヒット作だ。
僕はこの催し物はほぼ毎年見に行っているので、今年も行ってきた。
3月後半から4月半ばのシドニーは、南半球の夏が終わる季節。屋外での観劇には暑すぎもせず寒すぎもせず、という絶好のシーズンのはずなのだが、今年のシドニーは雨が多く、屋外ステージなのでどうしようかな…と思っていた。
幸いこの日は雨が午前中であがり、雲が多いなりにクリアーな空となった。
特設会場は、植物園のすぐそばにあり、キキキキ…とコウモリの鳴き声が背後の木々からわき起こる(虫にも刺されて痒かったけど)。
土曜日の晩ともあって会場はほぼ満席。しばらくはバーでオーダーしたワインでも飲みながら、景色を堪能しよう。
その景色だけど…これですよ。ちょっと豪華すぎではないですか?
舞台向かって左後方にはシドニーのビル群の明かりがあり、その視線を右側に移すと…シドニーオペラハウス。
普段はあの建物の中で演じられるオペラを、その建物を見ながら鑑賞できるっていうのは、特別だよなあ…。いや、そんな小賢しいことを考えるよりも、ちょっとこの景色、だれがどんな機材で写真をとっても絵になる。
仮設ステージとはいえ、大きな螺旋階段が左側のオペラ座の客席までつながっていて、かなり大掛かり。
そして、大きなクレーンに吊るされたシャンデリアがゆっくりゆっくりと移動し、ステージの上に配置された。
「オペラ座の怪人」を観たことがある人なら、このシャンデリアが単なる舞台装置ではなく、大きな意味を持っているということを知っていので、それが見えるとテンションが上がる。
普通の劇場だと、舞台前方の下側にオーケストラピットがあって、演奏者を見ることができるのだが、ここではそれが見えない。
どこにあるかというと、舞台の真下にある。スペースに限りがあるし、楽器を雨に濡らすわけにいかないから、これは妥当な策。
そろそろ開演だ。オーケストラのチューニングが終わると、ひそひそと役者が舞台に揃い、前段のオークションのシーンが始まる。
そして、オークショニストがシャンデリアについての能書きを述べ、「いざ!」と言うと、あのあまりにも有名なパイプオルガンのコードが鳴り響き、シャンデリアが点灯された。
分かっちゃいても、そのシャンデリアが怪しい光を放ち、ぐらりとのぼる様は、背筋が凍る。そしてそれに合わせるような煽情的な音楽…。
シャンデリアはビカビカと色を変えて点滅しながらも、ゆらゆらと夜空に昇っていく。
普通の公演だと、もちろんこのシャンデリアは屋内だ。でも、今晩のシャンデリアは屋根のない夜空をふらふらと移動している。そして背後にはオペラハウスとハーバーブリッジ。
これは…言葉を失い、唖然としてシャンデリアを目で追うだけだ。
「すげえ…」
というありきたりな言葉しか頭に浮かばない。
その後は、休憩を挟んで終演まであっという間だった。
ちなみに、第一幕が終わると花火が上がる。これもまた、ゴージャスな背景なので盛り上がることこの上なし。いや、何ともはや贅沢だ。
素晴らしい作品を見聞きした後のふわふわとした余韻に浸りつつ思ったのは、
「オペラ座の怪人」、本当に奥が深いわ…
である。
ずいぶん前に読んだこの本の中で述べられていることが本当に的を得ているので、「オペラ座の怪人」が好きな人はぜひ読んでみて欲しい。
この映画も、良かったなあ…。DVDを買って、何回も見た。
僕のつたない能力であれこれ書くことはないと思うけど、補足として。
このミュージカル、観ていて「すごく楽しい!」というものではない。
もちろん素晴らしい演目を見たという満足感はあるものの、なんていうか…ほろ苦さというか、寂しさというか、そんな感情を抱く。
ハッピーエンディングではないし、お涙ちょうだいの悲劇でもない。
単なるラブストーリーでもないし、三角関係でもない。
なんか、人間関係、恋愛関係の色々な要素がごちゃまぜになっていて、見れば見るほど考えさせられてしまうのである。
今回特に気になったのは、2幕目の最初の方のシーンで歌われる、「マスカレード」というナンバー。
もちろん、仮面舞踏会のことで、音楽もコスチュームも、一番華やかになるシーンである(もちろん、すぐに怪人が登場して雰囲気は暗転してしまうのだが)。
あ、でも仮面…。
「オペラ座の怪人」といえば誰もが最初に思い浮かべるのは、怪人がかぶっているあの白い仮面。そうか、アレとコレはつながっているのか。
怪人は自分の醜い顔を隠すためにやむを得ず仮面をかぶっているのだけど、「普通」の顔を持っている我々だって、実は目に見えない仮面を被って毎日を暮らしているではないか。
良き父親、母親、子供、上司、恋人…そんな仮面を。
いや、本当はよき心を持っているのに、様々な理由で悪役の仮面を被っている人もいるだろう…たとえばこの怪人のように。
本当の素顔って、いつどこで、だれに見せているんだろう、私たちは?
そして、この素晴らしいミュージカルの一番最後に、何もかもが壊れ、終わってしまった怪人が寂しげに歌うのが、この「マスカレード」なのだ。
ああ、今思い出してもなんとも言えない感情が胸から湧き上がってくる。
仮面を被らずにありのままに生きていけるのならば!
そんな事を考えながら家路についた。