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日記2

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#鬱

残機制の生活、

残機制の生活、

 酒を飲んで脳をバグらせているので、脳がバグったよう話を書きたい。つまり、くだを巻く。ベラッベラと途方もないことを繰り返し、自身にしかわからぬ満足感を得る。これが、くだを巻くことの本質であろうなと思う。しかしながら、今はそのようなことはどうでもいい。今問題なのは、僕の人生の中で残機性を取り入れていることにある。
 スーパーマリオをプレイしていると、落下や敵に接触などで命を落とす場面がある。その命を

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何もできない

何もできない

久しぶりに身体が動かなくぐらいの鬱やられて何もできなかった。昨日の午後から布団から一歩も動くことができずに、一睡もできなかった。眠るために酒を飲んでも何も味がしない。そう、鬱に陥ると味覚も鈍り味がわからなくなる。グワァ。
何故こうなったのかの理由がすぐに思いつく。先月からいきなり仕事が増えているし、そも、先の精神的な負担がかなり大きい。それが原因で此処数日元気がなかったし、出せる気力もない

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私、救われたんです

私、救われたんです

「誰々が歌ってる曲に救われて〜」という話をされたので、此処で使われる「救い」について少し考えてみることにした。
そも、救いとはなにか。手元にある辞書で調べてみると、超自然的な存在や力または自己の精進・努力によって生理的な病や苦痛から脱却すること、らしい。実際に書き出してみると、なかなか大業なことだなと思う。それを、特定のアーティストの曲を聴いて「救われました」と口にすると、坊さんに説法、ジ

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詩、イマジナリーフレンド

詩、イマジナリーフレンド

詩を読むのができない。そう、できないのだ。あの短文の繰り返しを目にすると頭の中がグチャグチャになる感覚がある。これは何故ななのか。
しっかり考えてみると、僕は文字というのは常に長く続いているものだと思い込んでいる。例えば、市川駅から逗子駅に行くように。はたまた、てだこ浦西から那覇空港に行くように。文章には、出発点があり最終的に到達する地点があるものだと考えている。その構造があるので小説や論

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