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「泥臭さ」とは何か

成功するために必要だとされることが多い「泥臭さ」

「粘り強さ」と言い換えられることもあると思う。

「泥臭い」「粘り強い」言葉を耳にすると、それがどんな状態なのか、なんとなくのイメージを持つことはできる。でも、実際にどんな行動をすることが「泥臭さ」「粘り強さ」に繋がるのかは、意外と分からない。

今回は、「泥臭さ」という曖昧な言葉を明確にするためにnoteを書くことにした。


手を動かす

「口ではなくて手を動かすこと」は、「泥臭さ」の一つだと思う。「〜〜しようと思ってて、」と口で言ってるばかりだと、泥臭さは微塵も感じない。実際に仕事も前に進まないと思う。

「〜〜しようと思う」というアイデアの話ではなく「〜〜してるんだ」という実践の話がどれだけできるか。これが泥臭さを判断する基準になるはず。


挑戦する

「上手くいかないかもしれない、、」という高めのハードルに挑戦することも「泥臭さ」だと思う。

できない可能性があることに挑戦するのは怖い。失敗した姿を人に見せる可能性があるから。それに、「失敗した」と感じて自信を失うリスクもある。でも、たった一度の失敗で失われる自信なら、きっとそれは本物の自信ではない。

自信は自分の手で作っていくもの。これまでできなかったことができるようになった時、腹の底から湧き上がってくるもの。それが「本物の自信」だと思う。

そう考えると、「できないかもしれない」に挑戦しない限り、一生「本物の自信」は得られない。こうやって書いてるだけでも、随分と考えが整理されてきた。


誰かの役に立つ

応援される「泥臭さ」と応援されない「泥臭さ」もあると思う。仕事で関わる人の中でも、それを感じることは多い。

「自分のため」だけに粘り強く、泥臭く動く人は「しつこい」という印象を与える。必死なのは分かるが「所詮自分のためだけにやってるんでしょ?」と分かった瞬間に「泥臭さ」が「しつこさ」に変わる。

「泥臭さ」という能力は、誰かの役に立って初めてプラスになる。同じ営業でも、自分の成績のために売ろうとしているのか、この製品を使うことがお客様のためになると心の底から感じて、そのために必死になっているのか。

最終的に相手の心を動かすのは後者のはず。


私自信、やろうとしていて取り組めていなかったことがある。このnoteを書いて、それに手をつけようという気持ちが湧いてきた。同じような想いを持ってくれた方がいればこんなに嬉しいことはない。

誰かの役に立つために、泥臭く、このnoteも続けていきたい。


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