写人

写心の神様と友達になって40年のキャメラマン人生。に心で写すから写心は真実になる」が流儀。

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写心の神様と友達になって40年のキャメラマン人生。に心で写すから写心は真実になる」が流儀。

最近の記事

立つ鳥跡を濁さず

43年の歴史にピリオドを打ってきました

    • 「これが福田でしょ」

      各社一面が新幹線で勢揃いするのはわかっていた。 未来永劫、残る紙面の一面。 「どうしたら福田を出せるんだろう」 1年間ずっと考えてきました。どう表現したら、福井の未来を感じさせる一枚になるのだろうか。 外せないのは、午前6時11分敦賀発一番列車「かがやき」。 そして、敦賀駅、旧駅、敦賀市街地を含めた敦賀の風景。 この四つで未来をイメージさせる一枚。こんなことができるのだろうか。 兎に角、現地取材繰り返すしかない。敦賀詣が始まった。 一年かけて見つけた撮影ポイント。 地元の人か

      • みんなの無念を今後の糧に。

        • 時々恋しくなる時。

          「キャンサーギフト」って知ってますか。 すごく嫌いだったんですよ。この言葉。 がんから得られるものなんてないって。 だけど、日が経つにつれていっぱいあるなあって。 数え出したらきりがないんですよ。 今ではとっても大好きな言葉です。

          「キャンサーギフト」って知ってますか。 すごく嫌いだったんですよ。この言葉。 がんから得られるものなんてないって。 だけど、日が経つにつれていっぱいあるなあって。 数え出したらきりがないんですよ。 今ではとっても大好きな言葉です。

          笑い話にして、雨のち晴れ

          笑い話にして、雨のち晴れ

          〝座右の銘〟

          〝座右の銘〟

          SNSって?

          最近の若い職員は社内に居て電話一本で済む個人連絡をメールやLINEで送ってきます。 僕はどんな些細な連絡であってもなるべく出向いて顔を見て話します。無理な場合は電話で相手の声を聞いて話します。 SNSって繋がるツールと言われますが、僕は逆だと思っています。 古い人間だとお思いでしょうが、フェイストゥフェイス大事です。 最近では取材さえ相手の顔を見ずにが多々あります。それによるトラブルも後を絶ちません。相手の微妙な表情を読み取ったり、思いを引き出したりは、メールやラインでは出来

          SNSって?

          戦争が嫌いだった大将

          此の方をご存知でしょうか。 名前は、 山下奉文(やました・ともゆき)。 「マレーの虎」と言えば、知っておられる方がいるのではないでしょうか。 私も名前は知らなかったし、名前の読み方すらわかりませが、ニックネームだけは知っていました。 今、文献を読みあさっています。 世界大国を敵に回して連戦連勝していて第二次世界大戦へと突き進んでいた頃の陸軍大将です。 なぜ興味を持ったのかと言うと、ロシアのウクライナ侵攻が続く今、戦争をしていた頃の日本はどうだったのか、当時の人たちの気持ちは

          戦争が嫌いだった大将

          みんなの思いが詰まった一枚

          写心というものは、カメラマンの強い思いが出るものである。 「ふくい桜マラソンTRIALRUN2022」 走るランナーたちの目にはどんな景色が映るのか。同じ景色を共有したいと早々とエントリーした。 最高の一枚を収めるために10日前から毎日コースに足を運んで、桜の蕾の状況を観察した。コース内にある無数の蕾からランナーと絡む一番成長の早い蕾を探した。暴風雨で荒れる前日にようやく見つけた一つの蕾。 そしてコースを桜色に染めて走り抜けるランナーにその蕾を添えた一枚。 2年後に迫った本番

          みんなの思いが詰まった一枚

          それが写心だ

          写心に極意があるとすれば、「伝える」だろうか。 シャッターを切る前に、何を伝えるために撮るのかを明確に絵コンテを描く。 ではこの写心は何を伝えたかったのか。 91年生きた人生。そして伴侶に旅立たれて23年。春彼岸の日に何を想うのか。何を語りかけているのか。 だから、どうしてもそっと閉じた目が欲しかった。 時節柄のマスク、眼鏡が邪魔をする。 しかし、何を伝えたいかがしっかり絵コンテされていれば、脳が指令を出す。 「ここにポジションしろ」と。 何故なら、この一点しか目が見えないか

          それが写心だ

          「…れば」

          米国人記者がウクライナでロシア兵士の凶弾に倒れた。 避難民の取材に向かう途中、銃撃を受けて死亡した。 一緒にいた写真記者も銃弾を受けたが命に別状ないという。 自身記者生活40年で唯一学んだことがあるとすれば、「絶対に死んだらダメだ」ということ。 記者、特に写真記者は現場に入ると必ず無理をする。 「もう少し」 その〝一歩〟がスクープを取れること、絵になることを知っているからだ。 現場で、 「後1メートル先に脚立を立てれば」 「あの崖を登れば」 ・ ・ ・ いろんな「…れば」を

          「…れば」

          涙にかすんだ眞子さん

          本当なら笑顔満開の会見だったはずだ。 なぜこんなことになってしまったのか。 ますますエスカレートしてしまうだろう。 毅然と話をする眞子さんの姿は、まるでこれからも続くであろう闘いへの決意表明にも見えた、辛い10分間だった。 会見は結婚会見とは程遠いものだった。 すべて私がお願いしました… 眞子さんがなぜ矢面に立たないとならなかったのか。 小室圭さんがなぜ主導できなかったのか。 全てが異例尽くしの会見。 例え私人になったと言えども、宮内庁側はもっと介入できなかったのか。質問

          涙にかすんだ眞子さん

          流儀

          写心とは「想像させる」が極意なり。 昨夕黄昏時の福井の空に、二重の虹が架かった。 一斉にSNSは虹の写真で埋め尽くされた。 虹は珍しいものではない。 だが、昨日のそれは特別感たっぷりの虹だっようだ。 新型コロナが蔓延している時節柄、よりどころを虹に求めたのかもしれない。 発信された思い思いの虹は、安らぎに飢えている人たちの心を掴んだのだろう。 私も仕事中、ふと何気なく窓のブラインドを開けて〝それ〟の存在に気がついた。 同時に、カメラを手に取って屋上への階段を駆け上がっていた

          写心を追い求めて40年

          40年前、地元福井の最前線で未来に残る事実を伝えたい。 そんな意気揚々とした思いで、迷わず報道の世界へ飛び込んだ。 定年するまでの40年間に、幾つかのターニングポイントがあった。 1980年12月〜81年3月。 いきなり、「56豪雪」だ。 一夜にして生活がマヒし、マイカーを掘り出して社に向かうものの、時間だけが過ぎるだけで車は一向に進まない。 助手席に転がったカメラを横目に、 「現場とはこういうものなのか」 途方に暮れて何も出来なかった。 何を撮ればいいのかさえ分からなかっ

          写心を追い求めて40年