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戦争が嫌いだった大将

此の方をご存知でしょうか。
名前は、
山下奉文(やました・ともゆき)。
「マレーの虎」と言えば、知っておられる方がいるのではないでしょうか。
私も名前は知らなかったし、名前の読み方すらわかりませが、ニックネームだけは知っていました。

今、文献を読みあさっています。
世界大国を敵に回して連戦連勝していて第二次世界大戦へと突き進んでいた頃の陸軍大将です。
なぜ興味を持ったのかと言うと、ロシアのウクライナ侵攻が続く今、戦争をしていた頃の日本はどうだったのか、当時の人たちの気持ちはどうだったのか理解したかったからです。

当時イギリス領だったシンガポールをはじめとするマレー半島を制圧。真珠湾攻撃を開始して太平洋戦争に突入した時の軍司令官です。
イギリス軍司令官に「イエスかノーか」と迫る場面は有名です。

それでは山下大将とはどんな人物だったのでしょう。
さまざまな文献を読み漁りった結果、語り継がれる人物像とは裏腹に、戦争は大嫌いで、常に相手のことを思うとても優しい人物だったようです。
2・26事件に関わった(本来は関わっていない)ことなどの影響で、同時代を生きて総理大臣まで上り詰めた東條英機に嫌われて、旅団長として〝地方回り〟させられる人生でした。それでも腐ることなく最終的には大将、最前線のフィリピン防衛のため第14方面軍司令官として指揮を取りました。
エピソードとして、軍旗祭の余興で、若い将校たちがマレーの虎の場面を演じ始めると、「イエスかノーかの芝居を見るのが嫌だ」と席を立ったのです。「3000人以上の犠牲の上に立った戦果なのだ」と心を痛めていたようです。

終戦の翌年、絞首刑台の13段の階段を登って処されました。

辞世の句と伝えられる、
「待てしばし勲よこしてゆきし友あとなしたいて我もゆきなむ」
ただ妻には、
「満ちて欠け晴れと曇りにかわれどもとわに冴え澄む大空の月」
と残したと伝えられています。
二句とも、なんとも彼らしい句だと思います。

日本にはこんな大将がいたんだと伝えなくてはいけないと思いました。
と同時に、ロシア、ウクライナ、全世界にもこんな大将がいてほしいと思います。

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