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企画では変わっている自分を肯定できる



「考えてるだけで楽しいんです。

たとえアイデアが採用されなくても、取り組むお題に対してちゃんと考えてアイデアを発言して、その議論に参加できているということ自体が、楽しくて仕方ない。」


これは無名人インタビューで、「仕事の中でなにが楽しい?」という問いに「圧倒的に企画をしているとき」と答えた私に対する「なぜ?」に続く私の言葉だった。



企画が好きだ。

考えることが好きだ。

何かを考え、それを実行に移していく過程のすべてが好きだ。



幼稚園の時の応援団とか、小学校の頃の学級委員的なもの、運動会の代表挨拶をはじめとして、昔から何らかのリーダーや代表を経験することが多かった。

「"普通の人生"なんておもしろくない」「女優になって色んな人生を擬似体験したい」とか思う程度には変わっている存在だったわけだから、その理由をただの目立ちたがり屋だからだと思っていたけれど、なんで?と考えてみたら、ただついていくだけのその他大勢の1人になりたくなかったのだと気づいた。


別に自分がその集団の中の1番でいる必要はない。

その証拠に、高校生徒会では、"副"会長だった。
副会長は、全校集会の時に会長やその他の委員長と一緒に前に立つことはあっても何かを滅多に語ることはないし、副会長だけが表に出ることすらあまりない。何かやったと思ったらパンフレットとか、誰がやったかを知る人ぞ知るものしかやらない。(極たまに、オープンハイスクールの発表とか、巣立ち会的なやつの送辞とかやったりするけど)


そのときは特に何も思っていなかったけど、今思えば会議とかに出て、考えて発言して、自分がなにかしら関わったものが形になることが楽しかったのだと思う。

とにかく行事を「なにこれ だる。早く終わらんかな?」と思いながら過ごす人間にはなりたくなかった。

準備の段階が楽しいのだから、本番裏方にまわって友人たちと楽しむ時間がなくても全然構わない。むしろ裏方が楽しいし、裏方の仲間達と仕事を回すことが楽しい。いや、そもそも「裏方」とすら思っていない。





小学校の頃の同級生に、アメフトや弓道で日本代表になった子やバレエで世界レベルの活躍をしている人がいる。

そこまでとは言わなくても小学校の頃からずっと野球を続けていたり、テニスを続けてコーチになることを決めている子もいる。

小学校の頃から彼らにとってそれらのものは「〇〇くん・〇〇ちゃんといえばこれ!」と誰もが認める趣味であり、特技であり、そのフィールドでトガってそれだけに生きる姿が眩しくて、羨ましくて、仕方がなかった。


中学で水泳に打ち込むようになって、「それ以外どうでもよくなる」「それをやるためになら他のことも頑張れる」という気持ちはわかるようになった。

一生水泳を続けるために、地方大会出場を目標に掲げた。
大学に入っても体育会水泳”部”として水泳を続けてもいい最低ラインがそこだと思ったから。「努力でいける最高峰」はそこだと思ったから。

でも、スイミングスクールに入った瞬間、足の形とか筋肉のつき方とか、そういったものから才能を見出されて、3歳とかからずっっと水泳ばかりやってきた選手コースの子たちには敵わない。敵うはずがなかった。
どんなに好きでも、努力をしても、地方大会にすら届かない。
才能と努力の差の残酷さも知った。

でも大好きなものでそれだけに満たされる幸せも、スランプの先に努力が報われた時の涙が出るほどの喜びも知った。


大学に入って「ドットといえば水泳」でも「ドット=副会長の子」でもなくなった。

そこからすぐに企画に走れたわけではない。

これまでは、"何を言うか"より"誰が言うか"が重視され、私のアイデアより陽キャの当たり障りのない面白みのないアイデアが採用されてきた。私が発言すると「はやく終わってほしいのに、意見なんて言って話し合い長引かせるなよ」みたいな雰囲気もひしひしと感じていた。学業成績の良さという賢さがあるわけでもなかったから、アイデア場面で自分の意見に自信を持てることはあまりなかった。



だけど大学の授業で何かしらのプレゼンとか、企画とかを求められるようになり、VRの魅力を知って、そこからテクノロジーにクリエイティビティを刺激されて、もっといろんな発想ができるようになった。それに伴って「ドットさんのアイデア、斬新でおもしろいね。」「そんな視点私にはなかった。」と言ってもらえることが増えた。


そして昨年、某メッセージアプリ社の企画書が通った時、「ああ、私は企画が好きなんだ。私の武器はアイデアなんだ。」と自覚した。


企画書やプレゼンに向かって何かを考え始めると、数日、数週間、気がつけばずっとそのことばかり考えている。でも全然疲れなくて、飽きなくて。企画書を書いていると日付を超えて7時間くらいぶっ通しで作業していることもある。

1つアイデアが浮かんだら、それに関連して新たなアイデアが生まれる。最終的にどういうロジックで、どのパーツを選んで形にしよう?と「ただの思い付き」から「企画」にするまでのギャップを埋めるために思考するのが楽しい。


自分が「叩き台」を出すこともあれば、他の人のアイデアを叩いて伸ばすこともある。ここでも自分が必ずしも優れている必要はなくて、自分より優れている人のアイデアに刺激を受けたり、そのアイデアのWhy?を詰めることに注力することもある。その変幻自在さも武器だ。




「変わってる」「ヘンだよ」「真面目だね(=人として面白味がないね)」と言われ続けてきた。


かといってトガれるものもない自分は"普通"になるべきだと思ってきた。

私の真面目さは「ルールを守りすぎてダメ出しばかり」「人の言う通りに動く」といった類のものではなく、「やるときはやる」「一度手をつけたことは投げ出さない」といった物事に対する姿勢だ。

そんな真面目さが変わっていると言われるなら、そのおかげで人と違う発想ができて提案のロジックを詰めることができるのだから、それは褒め言葉だ。そして現代はその個性が武器になる時代だ。





水泳以来、夢中になれた「企画」というフィールドでトガれる人間になる。















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