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愛情を定義した。

「付き合っているパートナーの愛情深さを知りたい。愛情の概念的定義と操作的定義をそれぞれ簡潔に提案しなさい。」(一部改)

数日前、私は心理学研究法のレポート課題で、愛情を定義した。

この問題を見たとき、正直問題として成立していないと思った。(残念ながらこの授業ではそういうことが多いのだ。)

そもそも愛情なんて定義するものじゃないだろう。人によって愛情の与え方、受け取り方は様々で、それを客観的指標で測ることはできない、測るべきではないと思っていたからだ。
(そして、この考えは定義した今でも変わっていない。)

だけど課題を与えられた以上、答えを出さなければいけない。どうにかして納得できる答えで勝負してみたいと思った。

それに愛情に対して自分の考え・軸を持っていることは、自分にとっても、私のパートナーにとっても、プラスになると思ったのだ。

まず、Google先生に聞いてみた。

🔍愛情とは 🔍愛 🔍愛情深さ 🔍愛情 定義

から

🔍愛情表現 🔍愛されている証拠 🔍本当の愛情

など、とにかく愛に関する検索ワードを調べ尽くした。(すごく恥ずかしかった。)

すると、いろいろな答えが返ってきた。

特定の相手を愛する感情。

何かに愛の気持ちを注ぐこと。

という答えになっていない答えもあれば

相手をありのまま受け入れられる気持ち
その人でないとダメだと思える気持ち

といったもの、そして、

愛情表現してくれる
先にLINEしてくれる
LINEの返事が早い
奢ってくれる
プレゼントしてくれる
友達や家族を紹介してくれる

といった、愛されている証拠の条件が出てきたりもした。

しかし、元々知っていて、かつ、改めて学び直したものとして、恋愛心理学的な愛の定義、そして、愛情表現の形は5タイプあるということ。

スタンバーグという心理学者の愛の三角理論によれば、恋愛は親密性、情熱、コミットメントの3要素のバランスによって、カップルごとに8つの愛の形があるらしい。

また、愛情表現のタイプ(愛の言語)として、
①言葉
②一緒に過ごす時間
③尽くし
④贈り物
⑤スキンシップ

があり、それぞれ自分の行なう愛情表現が相手からしてほしい愛情表現でもあるらしい。

それぞれ納得はできるのだが、測るとなるとどれもしっくりこず、もやもやしたので採用するのはやめた。

『やっぱ定義づけるもんじゃねえべ』って感じだ。

彼には悩んだ瞬間、LINEを入れた。

『てーくんにとって愛情とはなんですか!』

30分ほど経って、一言。

無償のやさしさ。』

と返ってきた。



その晩、彼と電話の際に再度真意を聞いてみると、

「別に恋愛関係の愛情やと思ってなかったからそう答えたけど、恋愛関係っていわれてもそうって答えるかなー」

とのこと。

じゃあそれ、恋人とその他の違いどこにあんの?え、優しさって恋人に対してのみのものじゃないよね?

と思い、何か反論したがなんといい、なんといわれたか忘れてしまった。

しかし、覚えていることがある。

「私からどんなときに愛されてるって感じるん?」

と聞いたとき。彼はこう言ったのだ。

「え?別に愛されてるって感じたことない。
それは別にドットが俺に対して愛情不足なんじゃなくて、何かしてくれたことに対して『愛されてるな〜』っていうジャッジをしないってだけ。そんな考え方というか、発想なかった。」

と。

元々愛情表現が得意でない彼の言葉と、インターネット上の数々の愛の証拠を照らし合わせると、そのギャップに少し寂しくなった。

その翌日。とにかく色んな人に、

〇〇にとって、恋愛における愛情ってなんやと思う?

と聞きまくった。

また、彼・彼女がいる人には、

〇〇はどんなとき愛されてるな〜て感じるん?(ニヤニヤ)

とも聞いた。

ある友人は、「えー難しいな。」と濁し、
ある友人は、「思いやること?かな?」といい、
ある友人は、「ギブ&テイクかな」といった。
しかし、答えたのちに全員揃って「んー、わからん」付だった。

そしてその晩。"愛情とは思いやることだ"と答えた友人と久々にLINEで会話をした。
最初は私に不平等取引をされるのではないかという疑惑から、彼氏に愛されていると感じる瞬間について証言するのは躊躇っていた彼女だったが、
『そんな卑怯なことワタシがするわけないでしょ?ワタシもいうから!』
というと話してくれた。

彼女が彼氏から愛されていると感じた瞬間は、誕生日などのときプレゼントに添えられた手紙に、自分が好きなキャラクターが毎度手書きされていて、そのときに愛を感じたらしい。

『はい、じゃあドットどうぞ』

答えは決まっていた。

『昨年の夏、一緒にオムライス屋さんで夜ご飯食べてて急に気分悪くなっちゃったけど、トイレがなくて私が戻しちゃったとき。後処理しようとしてた私座らせて、彼が全部拭いてくれた。お店の人、あとから来た警察の人、うちの親、色んな大人に事情説明して、お会計して、汚れた私の服の代わりの服買ってくれて、電車の中でも寄り掛からせてくれて、私の家の最寄り駅まで送り届けてくれた。』

『ほかにもあったかもしれないけど、忘れちゃってるのかもね。でも、このときにかなうものはないなって思う。』

普段友人にばかり惚気させているお詫びに、1行分の照れ隠しをつけ足して送ると、

『完璧じゃん』

『紳士~~』

『後始末すんのすご』

『愛情感じてますなあ』

と返ってきて、話題は友人の惚気へと遷移した。


そこで、気づいたのだ。

私は愛されていたということに。


好きじゃないと付き合わない、そんなの当たり前だ、と思えたらいいけれど、なかなか思えない。

『だってさ、よく考えてみ。あなたの彼、ドットがいて当たり前って感じで言ってきてないか?』

『無条件に愛してもらえるって思ってる態度だぞ』

『そんなの、手放す気なかったら無理だろ』

以前、幼馴染に彼の愚痴を言ったときに返ってきたこの言葉を思い出した。

提出日。

私は、どんなとき彼から愛されていると感じるか、Notionに書き出していた。

・言葉やスキンシップでの愛情表現があるとき
・向こうからデートの誘いや提案、LINEや電話 
 などのアクションを起こしてくれたとき
・甘え、甘やかしてくれたとき
・体調が悪い時にやさしくしてくれたとき
・将来の話をしてくれるとき
・道案内してくれるとき
・狭いところを歩いている時に繋いでる手を
 後ろにしてくれるとき
・カラオケで私が好きな曲(Love so sweet, 
 One Loveなど)を歌ってくれるとき
・私の方をみる目が優しいとき
・声が優しいとき
・電話できないって言っていて私が拗ねたわけ
 でもないのに電話してくれるとき
・わからないっていったら教えてくれるとき
・自分が分からなくても一緒に考えたり調べて 
 答えを探してくれるとき
・名前を呼んでくれるとき
・笑わせてくれるとき
・ペアリングを一緒に買ったとき
・毎日電話してくれること

書き出してみると、これだけたくさんの愛情をもらっているんだな〜と、とても満たされた気持ちになった。

書き出しているうちになにか見えてこないかな、と思ったけれどなかなかしっくりこない。

一瞬考えるのを放棄した。

そのときだった。


続く





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