ひなたの道を信じていないと、なんだか人生もったいない。
「人生は良いことと悪いことの総量が同じくらいになるようにできている。」
だとしたら私は、これまでの人生で対人運の悪さ(偶然の縁に関するもの)は使い果たしただろう。
仲良くなっても裏切られてきた(その9.5割は同学年女子、0.5割は残念な大人)し、社会の理不尽さ(何を言ったか、より、誰が言ったか、が重視されること。気に入らないから排除する、が許される人もいるのだということ。)をこの歳にしては、人一倍噛み締めて生きてきた方だと思う。
一方で、良かったことといえば、高校に合格できたこと・この大学の心理学部に入学したこと・そして、noteをはじめたこと、だ。
高校に合格して仲の良い女友達や、素晴らしい生徒会仲間、尊敬できる水泳部の先輩に恵まれたから、自分から好きになった彼に愛してもらえたから、私は人として最低限の"私は生きていて良いんだ"という自信を取り戻せた。(大学に入って縁が切れた友人もいるけど、在学中幸せでいられたのは彼女らのおかげであることに変わりはない。)
この大学の心理学部に入学したから、今素晴らしい友人たちに恵まれ、知識を身につけることの楽しさを知れた。
noteをはじめ、noteで素晴らしい方々と出会えたから、私の文章を好きだと言ってくれる方々にフォローしてもらえているから、世界が広がったし、“うまくいかないことがあっても私にはココがある”と思うことができている。
自ら選び取った選択に間違いはない。
これは、私の人生にとって幸運だ。
「あなたの人生は、若い頃は苦労も多いが、20歳を超えてからは年々上向きになる。」
あまりに人間関係うまくいかなくて、色々検索していた中学時代、無料の占いサイト(誕生日とあだ名程度の、バーナム効果頼みのやつ)もよく訪問していて、そのときに見かけた文言だ。
占いの結果は基本忘れてしまうものだけど、この言葉だけは、節目節目のときに思い出される。
私は人生、人間関係による環境でほぼ決まると思っている。家族も、友人も、恋人も、先生も、上司も、先輩も、後輩も、人に恵まれたもの勝ちで、能力なんかより人に愛される人が結局得をするじゃない、と思う(だって無能でも愛されていれば人が勝手に助けてくれたり、教えてくれたりする)。
次の人生では、顔も勉強もスポーツも音楽も文章も平均的で良いから、抜群に人に恵まれた人生を送りたいと願うほど、人生運=人間関係運と言える、と思っている。
それを考慮すると、"ああ、当たってんじゃん" と思うのだ。
未だに残念な人がたまーに潜り込んでいるけれど、20歳前ごろから人にも少しずつ恵まれつつある。(彼や、大学の同期や、noteのみなさん。)
だからきっと、私の人生はこれからで、これまで悪かった分の良いことが起こるはず。これからもっと上を向くはずだ。
もちろん先の方が長いから、これまで以上の絶望も待ち構えていることだろう。悪いこともちょくちょく起こるだろう。
でも、絶望があるから日常が輝くのだと、私は知っている。
今までの絶望を反面教師にして生きていれば、絶望に遭遇しても明るい未来を信じる心があれば、きっと大丈夫。
そう信じている。
珍しく、20分くらいで書き上げちゃいました。
本当はもっと書きたいことがいくつもあったのですが、久々に気分に任せて書いてみます。
・福岡旅行(こっちは私の感情や個人的な思い出がダダ漏れの恋愛エッセイ)
・先週参加したインターンで学んだことなど
・最近見ていたドラマの良い曲について
このあたりのことは近いうちに絶対書くので、
ぜひ。
そしてこの記事のタイトルは、今日読み終えた素晴らしい本の一説をもじったものです(読書記録更新してるので、ぜひ。気になった方は実物を手に取ってみて探してみてください☺️)。
こんな記事に申し訳ないくらい素晴らしいお言葉なので、ほんとうの言葉を引用するのはまた別の機会にしようと思います。
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