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「哲学の先生と人生の話をしよう」で気になったフレーズ②

國分功一郎著「哲学の先生と人生の話をしよう」は読者からの悩みに哲学者の視点から相談に乗っていくオムニバス形式の本だ。

長くなりすぎたので全4回に分けて書きました。今回は第2回

前回の記事はこちらから

前回の記事を読まなくても今回の記事は理解できますが、読んでいただけるとこの本の概要が掴みやすくなると思います。

本の内容から派生して僕自身が考えたことを書いているので、是非読んでくれると嬉しいです。


気になったフレーズ

p.131

そういう「いばっている」人間は何らかの構造の”効果”として生み出されているのです

威張られたり、上に立とうとされるのは、不快だなあと思う。でも、それは社会構造や権力構造によって、そういう人間が生み出されていると見ることも出来る。

つまり、社会の仕組み上「威張らされてる」のだ。「威張っている」人も見方によっては、社会構造に巻き込まれた”被害者”なのかなと思う。

そう思うと、気の毒だなと溜飲も下がる。多少だけど。

「嫌だなあ」と思う人の表面だけを見るのではなく、深く掘り下げて分析していくと、仕組みが見えてくる。

そうして納得すると、苛立たなくなる。多少だけど。

高須幹弥先生も精神科の知識があると、人と上手く付き合いやすいと言っている。

心理学や精神医学の知識があると、ある程度人を定義づけできるので
「ああ、このタイプか」と余裕を持てるようになるはず。

自分自身の心理状態も大体理解できるようになるのでおすすめ。


p.138

運がいい人というのは、したがって、大量の情報を無意識のうちに処理計算しており、日常生活のうちに無数に存在する選択の場面で役立っている

僕は、運が良い人というのは、「気が付ける人」だと思っている。

ちきりん著「マーケット感覚を身につけよう」という本のまえがきに、

”目の前に100万円の札束が落ちていたら、
大人は飛びつくけど、赤ちゃんは見向きもしない”

という趣旨のことが書かれていた(うろ覚え)。

つまり、「価値に気が付ける人でないと、その恩恵は受けられない」と僕は解釈した。

周りにどれだけアンテナを張れるか、が勝負。

運が良い人は「自分は運が良い」と言ってる人に運が集まってくる、というスピリチュアル的な説を聞くことがあるかもしれない。

あれは、

自分は運が良いと信じる
→自分から運を探しに行く
→アンテナを常に張っている
→運が良い出来事に気づける
→運が良い

という流れなんだと思う。ただ、その説明をしてしまうとロマンがない。
だから端折って神秘的な雰囲気を出すことで、”説”に陶酔させているのかなと。

たどり着く結論は同じだから、説を否定するつもりもないけど。

ここまで僕の「運が良い人」の持論を語ってきた。

しかし國分さんは、これとはまた違ったアプローチで「運が良い人」を説明してくれた。

まとめると、無意識の情報処理能力の高さが「運が良い」ことにつながっている。

「無意識の情報処理」

これって直感のことなのかなと思う。
将棋で言うところの”大局観”みたいな。

「無数に存在する指し手の中から、最適な一手を選び取る」を一般化したのが「無意識の情報処理」と言えるんだと思う。

大局観というのは、経験の蓄積によって育まれるみたいなので、

運が良い人になるには、日常生活の選択の場面での思考を地道に積み重ねていくしかないのかなと感じた。

ちなみに、大局観については史上初の”七冠”を達成した羽生善治さんの本に詳しくあるのでぜひ。


いよいよ後半戦、③に続く!


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