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THE☆劣等感

社会人になってから、劣等感が原動力だったような気がします。

「あの人は仕事をたくさん抱えているのにほぼ定時に終わってる。」

「あの人は遠距離通勤しているのに」

「あのひとは家庭もあるのに」

「あのひとは

「あのひとは

「あのひとは

それに続くのは

私はなんでできないんだろう

劣等感のおかげで挑戦したことはたくさんある。

苦手な疾患の受け持ち、疾患や看護の勉強、技術練習、リーダー業務強化、定時内に業務終了、初めての一人暮らし、、、、、

これは財産となっているけれども、自分を苦しめる目標になってしまったようにも感じる。

休みの日にだらだらと寝ていることは罪。

休みの日に紅茶をいれて雑誌を読むことは罪。

自炊しなかったら罪。

勉強に手を付けられなかったら罪。

終業時刻にやること残っていたら罪。

「できない」って言ったら罪。

「無理」って言ったら罪。

体調崩したら罪。


そんな認識だったように感じます。



体調が崩れ、遅刻欠勤をし始めた時、

テキパキできる同期から心配メッセージをよく受け取るようになりました。

だがしかし、脳内バグっているこの状況でわたしが感じたのは

「遅刻や欠勤する私を咎めているんだな」

です。

同期からのそのメッセージ、今も読み返すことがあるんですが、優しさが溢れており、ただただ気にかけてくれている文章なんですよね。

優しさもお咎めにしか捉えられないほど、心は悲鳴を上げていました。

もともと、この同期には私にはないものをたくさん持っており、尊敬しているのですが、劣等感の方が強かった。嫉妬でもあったかもしれない。



成長を目指すには適度な劣等感はいいスパイスだとは思う。

でも、自分の心をボロボロにするまでそのスパイスを効かせる必要はない。


嫉妬を羨望に

劣等感を目標に

「ないもの」ではなくて「あるもの」に

視点を変えていきたいと今は思います。


でもこれに気付かせてくれたのは私に潜む「劣等感」なんだよな、皮肉なことに。


ありがとう、劣等感よ。



みのりもちこ

#日記 #休職 #認知の歪み

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