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好きな人はFTM。

このnoteをはじめるにあたって。


これは、時に“依存”や“執着”などという言葉でしか説明がつかないくらいに重い私と、時にいい歳して純粋に恋なんてものにはしゃいじゃっているイタい私が、それに一切気付く事なくずっと支えてくれる優しくて鈍感なRくんと過ごした、15年間の記憶と日常を綴るnoteです。

回想録と現在進行形の今。



私の片想いの相手はFTM。


トランスジェンダー。
男性であるにも関わらず、女性の身体を与えられて生まれてきた人。

ここでは彼をRくんと呼ぶ。


Rくんは明るく穏やかで笑顔が可愛い。
底抜けに優しくてメンタルが強い。
年下だけれど頼りがいがあり、可愛い顔に似合わずわかりやすい男らしさも併せ持っている。
語彙が豊富で言葉選びが心地いい。
相手を尊重して否定しない。
いつでも自分の気持ちをしっかり伝えようとしてくれる、素敵な人だ。


そして、とても大雑把。
タオルの端と端を揃えて畳まない。(笑)
言葉で言わない事は思っていないのと同じ!と言わんばかりに、察するなどという言葉は彼の辞書にはない。
鈍感の二文字がこれほどピッタリな人を、私は未だかつて見た事がない。
繊細さと図太さが交互にやってくる。
実は結構抜けていて、隠れ天然。
0か100か!白か黒か!みたいな極端人間。



私達は、生まれてくる性別を選べない。
自認も、身体も。

私はただ偶然に自分が認識している性別と一致した身体を与えられただけにすぎないと思っている。
そうならなかった彼の苦しみや辛さは、私には到底理解が及ばないだろう。

けれど、想像する事くらいはできる。
想像力をもって、日々彼を知りたいわかりたいと思っている。


そうは言っても私は、FTMに属する人は身近にいる彼しか知らない。
彼が言うように、FTMと一口に言ってもそれぞれ違う考えや生き方があって、それはつまりFTMであろうとなかろうと結局は個人だということに何も変わりはない。

彼は、FTMとして生きてきた経験から培われたと推測できる人間性もあれば、元々の彼の素質だろうと感じる部分もある。

良くも悪くも(笑)ただの普通の男性であり人間だ。

好きになった人が偶然FTMだった。
ただそれだけ。



そんなRくんとは、もう15年の付き合いになる。
月日が経つのは早い。

Rくんと出会った当時、私は大切な人を亡くし、塞ぎ込んでいた。色々なものが崩壊していた。

そんな状態で出会っているから、吊り橋効果だ、依存していると感じる人もいるかもしれない。
私自身そう思った事もある。


そういう側面は確かにあったかもしれないが、周囲はみんな優しく親切に助けてくれたけれど誰にでもこんな感情を抱いたわけではないし、それが錯覚ではない事はこの15年間が証明してくれていると思っている。

何より15年もの間、Rくんの私への態度や言動が何ひとつ変わらない事が、彼の人間性を更に保証している気がしてならない。

自他共に認める【ヤバイ女】だった私に、彼が同情から優しくしてくれていたのだとすれば、私が回復した後もそうする必要はないわけで。


そして何より回復した私が、魔法が解けたみたいにはならなかった。
今でもずっと魔法にかかり続けているのならば、それでもいい。などと本気で言えてしまうほど、私は彼の事が好きだ。

そもそも恋愛なんて、全て魔法みたいなものなのかもしれないと思う。



ここは、Rくんとの大切な思い出をしまう宝箱であり、私の重さやイタさを葬る墓場でもある。

未来の私がどう思うかはわからないけれど、今忘れたくない事、今書き留めておきたい事を書いていく。


私はRくんが好きだ。

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