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名付けて衣類手記第18話【ありのままでという甘言】


どうも衣類です、今回の絵はゲームのスチルとして描いた冒頭のシーンですがゲーム制作自体が頓挫しておりますですともハイ。

さて17話では正しく持つ後ろめたさについて語りましたが、補足を書きたくて更新が早まりました。
という訳で前回の記事も踏まえながらまいります。
タイトルは"ありのままで"という甘言。


僕は「甘え」という言葉があまり好きではない。
障害を持っていると、死ぬほど無理して頑張っても健常に満たないことばかりである現状をしばしば「甘えるな」と言われがちだからだ。

しかしこんな僕でも、流石にそれは甘えだろうと思うこともあり
「他者を顧みない、知る努力もしない、でも周りは僕を助けろ敬え」
といった態度は他でもない甘えだと思う。

僕たち障害者は(あくまで基本的には)そのままの自分でいて困りごとが発生しているのだから、その結果はどうあれ自他が納得できる落としどころを見つける努力くらいはしないと、苦しみは永続するだろう。
そのままで良いはずが無いんだ、だってそのままの自分に困っているのだから。


しかしながら苦しみ困るのが人生のデフォである僕らは、気を緩めるとすーぐ楽な方へとなびきがちだ。
よく聞くのが

「そのままで良いんだよ」

「ありのままの自分で」

という言葉。
その言葉に唆されては、自分から停滞の中にのめり込み成長も進展も無い永続的な苦しみに身を置くことになると知りながら
僕らはしばしばその見せかけの甘美さになびいてしまう。

言っている側の考えはともあれ、そういった言葉は少なくとも
現状に困っている人間に使っていい言葉ではないし
そう呼びかけて産み出されるのも惰性と停滞でしかない。
案外この言葉を好んで使う人も、優しい言葉が使える自分が好きなだけで
僕等の成長を助けようとか考えていないどころか、何も考えていないこともありうる。
(考えてくれているならこんなこと言えないだろうし)

人生のより良い道筋は先駆者により明かされるが、そうした広義的な答えは救いと必ずしもイコールではない。
「そのままで」「ありのままで」という哲学的思考も、ケースバイケースなのだろうけれど、あくまで哲学とはガイドや道しるべ出会って聖典ではないはずだ。
故にいくらそそのかされたとはいえ、一度なびいたのなら他者の歩みに自身の救いや幸福の判断を擦り付けることはできないのだ。

他者へ自身の課題を擦り付けるような逃げ道は、正しく逃げ道ではなく
これもまた成長を妨げる停滞を生む羽目になる。

社会とかみ合わない障害の特性、それに困っているからこそ、僕たちはこのままではいけない。



悪魔の甘言には十分ご注意を。

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