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インドはこの世の地獄だった

東南アジア数カ国を経てインドに降り立った。
今回私が旅したのはおもに北インド(コルカタ→ニューデリー)というバックパッカー御用達のルートである。
これを書いている今、私はバラナシにいる。

東南アジアで前回書いた記事↓の内容が、面白いことにここインドで
大きなブーメランとなって自分にぶっ刺さってきて興味深かったので
追記として本記事を書こうと思う。


本題に入る前に幾つか断っておきたいのが、

・この記事はあくまで「私がどう感じたか」という1次情報の記録であり、またそれに価値を見出しています。
一部差別的な内容も含んでいるため、それらが不快な方はここで閲覧を止めてください。(インドの方々、気を悪くされたらごめんなさい)


・私は知識(インドに関するあらゆる文化的背景や宗教、価値観について)のインプットをほぼしない状態で旅をしています。それによって起きている弊害も多くあるかと思いますが、自身の直観を知識が阻害するため、
あえて何も知らない状態で歩いています。

・本記事内で言う「インド」とは「インド北部の観光地」であり
「私が見て感じたインド」のことを指します。
「インド全域がこうである」という意図はありません。

では改めて本題に入っていこうと思う。


インドはこの世の地獄である

火葬場の遺灰

コルカタ→ブッダガヤそしてたどり着いたこの街、
バラナシはヒンドゥー教の聖地である。
かの有名なガンジス川が流れ、そこで老若男女が沐浴に勤しむ。
川沿いのホステルのバルコニーから見るその雄大さとは対照的に、
そこを歩くことは非常にストレスのたまる経験だった。

45℃の炎天下では飲んだ水はほぼすべて汗となって出る。
少し歩けば亡者のような人間がワラワラと湧いて出る。
大体の場合において、彼らは最終的に金銭を要求してくる。
そうでなくとも、明らかに敵意を持ったまなざしで見てくる人たちもいた。私がインドを”地獄”と表現したのは何も
「旅人が訪れる場所としてインドが過酷である」
という意味合いだけではない。

45℃の炎天下とガンジス川沿いの火葬場の光景、人々のぎょろりとした2つの眼球、甲高いクラクション、昼夜鳴り止まないインドの民族音楽、ありとあらゆる詐欺、野良犬、野良牛、糞、ネズミ、便器から跳ね返る雫、その他この街の全てが私の気を狂わせてくるのだ。
そして、その有様を客観的に感じた時に、
”地獄”という表現がもっともしっくりくるような気がした。

ホステルの部屋で天井を仰ぎながら民族音楽を強制的に聞かされていると、
「ここは死後の世界なんじゃないか??」という気さえしてくる。

「自分がギリギリ死んでいない霊魂で、その他の人たちは俺を
あの世に引きずり込もうとしてるんじゃないか」
なんて意味不明な考えさえ浮かんでくる。

そんなことを考えながら、ホステルにこもって同じような被害者がいないか「インド  最悪」のような検索ワードで不要な情報を集めたりしていた。


前回の考察がブーメランとなってつき刺さる

ここで、旅の前半の私の気づきをもう1度反芻してみよう。

理解の範疇を超えたもの、どうラベルを貼ってよいか分からないもの。
それを常人は「そのままにしておく」事ができない。
そのラベル抜きにして、観測の対象を処理することが出来ない。というより
「理解しよう」と意志すること自体が、
本当の観照から遠ざかる一番の原因である。

「若い頃より旅が面白くなくなる」ということに関する考察

そうして街を通り過ぎた私の目の前には世界は無く、
ただ単に消費の対象としての人やモノが存在していただけだった。

「若い頃より旅が面白くなくなる」ということに関する考察

→インドに来た今、
「理解できないインド人怖いし、できればレッテル貼って理解したい!」
とめちゃくちゃ感じているし、
”理解できない人間は消費の対象として接するしか選択肢がなかった”。

東南アジアで欧米諸国の人に対して感じていた状況に、
自分がいま陥っていることに気づくと同時に、
単に東南アジアは日本から地理的に近く、文化圏もそれほど違わないことに起因して日本人である私には理解しやすかっただけだ」
とインドに来て気付いた。


そして1カ国目から2カ国目に移ろうという時、あることに気づいた。
「私は旅人ではなく、日本にいるときと何ら変わらない単なる利口な消費者でしかない」
ということに。
損をしないように、効率よく旅を進められるように、
情報を駆使して正解を参照し、セオリー通りの旅をしていた。

「若い頃より旅が面白くなくなる」ということに関する考察

→もはやインドが嫌すぎて「この人たちに1ルピーも支払いたくない!」
消費者であることすら放棄し始めている。

このことから
”消費は必然ではなく意思によるものである”ということに気付かされた。
軽蔑していた”消費者”のさらに下には”拒絶する者”が居たのだ。



意味と目的は実生活で非常に役に立つが、それはつまるところ、
意志することで
「結果を知識や経験によってコントロールしようとする」
ことであり、
そしてそれなりの大人であれば、多くの場合それに成功する。

旅のみではなく物事には「流れ」というものがある。
例えばギャンブルで勝てる流れのときはとことん勝つし、
なにか面白いことが起きる時はとことん起きる。
そして、その「流れ」を思考が妨げる。
「流れ」は直観でしか掴み得ない。

「若い頃より旅が面白くなくなる」ということに関する考察

→インドで”流れ”に身を任せると金と命がいくらあっても足りないので、
”流れ”に任せることと意思でコントロールするバランスなど
全無視で「もう何も起こらなくていい」という状態になり、
私は全身全霊をかけて結果をコントロールしようとした。
(そもそもインド音楽、鳴りやまないクラクション、クソみたいな日本語の客引きのノイズの中では"流れ"など見えるわけがない, ここにあるのは大きな肥溜めの渦巻きだけだ)

世界は自分という鏡に映った像である。
それを前提とするならば、
旅が面白くない=世界が面白くない=自分が面白くない
という式が成り立つ。

「若い頃より旅が面白くなくなる」ということに関する考察

→ここにいると人々のぎょろりとした眼でこちらも引き込まれそうになる。
その濁った黄色い眼球は、彼らが今まで見てきた世界の穢れを
その眼に焼き付けてきたというような様相である。

人間の眼というものは大した力を持っている。

彼らの目を見ているとグッと何か思考の一部がうまく働かなくなって
くるような引力があった。

それは初めて青い眼をした人の瞳を覗き込んだときと同じようで、
しかし大きく違っていた。

彼らは実によく人を見ている。確実にこちらの状況を見定めてアクション
を取ってくるし、何よりそのまなざしは人間のコア部分と直結している
ような生々しさと勢い、凄み、渇望があった。
(彼らとのやり取りは、幻術にかけられないように意識をしっかりともって
行うことが大切である。)

それに対して私の眼は黒い。そういった引力や奥行きは感じられない。
どちらかというと行き止まり、拒絶の色が濃い。

この旅においてはそういった特性が身を守るのにいくらか役に立った。
ここで生きるには殺意をまとって歩き、金で厄災を遠ざけるしかない。
「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったもので、
ここでは金は破魔の御札代わりとなる。

この考察は前回の記事の中では唯一インドでも正しく機能した。
周囲が地獄に見えるとき、たしかに私の中に地獄はあった。


認知がいかに狂いやすいかということについて

旅も終盤に差し掛かるころ、ある事に気が付いた。
「インドに入ってからというものほぼお酒を飲んでいない」ということに。
そこで、わざわざ探してお酒の飲めそうなレストランに行き、最終地であるニューデリー行きの特急までの時間をつぶすことにした。

謎の食べ物とビール。店内は非常に薄暗い

キングフィッシャーやコロナを何本か開けているときにふと、
「なんかもう全部どうでもいいや」という気分になった。
それは単純に酒に酔ったということもあるだろうが、
連日殺気を放ったり人を拒絶して歩いて回ることに、何より自分自身が
一番傷ついているということを示唆しているような気がした。

そして、典型的な日本人的な思考をインドの人々に当てはめて
「どれ、私がジャッジしてやろう」のようなメンタリティであったことも
こちらの人との軋轢を生んでいた原因の一つであることにも気が付いた。

そうして振り返ってみると、こちらからアプローチしたインド人達
はおおむね親切で、彼らに大いに助けられたことを今更ながらに思い出す。
対して向こうからアプローチしてくる×日本語で話してくる人たちは
何かしら裏があるということが多かった。

今回の旅では人を拒絶して歩いていたので、必然的に後者との出会いが中心
となり、それがインド全体への印象を悪くし、また自身を人間不信にさせていた。

こういった気付きがあってから、
地面で寝てみたり、ぼったくってくるリキシャドライバー同士で
競りをさせて見たり、物を売りつけてくる人たちのセールストークを
断ることで英会話の練習をしたりと、
「自分なりのインドでのやり過ごし方」が生まれてきたのと同時に、
自分が少しインドになじんできた感があった。

結論として、インドは
"平均的な日本人的思考の持ち主にとって地獄である"
この国を楽しめるか否かはいかに早く「もうどうでもいいや」
の境地に入れるかにかかっている。
日本人の価値観を押し付けて周るには14億人は多すぎるのだから。




帰国して感じたこと

念願の日本である。
すべては行き届いており、誰も話しかけてこず、
不潔さの下限値もはるかにこちらの許容度の上にあった。

同時に、とても元気がないように見えた。街も静かで整いすぎている。
全力で「こいつから何かを得てやろう」という輩がいない。

単純な個々人のパーソナリティや騒音のレベルの差ではなく、
「日本はこれからどう成長していけばよいのだろう」というような雰囲気を街全体から感じた。

それはそうだ。日本ははるか前に成長しきっていて、
インドのように「クリティカルなものが足りない」状態ではない。
逆に言うと「これをまずやっていればOK」というような最適解がある時代は
はるか前に終わりを告げ、やんわりと与えられた
”自由”という果てしない海を前にその辺で犬かきしているだけの
人々が大量発生している。

「我々は、どこに向かえばいいのだ?」
そんな原始的な問いももはや人々の関心事ではなくなり、
ただただ、なんとなく暗い先行きに気分を害しながら日々生きている。

そんなことを思っていると、あれだけ嫌な思い出しかなかった
インドに何度も通う人がいるということが少しわかるような気がした。
そしてそのことが少し恐ろしくもあった。
こんなに短期間で自分の思考が2転3転することはなかったからだ。

結果的に、
インドに訪れたことは最悪で、しかし最も学びの多い旅の経験となった。
今になって、このタイミングで訪れるべきだったんだろう、と思う。
いろいろと解決していない気づきもあるが、また何か考えが浮かんだら
書いていこうと思う。また次回。

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