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冷えと過食欲求

私の場合、冷えを感じると欲求と行動が磁石の如く結びつく。
そうなったら離れない。
もう過食嘔吐に無抵抗でひきづり込まれる。

そのことがわかったのは、30過ぎ。摂食障害になって10年超えたあたりから。
障害特性ゆえ痩せ希求が強いけど、運動の習慣を絶対絶やさないのは痩せる目的だけじゃない。
主治医は、摂食の症状そのものだというけど・・・
筋肉がつくと体は熱を発しやすく、冬場でもそれなりに保温効果もある。
ヒートテックとか着込んでも体の芯が冷えていたら、いくら着込んでも寒いまま。

初めは、ジムに通うようにした。
一人で運動習慣をつけるのはハードルが高く感じたので、トレーニングメニューも組んでもらって時々ジムのスタッフさんにみてもらいながらだった。
ジムにはその後5年週4くらいで通い続けて、コロナとか入院とか施設とか色々外部環境の変化があったので、運動の仕方や強度は変わっていったけど、ゼロにしたことはない。
そうとはいえ、習慣化するのに色々工夫した。
仕事柄、不規則な生活をしていたこともあり、運動習慣を生活に組み込むのも大変だったけど、ベットの下にヨガマットを引いておいて、朝起きたら否が応でも強制的に1日30分の運動習慣を体に叩き込んだ。
書籍で知った1日10分の体幹トレーニングや、YouTubeで5〜20分の動画を組み合わせて自分なりの運動ルーティンを作ってやっていた。
本格的にマラソンをやっていた頃もあったけれども、レースのために走るとなると緊張のためか私はちょっと強迫的になってしまい、毎日10キロ、休日は20キロ走っていて、最終的にレースの一週間後に疲労骨折。骨が折れた。

後年知ったことは、元マラソンランナーの原裕美子さんの著書で、長年過食嘔吐をしていると骨に栄養が回らず脆くなっているということだった。

それがこちらの本


精神科の閉鎖病棟のベットの上でもカーテン越しにこっそりyogaとか筋トレしてたし、依存症の中間施設でも初めは密かにやってて、でもそれだけじゃ足りなくて、担当職員に半年越しで交渉し続けて30分の一人歩きの時間もらって、とにかく体は動かしてきた。
それは、今でも変わらない。
骨が折れない程度をわきまえて・・・運動している。

でも、運動は一つの魔法。
私の場合は、一つじゃダメなんだ。わかってる。
しかも、毎日やりすぎると体が痛んでしまい、休む日がないとダメなんだと思っても、その休日に過食が入ってくるからほんとウザい。
欲求やそうならないための緊張感から逃れられない、いずれにしてもやりきれない・・・とずっと思ってきた。

そんなことを7年近くやってきて、依存症回復施設へ入所した際に発見したことがあった。それは、土や草の上を裸足で歩くことだった。
今まで強迫的にやっていた運動だったけれども、自分の病気より遥かに極度な外部からの制限や規則で過度なストレス状態に陥っていた時、もう私には今までのような運動をするエネルギーどころか、薬の副作用や適応障害から椅子の上に座っているのさえ困難な状態に陥っていた。そんなある時、子供の頃の記憶に意識が飛んで、気がついたら私は靴を脱ぎ捨てて、裸足で歩き回っていた。
そしたら、どれだけ支援者に悩みを聞いてもらっても、回復のプログラムに取り組んでも癒しきれなかった何かが、受け取れなかった何かが、私の中に入ってきた感覚がした。
人の中にいると確かに、受け取れるものもあるのだけれど、同時に奪われる感覚がその時の私にはあって、それがすごく辛くて仕方がなかった。
「自然は奪わない、私から何も。ただそこにいて、どんな状態でも受け入れてくれる、小さな何かをいつも与えてくれる」と、私はそう感じた。
それでもそんな風に裸足で歩いている人なんて、普通に見る光景ではないのだし、ついに、私は本当に頭が狂ったか!と思ってやや悲観していたのだけれども、
入院中のショート外出でたまたま雑誌を見ていたら、そうして大地の上を裸足で歩いたり触ったりすることが「アーシング」というヒーリング方法の一つだという記事に出会い、心の底から救われたような気がした。今までの鉄の掟のような強迫めいた行動に、やさしい風穴ができたかのように感じた。
冬場は、地面は雪に覆われていることもあって毎日とはいかないけれど、アーシングもずっと続けている。

自分なりの体調の良さをどうキープするかが本当に大切に感じる。
体の調子が悪い時、自分が弱くなっている時、それは心も体もそうだけど
そこから這いあがろうとするときに、麻薬を使うようにして過食嘔吐することで
その不調を感じないようにして、社会に適応しようとしてきた。

過食嘔吐は、私にとってどんな薬よりも即効性があって、熱があっても過食嘔吐を使うと治った。でも、それは麻薬を使うのと同じで、本当は治ってない、錯覚。本当は体も心もボロボロなのに、過食嘔吐すると脳がダメージを受けるから、本当の自分の状態に気付けない。
そして、それを繰り返しているとそのうち自分が何者なのかわからなくなる。何を考えているのか、本当は何がしたいのか。

運動やアーシングは、その状態になる前の予防と、そうなってしまってからもリカバリーがしやすい状態にしてくれる方法。
体の感覚に、敏感になれると、体の声が聞こえるようになると、自分が空腹なのか、どのくらいたべたいのか、この空腹が精神的な疲労からくる欲求なのか、それとも本当に体が欲しているのか、何を欲しているのかがわかりやすくなる。

入院中読んだ本の中に、「なぜ痩せておくことなのか・・・おそらく、快としての身体感覚に、もっと限局していえば快としての筋肉活動の感覚に敏感・・・本能的な快感の3つの源泉「味覚・性感覚・排泄の感覚」のうち摂食は身体の削除活動であるこの排泄の感覚と活動を好んでいる、この排泄という行為は筋肉活動ともっとも結びついているもの・・・もうひとつの大きな特徴として必ずあるのは彼女らは、肛門括約筋的な性格・・・」などとあり、腹落ちした。

それがこちらの本

体から入るアプローチが結構合っている感じがするのも、幸か不幸か身体に関して過度に敏感なゆえなのでしょうか。


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