見出し画像

人材育成に関する勘違い

「「OJTはただの放置」“部下をダメにする人”が見落とす人材育成の罠 「人材を育成する力がない」リーダーはいない」
(東洋経済オンライン/音部大輔)


 昨今特に顕著だが、日本企業における人材育成がバカ化の一途を辿っている。
 つらつらと「バカ化」について書いてみようというのが、本投稿の趣旨である。


その1:会社を学校と勘違いするガキ

 新卒の大学生が就職先を選ぶ際に重視する項目として、「新卒社員に対する教育が充実しているかどうか」というのが上位に来るらしい。
 その様に甘ったれたガキは、一度殴ってやった方が良い。
 というより、先ずは親が殴らなければならない。
 体罰防止法なる悪法で罰せられるかもしれないが、そんな事を言っていられる状況では無い。
 愛する我が子がクソガキのまま社会に出て酷い目に遭うか、何とかギリギリのタイミングで「会社と学校の違い」を理解するか、その最後の分水嶺である。
 体罰防止法如きにビビっている場合では無い。

 会社に勤めるというのは当たり前だが、働いて給料を貰うということである。
 それをいけしゃあしゃあと、「御社は新入社員教育のプログラムを充実させていますか?(`・ω・´)キリッ」などと、一体どのクチでほざいているのか。

 勿論、会社毎にローカルルール的なものは沢山ある訳で、それらを教育する期間はあって然るべきであり、そういった教育を受けるのは業務の一環とされなければならない。
 だが、自分が採用を望んだ会社、或いはその部門が携わる事業の根本に関わる専門知識がどういうものかとか、その程度の予備知識は携えておくのが普通ではないか。
 まして、客や協力業者に相対する際の言葉遣いとか、挨拶や名刺交換の作法だとか、その様な一般常識を教えて貰うなど、正気の沙汰では無い。
 正気では無い会社が頼んでもいないのに教えてこようというなら別だが、教わらないと駄目な状態で出勤初日を迎えるなど、舐めているとしか言い様が無い。


その2:会社を学校と勘違いするバカ

 就職を希望する会社で必要とされる基礎知識。この程度は自分で身に付けておくのが普通である。
 普通なのだが、やはり仕事という実戦の場において磨かれてきた知識に対し、ついこの前まで学生だった者が身に付けてこられる知識が劣るのは致し方無い。
 考えの浅いバカがしたり顔で、「仕事は盗むものだ!(`ω´ )ドヤァ」などと言っていたりするが、より実戦的な知識というのは、盗ませるよりも教えた方が確実である。
 という訳で、特に新卒の新入社員に対する教育というのは、基礎知識を補填するという意味で行われていても良い。

 良いのだが、果たしてそういった「許容範囲」に留まっている会社はどのくらいあるだろうか。
 例えば私が籍を置く会社では、就業時間中に課題をやらせている。それも2〜3日とかでは無い。数ヶ月である。
 長期間、生産性とは無縁で成功や失敗といった概念ゼロの「研修課題」を、給料を支払いながら受けて頂くのである。
 どう考えても正気では無い。

 この様な研修制度を考えるのが、20年30年のキャリアを持つベテランだったりする訳で、開いた口が塞がらないどころか、顎関節症にでもなってしまいそうである。
 まだ百歩譲って本当に学校化させるなら良い。必要最低限に満たない専門知識しか持たない状態で入社してきた者のうち、希望者はその期間だけ逆に会社へカネを支払うか、向こう何年か給料から天引きするという形で研修を受けられる。
 その様な制度なら筋は通ると思うが・・・。

 ウチの会社では、その「数ヶ月間給料を満額貰いながら課題しかやらない研修」を終えた後、成果発表なるモノが執り行われる。
 研修を受けた当人達が自分でテーマを決めて、簡単なプレゼンテーションを行うのである。
 矢張りこういった場合の例に漏れず、お決まりの言い回しみたいなモノが出来上がる訳だが、それがまた狂っている。

 〜 この研修で初めて〇〇に触れる事が出来ました。今後はここで得た知識を活かし、1日も早く戦力になれる様頑張ります。〜

 「初めて触れたんかい!( ゚д゚)Σ」という事である。
 補足しておくと、この研修は入社2年目を対象としている。昨今は時間外労働に煩いから、入社1年目の新卒社員に残業させる様なマネはしていない。
 だとすれば、平日の夜でも土日祝日でも、自己研鑽の為に「触れる」程度の時間はいくらでもあった筈である。
 言う方も言う方だが、聴く方も聴く方である。極めて遺憾ながら、その様なツッコミなど発生する気配も無い。この様な為体だから若者が勘違いするのである。

 これは私が籍を置く会社の事例だが、どこも似たり寄ったりではないか。
 まして、昨今は左翼メディアがこの様な勘違いを誘発させる様なプロパガンダをガンガン打ち出している。深刻な状況である。


その3:労働力を商品だと認識出来ないバカ

 「その2」の最後に記載した様に、左翼メディアのプロパガンダが猛威を奮っているが、その99.9%は以下の事実を否定する為という、ただ1点に集約される。

 〜 労働力は商品である 〜

 これを否定せんとするのは、何も左翼メディアだけでは無い。ありとあらゆる左翼、全体主義者にとって、「労働力が商品の一形態である事の否定」は最重要事項である。即ち、資本主義の否定である。
 「労働力は商品」でネット検索すると、プロパガンダがわんさかヒットする。例えばコレ。

https://www.waseda.jp/fcom/soc/assets/uploads/2015/01/wcom428_06.pdf

 早稲田大学などという地頭の良さげな者が集っていそうな感じの大学であるが、リンクにある様な考え方と言うか屁理屈を持ち出してくるあたり、碌なものでは無さそうである。

 労働力は商品である。これは考え方の一つだとか、その様に軽薄なモノでは無く、厳然たる事実である。事実である以上、どの様な屁理屈を捏ねても無駄であり、捏ねれば捏ねるほど大きな弊害が生まれる。
 上記のリンクでこの様な一文がある。

「労働」があたかも「商品」 であるかのように,商取引の対象となり,使い捨てられ,買い叩かれ,摩滅させられている現実があるからである。

出典:バカ左翼の典型的な論点ずらし

 「労働力=商品」という事実を否定するに当たり、使い古された表現である。
 第一に、労働力は寧ろ基本的人権の尊重という観点から、正しい商取引の対象とされなければならない。
 第二に、買い叩かれたり摩滅させられたりしているのは、商取引に不純物を混ぜ込むからである。不純物とは、かの有名な悪名高き労働三法である。

 労働力が商品として正しく認識されるならば、その商品をなるたけ高く売る為に、労働者は自身の労働力という商品の価値を高めようとする筈である。
 或いは、「政府が定める最低賃金幾ら」に代表される余計な介入が無ければ、中卒の年少者といった様な、低付加価値労働しか出来ないが故に低賃金に甘んじるしかない者が、親元から近所に働きに出て経験を積むという事も可能になる。

 労働力が正しく商品と認識されておれば、その価格は市場経済の原理に従い、あるべき値に収斂する。
 そこから不当に買い叩こうとした者は人手不足の憂き目に遭い、不当に高値で売ろうとした者は無職の憂き目に遭う。ただそれだけの事である。
 不純物が混じれば混じる程、人は自身の商品価値を高める必要性を忘れる。その結果が、「御社は新入社員教育のプログラムを充実させていますか?(`・ω・´)キリッ」などとほざくガキの増殖である。


 労働力が純然たる商取引の対象となっておれば、労働力を誰に提供するか、労働力を提供するに当たってどの様な条件を求めるか、これらは労働者の自由である。
 もし、雇用側が被雇用者を騙し、不当な条件を飲ませようとした場合、少数は騙せたとしても多数は無理である。やがては他の雇用者が出す常識的な条件とはどの様なものかが騙されている側にも伝わり、騙していた雇用者も待遇改善に動かざるを得なくなる。

 そもそも、「買い叩く」事は可能なのか。
 純然たる市場経済の原理にあって、不当に安価な価格で購入する事は可能なのか?という事である。
 もし、とあるゼネコンが給与を手当込みで月10万円という条件に変更したら、その際に従業員はどうするか。皆さっさと辞めるだろう。
 そのゼネコンは即座に経営が立ち行かなくなり、条件の修正を余儀無くされる筈である。

 では、もっと現実的に、同業他社の平均からして絶妙にそれを下回る様な金額だとしたらどうか。
 優秀な従業員は辞めて同業他社に移り、それをする実力の無い者は残るだろう。当該ゼネコンは確実に収益を悪化させる筈である。
 但し、人件費の削減は成功している。後は、その状況を経営者が良しと判断するかどうかである。
 もし、許容出来ないレベルで収益が悪化したならば、金額を下げ過ぎたという事である。従業員のケツを引っ叩いたりすれば、ギリギリの判断で残ってくれていた者まで辞めて、益々追い込まれる。いずれは条件の修正に取り組むしか無くなる。
 だが、もしも利益率が改善したとするとどうか。
 実力の乏しい従業員だけではゼネコンとして高付加価値な案件は受注出来なくとも、例えば大手スーパーゼネコンが手を出さない範囲の仕事をそれなりの質で、その分安価にこなして欲しいという需要もある訳で、その様な例に上手く嵌れば、それはそれで一つの正解である。

 だが実際のところ、上述した様な状況が当たり前の事として発生するだろうか。
 特に、「辞める」という部分である。
 大前提として、従業員は自由に辞める事が可能である。不満なら辞める。これを阻む事は何人たりとも不可能である。
 だが、実際に「辞める」決断をする者は少数である。まだ右も左も理解していないガキが自分の実力を勘違いして辞めるという事例は別として、相応の実力を持つ者が正しく自身の評価に値する条件を求めて辞める。この様な事例が少ないのは事実である。

 何故「辞められない」のか。
 それは、同業他社に転職したら、ほぼ確実に給料は下がり、出世の可能性も閉ざされるからである。(個人名が知れ渡るに至った、伝説級のエンジニアやスーパー営業マンとかは別として。)
 何故その様な事になるのか。
 日本という国は、一度雇うと解雇するのは簡単では無く、故に軽々しく雇う事など出来ない。例え、競合他社での働き振りに関して良い評判が聞こえていたとしても、その情報の真偽を確かめるのは容易では無い。「よく来てくれました」とばかりに高待遇で雇い入れ、もしも噂がほぼ嘘だったとしたら、エライ損害である。

 よく、バカが「自由に解雇出来る様になったら悪徳経営者を喜ばせるだけ」と言うが、自由に解雇出来る様になるのは何も、「悪徳」経営者だけでは無い。ある程度以上まともな経営者、これから起業を志す者、全てが自由に解雇出来る様になるという事である。
 自由に解雇出来るという事は、噂話レベルの情報でも好待遇で迎えられるという事に他ならない。噂が真っ赤な嘘なら、さっさと解雇出来るのだから。
 勿論、噂に違わぬ実力ならば、ありがたくそのまま実力を奮って貰えば良い。

 努力しない正社員(=クズ)にとって、自由に解雇可能な状況は地獄である。だが、その様なクズが蔓延する事で社会全体の経済が悪影響を受ける。
 経済力とは国力である。国力が減退する事で、結局は全ての国民が不利益を被る。実力のある者は日本を出て行き、クズの比率が増える。結果、更に国力が減退する。

 冒頭の引用した記事で、次の様な一文がある。

 それぞれの個人が「5年目にどうなりたい」か、「10年目にどうありたい」か、その先に「いずれどのような立場でどういった仕事をしたい」か、といった議論が面談などで交わされることがあります。
 「キャリアビジョン」などと呼ばれますが、これを上司や会社と共有しておくことは、次回の配属先を決める際だけでなく日々の仕事の仕方などにも影響します。

出典:引用した記事より

 「どうありたいか」などと言うが、それよりももっと大前提として、オマエは誰のおかげで給料を得られるんだ?という事である。
 間違っても所属している会社だ!などと言ってはいけない。オマエが給料を受け取れるのは、客がいて彼等が求めた商品の対価としてカネを払ってくれるからである。
 「キャリアビジョン」などというものは、先ず第一に客を利するものでなければならない。「どうありたいか」は二の次。労働の対価を貰おうという以上、主は働く側では無いという事である。

 引用した記事の様な、右も左も分からん小僧の勘違いを誘発させるような情報が氾濫する日本において、何よりも重要なのは先ず、働いて糧を得るという事の意味を正しく理解する事である。
 詰まりは「労働力=商品」という事実に対する理解である。
 その様な理解が広く浸透しておれば、会社が態々手の込んだ教育プログラムを作る必要など無い。
 OJTという名の放置は駄目だが、ズブの素人でも困る。新人は素人に毛が生えた程度の知識を身に付ける努力をし、先輩は生産性の低下を極力抑えつつプロとしての知識を教える。これこそが正しい在り方ではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?