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統合失調症からのコミュニケーションのリハビリを考える

私は高校時代に統合失調症になってしまい、友達を作ることが上手くできなくなった。誰かと話そうとしても、上手く喋れない。だから、大学時代、バイトもできなかった。単に仕事を覚えられないのではなく、人と話すのが怖かったのだ。無理に会話しようとしても自分が言いたいことがわからなくなり、言葉が支離滅裂になって相手に伝わらなくなってしまう。だったら誰とも話さないほうが楽でいい。大学時代はそんなふうで、本が友達だった。
コミュニケーションのリハビリを始めたのは、大学三年の終わり頃、精神科デイケアでのお喋りだった。しかし、会話というのはそう簡単に出来るものではなく、あいだに話題がなくてはならない。それを見つけるのは本当に難しい。初対面の人などとは大人はまず天気の話などするが、その話題で三十分、一時間続けられたら超人だと思う。共通の趣味を見つけるといいのだが、私はデイケアでは音楽やマンガ、アニメ、映画、それから文学、哲学などの話をした。ソーシャルワーカーが哲学や文学などに詳しい人だったので、おおいに助かった。しかし、人はそう簡単に共通の話題だけで話が持つわけではない。私などは一方通行のお喋りになってしまった。自分の話を聞いて欲しい、自分を知って欲しい、それだけではコミュニケーションとしては不完全だ。相手を知りたいというのも大事だ。そして、それ以上に一緒に何かをするときの会話のほうが、世間話や趣味の話より重要だしコミュニケーションとしては重要だ。私はそれを肉体労働の仕事で知った。
肉体労働で誰かと力を合わせて仕事をするとき、意思疎通が大事になって来る。そのとき、自分の趣味や過去など関係ない。目の前の仕事を成し遂げるために、意思疎通が必要になって来る。そのとき使う言葉こそ、本来の言葉が放つ力だと私は考える。
例えばこんな言葉だ。
「ちょっと、そっち持ってください。そう、そっち、うん。あ、もうちょい外側、そう、そこ、じゃあ、せーの、で行きますよ、せーの、よいしょ!」
こういうふうに言葉と体を使って、しかも目の前に物があって、動きと共に誰かと協力するというのは非常にいいコミュニケーションのリハビリになる。
宴会でお喋りができなくとも、このような物と共同作業を通した意思疎通こそがまずは大事になると思う。宴会は後回しでいい。
 
今回の話は以上だが、以下は蛇足。
海外に行くサッカー選手は外国語習得能力が高いように私には思われる。私が思うに、彼らにはサッカーという共通言語があるからだ。
「ヘイ、ヘイ、パス、パス、スルー、ヘイ、マイボー、マイボー」
などと英語のごく一部の単語で仲間と心が繋がってしまう。これが語学留学だと、語学を習得すること自体が目的になってしまい、かえって習得しにくいのではないだろうか?私なら、語学留学するとしたら、ホームステイ先で何を話そうかと緊張してしまい、話す自信がない。まず、自己紹介自体が緊張してしまう。サッカー選手なら、「さあ、ドイツでプレーする。自己紹介はどうしよう?」などという緊張はないと思う。言葉が通じないのは最初だけだ。サッカーという共通言語を彼らは持っているのでそこから言葉を覚えて行けば、語学は習得できるし、それ以前に同じサッカーをしているというだけで、心は通じ合えるのだ。
とサッカーの話になったが、仕事というのはみんな同じだろう。とくに身体を使う労働は。
 
さらに蛇足だが、宴会を楽しめない人はダメなのだろうか?少数派だろうか?私は宴会は苦手だが、あの雰囲気は嫌いではない。しかし、宴会の中心になれないタイプは少なからずいる。脱宴会中心主義みたいなのも今後の多様性を考えていく上で必要だと思う。
 
蛇足を含めての結論。
コミュニケーションの基本は共同作業にある。

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