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【戯曲】狂飆 QuickSilver

黄色い薄明かりの照らす舞台に沈香の匂いが満ちている
除夜の鐘が鳴り始める
重なってゴングが鳴り続け、ポテトが揚った音、薄く木魚とお鈴が鳴る
学校のチャイム、勝馬投票券締め切りのメロディなどが一斉に鳴る
数秒後、歯車が回る音がして照明が落ちると音が止む
暗闇になった舞台の中央に赤い光が落ちると舞台には白檀の香りが満ち始る
やがて制服姿の少女が出てくる
少女、すんと鼻を鳴らして笑う


少女  沈香がいま白檀に変わった。ほら。あぁ、もう夕方だ。(耳をそばだてて)老婆の絶叫がドップラー効果で変調しながら通りを流れていく。聞こえた?あれは、お母さん、だろうか。それとも私自身だろうか。

少女、足元にある地球儀を持ち上げて勢い良く回す
強い風が吹いた様に少女は軽くよろけてから片手で顔を覆う
地球儀を止めると風が止み、少女は手櫛で髪を整える
地球儀を床に置く
少女、手の平を上にして顔を上に向ける
数滴の雨を感じた後にリュックサックから折り畳み傘を出して広げる
舞台の上を跳ねまわりながら「雨に歌えば」を鼻歌で奏でる
雨粒が垂れる部分を発見したのか、傘で入って遊ぶ
やがて傘をどけてしゃがみ込む


少女  軒先から垂れる雨粒が地面に穴を掘る。冬になれば氷柱になるだろう。氷柱は落ちて私の頭に穴を掘るだろうか。頭に穴の開いた私は地面にキスをする。そうなった私からきっと血が広がっていく。血は滲んで境界線が曖昧になる。私と地面の境界線。私と世界の境界線。(風を感じて立ち上がる)いま吹いた風の名前を私は知らない。あなたは知っているの?……知らないよね。風が吹いて、砂丘の形が変わる。海も山も、同じ表情を見せる事は無い。波や砂一粒、葉の一枚すら同じ場所に居続ける事はない。私も同じ私で居続ける事は…….。

少女、しゃがみこんで足元の砂を掬う

少女  一握の希望とか未来とか悦び悲しみあったはずの(歯車が回る音にかき消されて聞こえない)が、手から、零れ落ちる。指の、隙間から。落ちる。落ちた砂はもう私の手に戻る事は無いし、再び握る事もできない。

少女の手から砂が全て落ちる
少女、ゆっくりと立ち上が砂を払う

少女  私はもう二度と処女には戻れないしお母さんはもう二度と私を妊娠したりしない。お父さんはもう二度と私を優しく見たりしない。私はそれでも自由から逃げながらローファーを履く。それはいつかパンプスになりヒールになりペタンコの靴になり運動靴になり、最後には杖とわらじになる。そうして私の肉体は宇宙空間と言う絶対零度の中を漂い続ける。歳月が私の美しさを連れて行く。私は私以外が私じゃない世界で私を拘束するものを身に纏って私は私の美しさが連れて行かれるのを引き留める。私は私。だから私は

少女、傘を放り投げると走って舞台から一度消える
有刺鉄線バットを持って戻ってくる
そして有刺鉄線バットを振り回す(晴れろ、あっちに行けと呟く)

少女  季節が(バットを振る)雨風を(バットを振る)連れて行く(バットを振る)。芽が出て(バットを振る)蔦が伸び(バットを振る)葉が生い茂り(バットを振る)、それでも

少女、有刺鉄線バットをフルスイングのまま放り投げる
ホームランを見送るように手を目の上に当てる
ひとつ大きな息をつく
バットを落とすと両手で自身を抱くように悶える

少女  やがて暇と言う名の猛毒が全身を蝕んでいくように私は朽ちていく。私の肉体も脳も精神も。まるで植物に飲まれた高速道路の外壁、首都高の下では信号や街灯が同じように飲まれている。マンションやアパートも静かに飲まれていく。そうして死んだ指が煙の中で月を差している。私は太陽に憧れてここに来ない人を待つ。私が初めて地面に触れた日、私が初めて海に触れた日、私が初めて風に触れた日、そしてあのひとが初めて私の心鬼部(ここ)に触れた日。何もない。私はもう二度とあなたに処女をあげる事ができない。だからもう二度と私たちは新世界を創生できない。それはもう二度とやってこない朝に似ているかも知れない。もしくはもう二度と陽が落ちる事のない世界。それは天国でもないし地獄でもない。わからないからこその不安。だから私はローファーを、制服を脱げないでいる。私は私。それでも。あなたはあなたでいられる?私はもう……。

少女、下腹部を抑えて蹲る
少ししてゆっくりと立ち上がりながらシャドーボクシングをする
やがてエアボディーブローを喰らってダウンする(ファイトクラブ

少女  ジャブストレートフックボディーブロー喰らい未消化のゲロ吐き出す記憶障害硬い床の上で視野狭窄飛び散った汗に映る自分と目が合う聞こえない何も鳴り続けるゴング終了の合図そして全てがゆっくりと回りやがて元に戻り吐き出したマウスピースの白さに嗤いルーザーが月曜日の朝に無くした柘榴を探してシャワールームの中ひとり泣くと鴉が鳴いてもう遊園地に行く事は無くなったんだと言う事に気づくのだからもう二度とそこには戻れないって何度言っても何度言ってもわからないから私は台所に立って何度だって何度だって青い葱を切るんだわこうやって鍋の味噌汁を混ぜながらゆっくりと過去の憎しみも未来への恨みも溶け切らないからどうしても苦しくて私の微笑みはぎこちなくなっていってあぁあの日に海に入っておけば良かったとずっとずっと後悔したまま目の前を流れていくベルトコンベアの上にあるものがまるで自分に見えてきてしまった時に私は私である事を辞め……

少女、ローファーを脱ぎ地球儀を拾い上げて回す
強い風が吹いて少女はたじろぐが、もう風を手で遮ろうとしない
少女が地球儀を回す度に風が強く吹く
少女 狂飆、侵食、腐敗。影が伸びる。
少女、地球儀を落とす
姿勢をすっと正してから能の動き(手を前に、摺り足)で舞台上を動き回る

少女  遊女が化身した菩薩。洋の東西を問わず男は遊女に神聖さを見る傾向があって、フン、全くどうしようもない。その美しさを独占したいと願い、その内なる美しさを自分だけが知っているのだと願い、女の慈悲や慈愛を授かりたいと思い、だがその愛には一定の距離を置く。プラトニックであろうとする、肉体的な愛を伴おうとしない。それは彼女が女神だから、と言い訳しながら。肉体的な官能に抗えるはずもなく心の奥底でチロチロと燃え盛る欲望を目から迸らせながら自分の情欲は不浄ではないと言い聞かせる様に美しい春情、春情、春情、空っぽで虚ろな春

少女、能の動き(摺り足)で有刺鉄線バットを拾い上げる

少女  私は女神じゃない。私は私。当たり前でしょう。私は私なの。私は食べて私は飲んで、そして私は……私は私の分身や抜け殻を出したりしない。私の事がちゃんと見えている?私の呼吸が聞こえる?私の鼓動が聞こえる?私の皮膚は熱を持っていて、それは私に触れないとわからない。そして私は連れて行かれた美しさの残滓になってしまった私を直視できなくなってしまって残滓になった私を見るあなたの目に耐えられなくなって私は私である事を辞めないうちに

少女、有刺鉄線バットを様々な方に向ける
歯車が回る音

少女  私に話しかけてるの?え、私に話しかけてるの?そうなの?私に話しかけてるの?ねぇ、私に話しかけてるの?ねぇ私に話しかけてるんでしょう?そうなんでしょう?ねぇ聞こえているんでしょう?本を読んで、私に話しかけているんでしょう。狂瓢。そんなものは無いわ。だってあの日に吹いた風の名前を私もあなたも知らないんだもの。地面に穴を開けた雨粒がゆっくりと氷柱になってやがて私の頭を刺すの。私の頭蓋骨に穴が空いて血と脳味噌がゆっくりと出ていく。私と世界の境界線が曖昧になるの。環世界を越えていくんだわ。ゆっくりと。私は私から逃げていく。私は私と言う概念がゆっくりと腐敗していくのを死んだ目で眺めるの。私の指はどこを射すのかしら。私を照らすのは朝陽かしら。それとも夕陽かしら。影が伸びていく。風は私の影を引きちぎったりしない。その時に私とあなたは。

拾って上に放り投げた地球儀を有刺鉄線バットで打つ

少女 人魚が海辺の娼婦なら天女は宇宙のそれ、煙草が燃えていく、短くなる。さようなら。さようなら。さようなら。さようならだけが人生。さようなら。聞こえる?さようなら!もう二度と会う事はないでしょう。さようならは別れの言葉じゃなくてもう一度会うまでの遠い約束?違うわ、さようならはさようなら。もう二度と会う事が無いと言うお別れの言葉。さようなら。さようなら!私はあなたの人魚でもないし私はあなたの天女でもないわ。私は私。ほら、週末の匂いが禅に変わった。


少女、大きく笑う
歯車が回る音
電車の発車ベル、学校のチャイム、甲子園のサイレン、映画館のブザーが鳴る
チャペルの鐘が鳴る、目覚まし時計が鳴る、赤子の泣く声が聞こえる
柱時計が鳴る、心拍音が鳴る
その中で少女は銀スプレーで口元を塗る
少女、それらが鳴る中で笑いながら有刺鉄線バットを振り回し続ける
赤い照明がゆっくりと消えていく
再び沈香の匂いが漂う
少女、笑い続けながらバットを振り回す

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