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Re: 【短編小説】いっしょに

 朝の光はすべて敵。
 おれたちは資本主義の走狗で時間の奴隷だ。ほど遠いスローライフ。チャッカンガルー。しぶしぶ起き上がる。
 濃いめの珈琲を淹れるつもりで沸かしたお湯はまだ温く、あまり美味しくないと思いながらせっかちな自分を恨む。
「チョヤ」
 そう言ったところで「ペルモ」と返ってくることはない。全くスプルーァだ。
 普段は買わない少し高い豆を買ってみたのに、もったいないことをした。
「買うか?コレ」
 ネット通販の買い物カゴに長らく入ったままの温度管理が出来る電子ケトル。
「まさかな」
 自分だけが飲むコーヒーの為に?
 馬鹿げている。シリービリーだ。


 
 冷蔵庫から出したスコーンをひとくち齧るが、もそもそとしていてあまり美味しくない。
 オートミールを混ぜて作ってみたが失敗だ。やはり買った方が美味しい。コスパだ何だと言うが、到達できる幸福度の観点で言えば買うに限る。
 それにしてもこのスコーンにらジャムを塗るべきだ。
「何かあったっけ?」
 冷蔵庫を覗くが中には何もない。
「だよな」
 いまはジャムを常備していない。
 子どもの頃はあんなに好きだったのに、いまとなっては糖分が気になって滅多に食べなくなってしまった。

「気にするほどの糖分でもないのにな」
 スコーンをコーヒーに浸して食む。
「まったく、何をしているんだろうな」
 人生にはだいたい4000週間あって、多く見積もって12000食を食べる事になる計算だ。たったの12000食だ。
「もうきっと半分も残っていない」
 それなのに、こんなコーヒーとスコーンを食べている。マヌケもいいところだ。
 どうせなら好きなものを好きなだけ食べて過ごしたい。
「でも好きなものを好きなだけ食べるとその生活を送れなくなるからな」
 だから塩分や糖分を控えなきゃならない。
 馬鹿げている。全く、シシュなことこの上ない。


「残った7000食のうち好きなものを好きなだけ食べて3500食しか食べられずに死ぬのと、こうやって美味しくないなと思ったりしながら7000食を食べるのとどっちが良い?」
 どっちだろうね。
 もしかしたら1000食しか無いかも知れないし、このコーヒーとスコーンが最期かも知れない。
「どうせならジャムを塗ればよかったね」
 でもジャムを買いにいく途中で死んじゃうかも知れない。そうしたらェーンコァだ。
「でも美味しくないもんね。買いに行こうか」
 どうせならコーヒーも淹れ直そう。
 横着をしてぬるいコーヒーを飲んだりしないで、美味しいコーヒーを飲む。
「あと何回コーヒーが飲めるかは分からないからね」
 温度管理の出来る電気ケトルを買うかは、それこそわからないけれど。

「さぁ準備をしよう」
 晩ごはんは何を食べようか。
 きょうはどこかに食べに行こう。
「お店で選んだご飯を失敗しても、お互いの料理を半分こしたら楽しいさ」
 そうやって3500食しか食べられずに死んでしまっても、その時はそんなに後悔しない。
「その為には一緒にいなきゃね」
 ひとりで食べる3500回の食事は、このスコーンとかぬるい珈琲みたいに、そんなに美味しくない。

 ャングィが光ってキムメゴームがその細いスリットに挟まると、かすかなオゾンの臭いをさせながらパルメゲッタになって消えていくのが見えた。
「ねぇ、もうすぐ春が終わるよ」
 オラクルベリーの季節だ。
 その前に長い雨期があるとしても大丈夫。ダリルがあるし、カルチョックも残っている。
 

 湯気の立たないマグカップの珈琲にスコーンをひたして口に運ぶ。
 ぬるくて苦い珈琲が、少しの酸味と一緒になってもそもそとしたスコーンを固めている。
「やっぱり美味しくないね」
 美味しくないスコーンがおかしくて少し笑った。

 キッチンに立って鍋のフタを開ける。
 鍋いっぱいに入った肉とネギ、しょうが、にんにく。大量のスパイスが香り、湯気と一緒に換気扇の中に流れていく。
「一緒にジャム買いに行きたかったね」
 そう話しかけて、そっとフタを閉じた。
 あと何回、きみと一緒に食事できるだろう。

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