KAWAIIについての愛とにくしみ


可愛いは正義だ。
可愛ければ許される。
それは格好いいことよりも重要だ。
可愛いは正義だ。
可愛くない事は生命に対する不誠実だ。
可愛いと言う事は美しい事にも勝る。


キリンさんよりも像さんよりもハシビロコウよりもフラミンゴよりも猫がいい。可愛いからだ。ネコと和解せよ。ネコに救いを求めよ。
それはつまり可愛さと和解し可愛さに救いを求めることだ。可愛いとは平和のことであり平和とは可愛さがあふれていることだ。


可愛いキャラ
可愛い小物
可愛いフォント
それら創作物は可愛さを求められ、追求されて生み出された兵器だ。護符だ。いや、労働規模で言えば大仏や神殿かも知れない。
可愛さ故に全てを赦し赦される存在だ。

でも可愛い女の子、それは問題だ。

可愛い女の子。
その可愛さにはグラデーションがある。

「ネコに屈服する様な平伏す可愛さ」
「マカロンやプリンの様に条件反射で納得する可愛さ」
「飽きずに眺められる万華鏡の様な可愛さ」

可愛いものを見たリアクションはひとそれぞれだが、おそらく上位になるのはこの様な感情だと思う。

これら上澄みの「可愛い」に対して存在する【負の可愛さ】がある。

「納得できないけど何かが可愛い(キモかわいい)」
「可愛いけど何かムカつく」
などがそれだ。

さらに言うと「可愛いけど何かムカつく」には分類があり『可愛いと思う事そのものにムカつく』『可愛いと思う自分にムカつく』『可愛いけど可愛いと言わせようとしているのがムカつく』などがそれにあたる。
そして私はその「可愛いけど何かムカつく」ゾーンが広い。

基本的に私と言う愚昧で矮小な存在は、一般的に「可愛い」とされる生命とは無縁である。これまでもそうであったしこれからもそうだろう。可愛くなりたかったし、可愛い存在と近くありたかった。

可愛い存在、それはコンプレックスだ。私と同等の素材でありながら設計図に若干の違いがあった結果として大きな違いをー生物的には誤差範囲とは言えー産んだ。その差は、悲しい。
私の春は灰色であり、その青い春の可愛さに対する劣等感、焦燥、鬱屈、反逆心などが芽生えてしまう。


可愛さは苦痛だ。
私の醜さを色濃くするだけだ。私はあなたのアンバランスな可愛さを求め、その可愛さが崩れた瞬間に安堵して愛おしく思うのだ。私が好きなのはあたなの可愛さではない。あなたの可愛くない瞬間にのみ訪れる可愛さだ。
可愛さは苦痛だ。
私がいくら可愛さを憎み否定しようともシナプスは高速で可愛さを叫び続ける。私が可愛いと認めるまで頭蓋を反響するシナプスの叫び声は大きくなる。可愛い、可愛い、可愛いと聞こえる。

助けて欲しい。あなたの可愛さで。


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