和食受難の日本近代史。にもかかわらずの、和食の誇りと品格。

ときにはぼくも和食が恋しくなる。和食はけなげでいじらしい。誇りを持って受難に耐えている。そもそも近代日本人の味覚にはどくとくのねじれがあって。明治~大正~昭和の日本人の食は和食と洋食と中華だった。平成~令和ほどではないにせよ、自国の味覚世界にこれほどまで異国の味覚が深く入り込んでいる国はめずらしい。ことの発端は明治天皇が公式行事の食事にフランス料理を採用なさったこと。いかにも脱亜入欧に舵を切った明治らしいことではある。誇り高い和食の料理人たちは心の中で泣いただろう。なぜ、陛下の公式行事が和食ではないのか? しかも、大正モダニズムとともに洋食(Yoshoku : 西洋料理、ただし日本で翻案され再創造されたもの)が開花し流行になる。これが昭和に受け継がれ、1970年代のファミレスに継承されていった。また、日本人の中華料理好きは大日本帝国が2度もかの国と戦争をしたこととともにある。


こんな日本近代にあっても、日本人が和食を忘れたことなどなかった。ところが和食の受難はさらに続く。大東亜戦争後に味噌、醤油、酢、味醂、酒が劣化し、また塩は専売公社の管轄となって1973年から1997年の専売制の終わりまで食塩という名の糞塩しか買えなかった。この時代に和食は壊滅的なダメージを被った。(余談ながら、食塩にはミネラルが不足しているゆえ、食塩しか使えなかった時代は糖尿病患者を増やしもしたでしょう。)しかも、同時に戦後にあっては、GHQ指導のもと国体(nationality)破壊工作の一環として導入された学校給食によって、就学児童全員が脱脂粉乳~牛乳とコッペパンとマーガリン、そしてクジラ肉登場頻度がやけに多い温食(!)の味を押しつけられた。1970年以降はファミレスも台頭。こうして日本人のコドモの好きな料理はハンバーグ、カレー、鶏のからあげになってゆきます。かんぜんに和食敗戦です。


ほんらい和食は、醤油も味噌も酢も発酵食品だった時代にこそ魅力を最大限に発揮したもの。ところが近年ではすべていったん発酵させた状態で発酵を止めたものを使って調理するゆえ、どうしてもなにかうまみを足したり、なんらかのアクセントを付け加えたりして料理の味を調整せざるを得ない。そこが現代の和食料理人のウデの見せどころとはいえ、ややこしいことになっているなぁ、とおもわずにはいられない。


しかも、和食擁護派最右翼のなかにさえ、日本人なら醤油でしょ、ステーキをわさび醤油かバター醤油で食べる、それがわたしの流儀、と啖呵を切る人までもが現れる。もちろんお好きなようにステーキを召し上がればいいことながら、しかしながら和食と言えば醤油、醤油あってこその和食、そういう理解はあまりに貧しい。そもそも大手醤油会社の格安醤油には、上等の醤油が持っているカボスのようなほのかな酸味を感じる風味も、ない。醤油という言葉は同じでも、そこには等級があって、そこには歴然とした違いがある。しかも、醤油と味の素に和食のアイデンティティを求めてしまえば、おのずと和食はみじめなものに成り下がる。


むしろ多彩なうまみを使いこなす、これこそが和食の心意気でしょ。コンブ、カツオブシ、ひいてはイリコ、アサリ、干しシイタケ、干しエビ、干し貝柱などなどがどれだけ大事か。それに対して、醤油は、各種の味噌、酢、カボス、胡麻、山椒、七味唐辛子、柚子胡椒などとともにあるいわばバイプレイヤーではないか。



けさ、ネット友達の「湘南の宇宙」さんが、山中湖の「日本料理 花 木 鳥」で召し上がった朝食を伝えてくれた。基本的には家庭料理寄りでありながら、ただし、そこには割烹料理の技術が感じられもして。料理の流れを知るだけで、この料理人のウデの良さを感じます。こんな構成です。


おばんざい小皿4品

大根牛しぐれ煮・茄子阿蘭陀煮(揚げびたし)・じゃこ・揚げ・白菜 ・モロヘイヤの出汁浸し


グリーンサラダ
ドレッシングはオニオン醤油。
別添えの干し海老と岩海苔乗せ。


香の物二種(柴漬けと高菜)


掬い豆腐の豆乳蒸し


葱入りだし巻き卵とカリカリベーコン


赤魚西京漬け&塩鮭


熟成鮭の柚子胡椒漬け、貝割れ乗せ


ラー油きくらげと昆布


土鍋炊き御飯と揚げとネギ入り味噌汁


フレッシュフルーツと桃のジュレ


おいしそうでしょ。おそらく一品一品すべての料理に違ったうまみを活用してあって。この華やかさにこそ、和食料理人のウデの見せどころがあって。あぁ、おなかが減ってきた。ぼくはこれから北インドパンジャビ料理ランチで、ぼくにとって最上の幸福だけれど、また近日中に愛する女友達とふたりでおいしい和食を食べに行きたいもの。



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