なぜインテリ男は女のおしゃべりがまどろっこしいのか? それなのになぜ男はキャバクラへ行くのか?

答えはかんたんです。インテリ男は観念的に生きているゆえ、話題に主題を求める。たとえば〈国際情勢〉〈円安不況〉〈ポストコロナ〉〈情報社会〉〈年収格差〉〈環境問題〉〈教育問題〉〈コンプライアンス〉〈フェミニズム〉〈ルッキズム〉〈老化〉といった具合に。したがって、男はあらゆる話題に〈この話の主題はなにか〉を探す。男は女よりいっそう社会的動物ですからね。


それに対して、(大学教育に洗脳されて男脳化した女たちは例外として)、女たちの話題に主題なんてものはない。女の話題はただひらすら、「あのね、聞いて聞いて」からはじまる。そもそも、一般に女たちには自分があって世界がない。対照的に、インテリ男たちには世界があって自分がない。これで会話が成り立つわけがない。それは無理無理無理南大門カルククス! おっとついオヤジギャグをかましてしまいました。恥ずかしい!



たとえば、女が人生相談をもちかければ、インテリ男はついうかうかと訳知り顔で改善案や解決策を提示してしまう。男にとっては善かれとおもってのことなのだ。しかし、たいていの場合、女はそんなものは求めてなくて、「あのね、聞いて聞いて」で、ただ愚痴を聞いてもらって自分の辛い立場に共感して欲しいだけなのだ。また、人生相談以外の話題であっても、女は自分の喜怒哀楽に共感を求めています。べつに男とともに議論し、考察を深めたいわけじゃない。



実はそんな男とて、女に求めるものは性愛のときめきであったり、はたまた癒しであったりして、実は女の話題に主題があろうがなかろうが知ったこっちゃない。とはいえ、女から話題を振られれば、おのずと男は主題を探し、自動的に解決案を提示してしまう。哀しい性である。



では、なぜ男はキャバクラへ行くのか? それは男が若い女を好きで、オヤジになってなお恋愛マーケットの参加者であると信じたいからである。しかも、そんな男とて、自分の話を「聞いて聞いて」であって、キャバ嬢たちから、「さすがッ!」「知らなかったッ!」「すごーい!」なんて囀られて、鼻の下をだら~~~~んと伸ばしたいだけなのだ、大枚払ってまでも。



余談ながら、オヤジという日本語は家父長制と終身雇用があたりまえだった昭和の名残を感じます。したがって平成~令和にオヤジという言葉が自虐もしくは蔑称に変貌したのは、時代の流れというものでしょう。ぼくはある歌をおもいだす、「男に生まれて良かったわ。ほんとはいいことないけれど♪」なお、この歌のもとの歌詞は、女です。



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