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優雅な生活は最高の復讐になりえるかしらん?(三浦瑠璃さんについて。)

三浦瑠璃さんは2024年4月26日、自身のXで発表なさいました。「先日夫婦を卒業しました。友人になりました。わたくし事ですが、三浦姓を選びましたのでお知らせします。」



まず最初にこれまでの粗筋を簡単に。三浦瑠璃さんの夫だった三浦清志さんは、東京地検特捜部による調査によって、2023年3月逮捕拘留された。三浦清志さんが経営する投資会社トライベイキャピタルが4億2000万円の業務上横領をしたという疑惑である。三浦清志さんは横領ではなく、自社間のおカネの移行であるとして無罪を主張し、裁判で決着をつけるとっしておられます。しかし(恐ろしいことに!)2024年4月末現在、いまだかれは一年以上にわたって拘留されたまま。なお、三浦瑠璃さんはトライベイキャピタルの子会社の大株主で、かれらは一心同体であったと見なされたもの。彼女自身はなんとか難を逃れることができたようだけれど。


そんななか三浦瑠璃さんが離婚を発表なさったものだから、世間はこれを損切離婚と呼んで、ひさしぶりの彼女の話題におおよろこびしていますけれど。彼女のこんがらがってしまった人生に、ぼくはなんと言っていいかわからない。ぼくは誰かの書いた本のタイトルをおもいだす、『優雅な生活が最高の復讐である』(リブロポート~新潮文庫刊)。作家フィッツジェラルドとゼルダの暮らしを描いた本で、(読めばきっとおもいしろいだろうものの、しかし)ぼくをその本を読んでいない。なぜなら、復讐を目的とした暮らしが優雅でなどあるはずがないから。では、ほんとうの優雅とはどういうものか? それはぼくにはわからない、なぜならぼくに大事なものは(大金を払えさえすれば誰だって買え、世間の価値観にひたすら従順な「優雅な生活」よりもむしろ)、たとえカネがなくとも自分の美意識に忠実に、自由気ままに暮らすことだから。




世の中には美しい悪女もいるものだ。誰だって知っているいまもむかしもどこにでもある平凡な話ではある。にもかかわらず美女が嫣然と微笑み平然と悪を実行してゆく姿はドラマを活気づかせ、観客をそわそわさせる。これはいったいどういうことだろう?


人は美しい悪女に色めきたつ。なぜ、われわれの心はそんなふうに動くでしょう? もしかしたらその理由は意外とわれわれの心がナイーヴで、〈美女は善い人である〉という根拠のない信念を無意識に持っていて、美しい悪女はその前提を揺るがせるからだろうか? 


それとも実はわれわれ自身が無意識下に悪の実行への欲望を隠し持っていて。ふだんはそれを抑圧しているゆえ、(自分には行う勇気のない)悪を美女が代行してくれることに、われわれは痛快を感じるだろうか? しかもその後彼女の悪の実行が露見し社会から盛大に制裁されるとき、われわれは二度目の快楽を得るのだろうか?



なるほど、ある種の人たちにとって噂の彼女は重宝な存在ではあったろう。なぜって、彼女は東大の公共政策大学院卒の知識人ゆえ政治を語る枠組を持っている。秘密の情報源も多彩に持っている。論理を扱うこともできれば、詭弁を弄することもでき、議論を混乱させるための論点のすり替えさえも巧みだ。会話の応酬に瞬発力もある。そのうえ、これから社会へ参加してゆく大学生たちに有益なアドヴァイスもできる。


しかも彼女は銀座のホステスさんさながらの男たらし技巧さえ身に着けていて、おちょぼ口のしゃべり方も、小首の傾げ方も、コケティッシュな微笑も並みいるおじさんたち・おじいさんたち、(ときには女たちを含む)多くの視聴者を魅了する。一定の割合の視聴者に反感を買うことさえも彼女の商品価値の一部だった。そんな彼女だからこそ誰もがニュースに納得する、そうか、やっぱり悪女だったか。


かつて彼女の個人事務所は国会議事堂のそばにあって、その事務所は夫だった三浦清志さんの事務所トライベイキャピタルと共同で使われていた。なお、三浦瑠璃さんの事務所は、国際政治学者の事務所に似つかわしいとはおもえない山猫総合研究所なる名前がついている。ほんらい彼女は宮沢賢治を愛し、最愛の一女を育てる心優しいおかあさんだっただろう。しかしいまとなってはせんないはなし。彼女が選んだ環境がおのずと彼女をプロ悪女に育てていった。また彼女自身も好んでその道を選んだ。



そもそもかつて三浦瑠璃さんがあんなにもいたるところで活躍できた理由がぼくにはよくわからない。彼女は東大アカデミズム、自民党政権、維新の会、日本を操るアメリカ人勢力、経済団体、複数の宗教法人、某テレビ局、某芸能企業、さる反社会勢力と通じていることがネット媒体では指摘されていて。しかもそれは日本、韓国、中国、アメリカに及ぶ。そんなとんでもない関係の交点で彼女は7年間活躍してきたのだった。いったいどこにそこまでのニーズがあるだろう? 彼女がそれぞれの人たちが言って欲しいことを言ってくれるからだろうにせよ。一説には彼女が〈日本を操るアメリカ人勢力〉と関係しているからという説もある。



彼女はいったいなにを目的にあのような派手で華やかな活躍をしていただろう? おそらく彼女は心に傷を負っていたでっしょう。優雅な暮らしを見せつけることが彼女の最高の復讐だったでしょう。その復讐のためにはしまむらの花柄フリルAラインミニスカワンピではお話にならない。上から下までDolce & Gabbanaで揃えてこそ、目的を果たすことができる。イタリアの大金持ちのゲイカップルが基礎を作ったそのブランドの女服には、イタリアのゲイに解釈された中国趣味の華やかさがあって、黒髪ロングヘアの東洋美女の彼女に似合っていた。また、フランス北東部の伯爵家由来の泡立つ透明な金色のアルコールをテラスで愛猫や愛する娘のそばで夫だか誰だかと愉しむとき、「端的に言ってしあわせすぎる」と彼女がナルシシスティックにうれしがる気持ちもよくわかる。いいじゃないか、しあわせせすぎても。しかも彼女はありあわせの食材でおいしい料理を作ることもいかにも上手そうだ。たとえば東大農学部時代の友人から送られたかつお菜を彼女は中華風にニンニクと一緒に炒め、ブロッコリーを赤ピーマンとアヴォカドと一緒に炒める。別の日の投稿ではカリフラワー、ほうれん草、蕪のおいしさを彼女は讃美する。ぼくはそんな瑠璃さんが好きだ。ただし、彼女の自宅六本木ヒルズや彼女が職場に使っている永田町国会議事堂そばにあるマンションの一室の高額家賃、軽井沢の別荘、クルーザー、はたまたDolce & Gabbanaのワードローブのカネはいったいどこから出ているだろう?



なるほどたしかにご主人・三浦清志さんの逮捕まえまでの彼女は、社会のあちこちからおこづかいを引っ張れる立場にいた。彼女に利用価値があると踏んでかんたん仕事とひきかえに謝礼をくれる組織もたくさんある。講演会のギャラも高い。さらには彼女の配偶者、東大→外務省→マッキンゼーを経てギャングスタに目覚めたような悪党顔の清志さんの暗躍もあるとおもったら・・・。


もしも安倍政権時代だったなら、けっしてあの夫妻がスキャンダルとして生贄にされることはなかったろう、と事情通は語る。つまりいま政権内で権力が移行しはじめていて、安倍派はこぞって粛清された。それと関係して三浦夫妻に対して、東京地検特捜部の謎の情熱あふれる取り調べが始まった。そこで発覚したことにはそもそも三浦清志さんは十億円おカネを集め、そのうちの3億円を業務手数料という謎の名目で出資者に返済していたそうな。やばいですね、怪しすぎる。そして三浦夫妻は2億8000万円で贅沢をして。他方、4億2000万円を横領したとして、あどけなく欲深い出資者たちから訴えられていた。実は三浦清志氏はそのカネのうち2億7000万円をある会社への借金返済に充て、残りの1億5000万円を別の会社からの借金返済に充てたそうな。つまり残金ゼロ円。こんなありさまで出資者への示談が成立できるわけもない。自転車操業、火のクルマなのである。しかも計画されていた土地には太陽光発電の着手のあとかたさえもない。そもそも該当の土地の住民は水害の発生を怖れて太陽光発電に大反対。三浦清志さんは窮地に追い込まれていた。え、まさか清志さん、なんにもやってなくて、おカネだけ動かして、しかもいまおカネぜんぜんないの??? 誰もが絶句するでしょう。つまり莫大な借金を続けながらあんな贅沢三昧を続けていたというわけ。狂ってる。あまりにも狂ってる。なにがかれと彼女を狂わせた? いったいいつからこんな破滅が約束されている贅沢生活がはじまったろうか?



おもえば、幸か不幸か三浦瑠璃さんは知識人としてもっとも熱心に自分自身の知的アイデンティティを作ってゆくべきときに、しかし彼女は自分の考えも問題意識も捨てて、関係筋にとってもっとも都合のいい主張を代弁するスポークスウーマンになっていった。とっくに彼女には自分というものがない。しかも彼女の関係筋は複数にわたるゆえ、彼女の「主張」はともすれば矛盾する。彼女を操る人たちはたくさんいて、操られ人形の彼女の一挙手一投足はともすればもつれてしまう。しかし、そんなことはもはや彼女にはどうでもいいことだった。そもそも人を見れば一貫性を要求するのは古い考えなのだ。むしろこの悪夢のような利権争いの世界では一貫性など邪魔なのだ。そもそもこの汚濁の世界で自分の考えていることをストレートに語れる人などいったいどこにいるだろう? (note にはいるだろうけれど、しかしわれわれに影響力などまったくない。)こんな社会でマスコミご用達知識人など信用する方がお花畑なのだ。次に、誰ひとりとして自分のおもったことを言えないならばこの世界でもっとも偉いのはお笑い芸人ということになりかねないし、じっさいほとんどそうなりかけている。ゼレンスキーがその象徴だ。



他方、悪の関係筋の方々は誰もがおもっている、知識人を手玉にとることなどかんたんなこと。ちょっとはしたガネをくれてやれば誰であろうがたやすく膝まづく。利用できるときはいくらでも使って、賞味期限が切れれば捨てればいい。じっさい彼女の配偶者の公金横領疑惑による逮捕によって、彼女のテレビ出演はのきなみとりやめ。仕事関係の深いフジテレビも文藝春秋も、いまや彼女を裏切った。(もっともその後も文藝春秋社はほどほどには彼女を起用しておられますが。)彼女のお友達たちはあわてて彼女のそばから飛び立っていった、まるでカラスの群れのように。


三浦瑠璃さんは夫が起こした事件に関与していたことによって、すべてを失ったかに見えた。国会議事堂のそばの事務所も、軽井沢の別荘も、夫との贅沢な暮らしも。ところが不屈の彼女はいま、マスコミへの復帰を狙っていて。われわれ野次馬たちの関心を呼んでいます。



さて、悪とはいったいなんだろう? ゾロアスター教は、善をスピリチュアルな世界とし、悪を物質界への執着であると定義した。ソクラテスは悪の起源を無知に求めた。キリスト教は神への不服従を悪と定義した。もしもそれらの説に立つならば、とっくにわれわれの社会そのものが悪ということになる。社会そのものが悪であるとき美女がプロ悪女に育ったとしても、彼女にとってそれは社会への適応に過ぎない。いったいなんて堕落しきった世の中でしょう、われわれが暮らしている世界は。



なお、安冨歩さんは三浦瑠璃さんの配偶者だった三浦清志さんのおとうさんがかれにほどこした教育に対してこんな考察をしておられます。




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