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『迷走する日本思想ーあるいは日本思想のクイア性』

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次回作のドラフト(草稿)です。 日本語で考えること、日本思想、日本語をどれだけ外から見れるか、その試みを日本人として、ひとりのマイノリティ、クィアとして、クイアに解釈すること。日… もっと読む
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迷走/瞑想する日本思想〜Intro

迷走/瞑想する日本思想〜Intro

日本思想史の本を準備していたら、チャットGPTが出てきてしまった。そこで色々と全面的に書き直しているのだけれど、ちょっとだけ、次回作のイントロの草稿でもアップしてみようかと思う。自己批判からの発展へ。
前のバージョンはこんな感じだった。
 うーん、色々と改善の余地がある。

西洋哲学の「普遍性」とローカル性 哲学という営為は、どこをどう見てもヨーロッパで形成された文化的産物です。それは古代ギリシ

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和洋の間ー日本語という舞踏

和洋の間ー日本語という舞踏

 日本で生まれ育ち、フランスに8年住み、フランス人とのハーフの子供を育てていると、どうしたって和と洋の間について考えてしまう。そのうち本にしようとは思うけれど、なかなか思考がまとまらない。とりあえずのメモ。

言語という思考の道具言葉は思考の道具であり、思考そのものの道筋を前もって作ってしまう。英語とスペイン語はイマイチだが、フランス語なら「これは説得的な論」「これは日本人には説得的だが、フランス

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「私」と「Je」の違い

「私」と「Je」の違い

授業ではいつもよりざっくりした話になる。専門性を追求していたら、どうしても学生に伝わらないからだ。雑な枠組みをとりあえず出しておいてから微調整する。そしてその雑な枠組みがダメな場合は捨てる。

よくある雑な説明のひとつ。日本とフランスの思考方法の違い。和合主義と個人主義、グループの精神と個人の精神。個人主義の源流は、たとえばキリスト教の神と信徒の一対一の関係性(ルイ・デュモン)とか、中世宮廷恋愛(

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田辺元の「死の哲学」

田辺元の「死の哲学」

日本思想を語る上で欠かせないのは、もちろん見方にもよるが、例えば福沢諭吉、中江兆民、西田幾多郎、和辻哲郎、九鬼周造、などはさらりとあがる。

ちょっと偏ってみると、柳田國男(毛色が違う)、吉本隆明(マジか?)、柄谷行人(微妙か?)、中沢新一(人によっては怒るか?)、東浩紀(アンチが多そう)、千葉雅也(ファンです、頑張れ〜)などが、するっと(?!)挙がる。

だが、なかなか田辺元は入らないと思われる

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立花隆の思い出、或いは知のジェネラリスト

立花隆の思い出、或いは知のジェネラリスト

立花隆が逝かれてしまった。知の巨人。本買いすぎて、自宅に図書館作って、その借金返すために原稿書いてる、とかいうエピソードが大好きだった。借金返せたんだろうか。。。

大学生の頃の思い出と谷田君大学生の頃、立花先生の大人気の講義に潜って、なんて適当なこと言ってるんだ、と憤慨してた頃を思い出す。理系の同級生同士で、似たようなことをいって盛り上がってたのはいい思い出。当時は学部の学生で何の専門家でないの

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