鈴木潤

ピアニスト、鍵盤奏者、作曲家。東京を中心に20年ほどサポートキーボードとして活躍。国内外のアーティストをサポート。京都移住後、ソロ演奏、ピアノトリオ、レゲエ、盆踊りや校歌をテーマにしたバンド、人形劇やクラシックのための作曲など幅広く活躍中。完全即興音楽ワークショップの経験も長い。

鈴木潤

ピアニスト、鍵盤奏者、作曲家。東京を中心に20年ほどサポートキーボードとして活躍。国内外のアーティストをサポート。京都移住後、ソロ演奏、ピアノトリオ、レゲエ、盆踊りや校歌をテーマにしたバンド、人形劇やクラシックのための作曲など幅広く活躍中。完全即興音楽ワークショップの経験も長い。

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    • 鈴木潤の毎日・音楽とそのまわり

      鈴木潤の活動のお知らせや、音楽とそのまわりについての文章です。

    • 考えるピアノ、遊ぶピアノ。ピアノが好きになるレッスン。

    • 鈴木潤のモヤモヤ

      音楽家鈴木潤が世の中に対してモヤモヤすることを書き綴ります。 Twitterや日記にちょこちょこ怒ったときや、がまんできないときに、書いてしまってたようなこと、をここにこれからは書こうと思います。 オープンにみんなに向けていると迷惑とも取られかねない内容なのであえて有料にしました(笑) 書き足したりしたりしていくので、ひとつの記事があとで長くなってたり、、ということも多いかもしれません。

    • 奇跡の瞬間 ー 即興音楽ワークショップというアート

      音楽の即興ワークショップを1996年ごろからずっと続けています。それは、教育でも啓蒙でもなく、アートであり、ぼくが音楽についてたくさんのことを学ばせてもらっている場です。そういう意味で、まだまだ世の中に理解されてないな・・と思うことがたくさんあります。それを書き綴ります。それとワークショップのお知らせも。。

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    最近の記事

    お笑いから学ぶこと、その1

    関東でいえば昭和のいるこいる、関西でいえば、大木こだまひびき。 やっぱり2人そろってなんぼでしょ、という意味では、どんなに松ちゃんがすごくても、浜ちゃんとやってるときのダウンタウンがやっぱり1番いいなぁという話。を最近ある人とよく話す。 ここ5年か10年くらいかけてあらためてしみじみ思ってるのは、バンドもそしてたぶん他のいろんな仕事もそうだろうと思うんだけど「ひとりひとりの判断でいきいきと自分がやりたいことをやっている」状態を超えるアレンジ(ネタ)を生み出すのはかなり至難の

      • スウェーデン音楽やブラジル音楽との出会い。レゲエだけ弾いてちゃだめだと言ったBuju Bantonのレゲエキーボーディストの思い出。ビリージョエルの歌詞。

        僕は、京都に来てから、なんとスウェーデンのダンスミュージックに誘ってもらって、弾いている。 Gammal Gran というバンドだ。 https://www.youtube.com/watch?v=5eplr6uJE1U 長年スウェーデンの音楽をやっている野間友貴さんが誘ってくれた。もう5年以上前のことだ。 ベースの岡田康孝さんもその時に同時に誘われたが、彼も、インプロビゼーションやジャズ、レゲエなどを演奏するコントラバス奏者だった。 当たり前のことだが、なかなかいくら練習し

        • 五分の話をしようじゃないか。俺とおまえで対等に。いつもの場所。 2021年のひとつの総括。

          大晦日。今年を振り返って思うこと。 世の中はいろんな問題があって、たとえば環境問題とか、政治のこととか、ああだこうだ、と常に議論が絶えない。

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          • #レッスン日記-2 Fさん。ピアノとボーカルのレッスンエクスチェンジ。ブルーノートスケールとグレースノート。体を知ること。

            今日はFさんとの恒例のレッスン交換。 Fさんはボーカリストでボーカルレッスンもされている。 あるときから、ぼくもボイストレーニングをしてもらうことをお願いしていて、1時間ピアノレッスン、1時間ボイストレーニング、という教えあいっこのようなことがはじまった。  今日はまずピアノのレッスン。  Fさんが今度歌うことになっている2曲のピアノアレンジについてのアドバイスを求められて、いくつかのことを話す。  特に2曲めのほうは、「ブルースフィーリングをいれながら、同時にポップスでよ

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            Teletari Odottari (インドネシアと日本をつなぐ即興ダンスワークショップ)を終えて。映像作品をぜひ見て欲しいです。同時性について。

                即興の音楽やダンスのワークショップについていいたいことは実はやまほどあって、それは一緒に志?をともにしているミュージシャンやダンサーとはいっしょにワークショップをする中で、もしくは打ち上げでお酒をのみながら、何度となく話をしているようなことなのだけれど、世の中ではまだまだ一般的でないなぁ、ということばかりだったりする。  だからいつかはまとめてものを書きたいなぁ、と思っていた。  でも、いつかは、、というのはだいたいいつになっても実現しないもので、業を煮やして、はじか

            再生

            Teletari Odottari (インドネシアと日本をつなぐ即興ダンスワークショップ)2021.10.24

            これについては、別の記事を書きました。ぜひそちらを読んでください! 2021.10.24

            #レッスン日記-1 2020.11.2. Oさん。クラシックにも当然役立つジャズやポピュラーの考え方。クラシックの先を「やっている」ものとしてジャズやポピュラーを考える。

            (過去のレッスンメモに文章を加筆しました)  今日はOさんのピアノレッスンだった。  Oさんは、「月の光」をただいま練習中。それと同時にテキストを使って「ポピュラージャズの基礎」も少しずつ学んでいっている。 Oさんのようにクラシックをより自由に弾きたい!という方にも僕は、ポピュラーやジャズの基礎を学ぶことをオススメしている。  現代のポピュラーやジャズの作られ方や構造は、Oさんが好きなクラシックの作曲家・・つまりベートーベンやショパンやドビュッシーやそういう人たちの作った

            Drop 30min Session vol.2。 完全即興の30分。頭の中の情景と背中の情景。京都の山奥の風景。シグマFP。

            Drop の30分完全即興セッションの第2弾。 https://www.youtube.com/watch?v=ZNM9R284Nt8 (ご覧になって、もしそれなりに?気に入ったら、Drop応援投げ銭チケットというのを買っていただけると嬉しいです。) 映像を流しながら、30分、ピアノとコントラバスで自由に即興をする。 映像を流してはいるが、それは自分たちの背中と壁に写っているので、それを見てなにかイメージして演奏しているわけではない。 むしろ、まったく違う情景を頭の中で浮か

            身近なジャッジにひそむ権威。微妙な権利とか、微細な差別とか。自由であることについて。やりたいことはひとりでやれ。

            (写真は記事の内容とまったく関係のない、京都の街角で見つけた、草間彌生風?いけず石。いけず石とは、京都の街角に点在している、車にぶつけられないため?に家の先においてある石のこと。なかなかよいなぁ。) ここのところ考えていること。 「なにをおもしろいとするか」 「観客にとってなにをわかりやすいこと、とするか」 を選ぶ際のジャッジには、常に 「権威、と、権威がないもの」 「既知のもの、と、未知のもの」 とのひっぱり合いが常にあるんだなぁ とあらためて考えている。 大抵は、だま

            身・水・湖 ーうつしだされる(琵琶湖を身体で感じ、あらわすワークショップ)

            今年でついに3年目。ダンサー佐久間新さんとのワークショップ。 琵琶湖を身体で感じ、あらわすワークショップ??ミュージシャンとして参加した僕自身が、一年目は、琵琶湖??なぜ琵琶湖?と不思議な気持ちだった。 水の入ったペットボトルをゆする。ゆすられる水と、ゆする側である自分の体の中の水が呼応する。集まって、池の水にさわる。目的もなく池の水に触れるのなんていつぶりだろう。そして集まっている場所の近くに大きな水の集まりである琵琶湖がある。 頭で考えることの限界を超えるのは意外と

            かれらは決して責任はとらない

            かれらは決して責任はとらない そうなんだ。 かれらは決して責任はとらない。 ということばが今日風呂の中で浮かんだ。 そして、そもそもかれらにもともと責任などというものもないのだった。 それに気づくと僕は、そして、人は?とても楽になるのだろうな、と思った。 前から、ある種のことにすごく腹が立つ。その時に腹が立つのではない。だいたいあとになって腹が立つのだ。 ひとことでいうと、自分はわりとまわりの誰かがいうことを、ごくシンプルに「まじめに」聞いている。 その人がどういう気持ちな

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