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お笑いから学ぶこと、その1

関東でいえば昭和のいるこいる、関西でいえば、大木こだまひびき。
やっぱり2人そろってなんぼでしょ、という意味では、どんなに松ちゃんがすごくても、浜ちゃんとやってるときのダウンタウンがやっぱり1番いいなぁという話。を最近ある人とよく話す。

ここ5年か10年くらいかけてあらためてしみじみ思ってるのは、バンドもそしてたぶん他のいろんな仕事もそうだろうと思うんだけど「ひとりひとりの判断でいきいきと自分がやりたいことをやっている」状態を超えるアレンジ(ネタ)を生み出すのはかなり至難の業なのかなって思う。下手にそういうことするよりは一回目にぽんっとみんなでやってみたものが実は1番良かったりする。が、こねくってるうちにそこを忘れていくことが多い。

人の存在が生み出す力ってやっぱり相当すごくて、そこを離れてネタやアレンジ、つまり「こういうふうにやれ」という仕事の規定をしても、しばらく、つまり一年とか二年とかは目新しいものができるかもしれないけど、結局消費されていく商品になっちゃうのかも、と思ったりする。

そういうこと、、ネタを考えたり、アレンジを考えたり、企画を考えたり、ということがムダとは決して思わなくて、工夫をみんなで楽しくできるならもちろん最高なんだけど、でもあるひとりの人が考えるネタとかアレンジは「そのひとの趣味」でしかなかったりするから、それが分かった上で人とそれについて分かち合ったり話しあったりできるかどうか、、それがこれからのチームでのものづくりの鍵なのかな、と最近強く感じている。

もちろんどの現場でもそういうふうに行くわけじゃないだろうけど。願わくばそういうところにいたいなぁと思う。

思えば、最近ようやく問題になってきたパワハラと言われるようなことだって、上の人はよくしようと思ってやってる場合も多い気がして、だからこそ気づかないんだろうけど、1番問題なのは「自分がこうしたら良くなるって思うのは自分の考えでしかない」ってことをその人がわきまえてないことなのかなぁって思う。
でなければ最初から一人でやればいいものね。

どんなにたけしがすごかろうと、俺はやっぱり2ビート好きだったね、と言い続けたい(笑)
サバンナの八木ちゃんも好きだなぁ。

人が一人でできること、考えられること、は、やはり一人でできること、であって人とできることではないから、一人が牛耳ってできることなんて、たかが知れてるんだと思う。
でも逆に、不思議と、一人でできることを一人でやっているとすごくどこまでも世界が広がったりもするんだろう。
一人なら一人らしく、人といるなら人といるらしく、っていう、あたりまえの普通の状態、がないと、何を作っても大したものはできないのかなって思う。

他人を自分のファッションや企画に閉じ込めることはそもそもできない、ということなんだと思う。

考えたら当たり前なんだけど、それが本当の意味で実現してる場所はまだまだ少ないのかもしれない。

でも、、
ということは、めっちゃ可能性があるってことだ。
考えたり変えたりひねったりするんじゃないほうの可能性。そっちが最近楽しくてしょうがない!
びっくりするほどよくなるから。
そういうことを気づかせてくれたり確認したり感じさせたりしてくれている仲間に感謝🙏しています☺️


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