うまくいかなかったその先で出会えた奇跡【北海道バイク一人旅】
今日はひたすら思い出話をしていこうと思う!
バイクに乗ることが趣味で、元教員・無職の私が1ヶ月にわたって北海道ツーリングをしたぞ!という個人的な忘備録です。
タイトル通り、このバイク旅はうまくいかないことだらけで、心が挫けるアクシデントがたくさん発生してしまいました。
(元教員、適応障害になる、無職の時点で、うまくいかない経験がある私ですが💦)
でも、「ピンチはチャンス」という言葉があるように、うまくいかないときは、何か新しいチャンスや出会いが生まれる瞬間でもあるんだよね。
「大丈夫、うまくいかなくたって、その先にチャンスや出会いが待っているんだよ」という思いが伝わったら嬉しいです。
☆大学生のときに初めて北海道バイク一人旅をしたときの記事もよかったらご覧ください☆
そして何よりも、1年半ぶりに北海道をバイクで巡ることができて本当に楽しかった!!
でも、実際は楽しいことだけではなく、トラブル続出なバイク旅となってしまいました。
(宿のキャンセルや台風で家に帰れなくなった…などなど)
でも、うまくいかなかったからこそ、その先で出会えた人や景色は、何よりもかけがえのない大切な宝物となりました。
あとで振り返って私は思いました。
これって、人生も一緒なのでは?
自分の人生が計画通りにいくことなんて、きっとないんだからね。
「こうしたい!」という願望はあっても、夢破れることだってあるし、自分一人の力ではどうしようもないことだってたくさんあるよね。
だからこそ、うまくいかなかったその先で出会えたかけがえのない宝物を、ずっとずっと、大切に抱えて生きていきたいと強く感じる旅となりました。
それってやっぱり「奇跡」だなって感じました。
そして、たくさんの「奇跡」が積み重なって、それが「軌跡」となっていくのではないでしょうか?
その「軌跡」の積み重なりは、確かな「自分らしさ」であり、満足のいく幸せな人生を歩んでいく大切な要素なのかもしれないな、と感じたバイク旅でした。
人生2度目の北海道バイク一人旅の「軌跡」をここに綴っていこうと思います!
(夢中に書いていたら、なんと1万4000字とものすごい分量になってしまいました…!さっと軽く目を通す感じで読んでもらえたら嬉しいです♪)
絶対、憧れの礼文島に行くんだ!
今回の旅のゴールはただ1つ、絶対に礼文島に行くこと!
礼文島にこだわる理由には私の特別な思いがありました。
前回の北海道バイク旅で出会った方のお言葉がきっかけ。
その方は、北海道の移動中のフェリーの中で出会った旅好きなおじさんでした。
「北海道に17回行った中で、礼文島が1番感動した」
「礼文島、おすすめです」
「やりたいな、行きたいな思ったらすぐ行動に移しちゃえばいいんですよ」
という言葉がこの1年半ずっと頭から離れなくて、いつか礼文島に行くことが私の中の大きな夢になっていました。
そして、今回のバイク旅はその礼文島に行ける絶好のチャンス!
今の私は無職なので、時間はいくらでもあるし、ちょうど礼文島のシーズン時期に突入するタイミングでした。
(お金はないけど…頑張ってやりくりする!)
定職に就いてしまったら、何週間も連続で休日は取れるのだろうか?
できないとは言わないが、今以上に苦労するだろうなぁ。
こんなチャンス、逃したらもったいなさすぎる!
唯一のネックはお金が無いだけど、お金で夢を諦めるのは嫌すぎる!
礼文島の景色を自分の目で見られるなんて、私はなんて幸せ者なんだろう、とポカポカな気持ちで北海道に向けて出発しました。
実は今、私は転職のためにオンラインスクールでWebマーケティングの勉強をしている最中です。
ですので、勉強と旅の同時並行という過酷なスケジュールをこなしていくことになりました。
フェリーの中でたくさん転職活動のためにマーケティングの勉強したなぁ…おつかれ私☕
先生方に会いたくて、元勤務先の小学校へ
私は昨年まで北海道で小学校の先生をしていました。
北海道が大好き過ぎて、「北海道の教員採用試験を受けて合格できれば、北海道に移住できるじゃん!」という考えで小学校の先生になることを「移住の手段」にしてしまいました。
それでも、先生になりたかった気持ちは本当だし、なにより子どもたちがかわいいし、先生方も素敵な方しかいない、大好きな職場でした。
人に恵まれた環境ではあったけれど、教師という仕事は自分の人生の方向と全く合わなかったです。
加えて、実家の愛知とはかけ離れた生活環境のストレスも重なり、精神科で「適応障害」と診断されてしまいました。
だから、新卒1年目で私は退職を決意しました。
大好きで憧れの北海道に来たのに、私は北海道に居続けることができなくて、本当に悔しかったです。
☆仕事を辞めるかどうか悩んでいる方に、きっとお役に立てると思います☆
だから、「こうして再び北海道に来れたのだから、また先生方や子どもたちに会いたい」と思うのは、私にとって自然なことでした。
事前に電話で校長先生にアポ取りした上で、勤務していた小学校に遊びに行きました。
よく学校を卒業して母校に遊びに行く!という人もいるんじゃないかと思うけど、先生になっても同じように学校に遊びに行く人ってどれくらいいるのかな?
かっこいいバイク姿でちょうど休み時間のタイミングで学校に訪れたので、あまりに場違いな姿を子どもにばっちり目撃されてしまいました。
歯がゆいような恥ずかしいような気持ちで、学校のインターホンを鳴らし、無事校長先生にお会いすることができました。
いつもと変わらない素敵な笑顔で、いつも通り出迎えてくれたことが本当に嬉しくて嬉しくてたまらなかった…。
ちょうど3時間目の授業が始まった時間だったので、校長先生と一緒に学校の中をぐるりと周った。
色濃く残る学校でのいろいろな感情が思い起こされて、心がジーンと温かくなったのはこれからもずっと忘れないだろうな。
全然知らない先生がいたり、ずっとお世話になってた先生がこの学年の担任になったんだ、とか、
馴染みのある場所なのに全然違う場所に来てしまったかのような、ちょっぴり切ないような、不思議な気持ちになりました。
毎年毎年、こうして学校の中の環境は大きく変わっていくんだな、と思うと寂しくもあり、こんなに大きな人的環境の変化には、やはり耐えられそうにもないな、とも感じました。
最後に、本当にお世話になった養護の先生に会うことができました。
私は適応障害と診断されるほどストレスフルな学校生活を送っていたので、何かある度に必ず保健室にお世話になっていました。
(特に夏休みは子どもがいないから、よく保健室のベッドで寝て休んでたな…。)
養護の先生や子どもたちと保健室の中で過ごした時間もまた、私にとって大切な宝物です。
また養護の先生にお会いできたことが何よりも嬉しく、また少し涙がほろりと流れてしまった。
嬉し涙だったなぁ。
そんな温かい雰囲気の中で、私は1年間、苦楽を共にした思い入れのある小学校を後にした。
もう二度とこの小学校に来ることはないんだろう。
寂しいけど、人生の大きな転機となった社会人1年目の青春を、心の中の宝箱にしまっておこうと思う。
また、何度でもこの街に遊び行くね。ありがとう、弟子屈。
やっぱり大好きだ!!
え…?礼文島行けないじゃん
大切な宝物と向き合い、この先の道への決心を新たにした私は、さっそく礼文島に向けてバイクを走らせることにしました。
ルートはオホーツク海側からひたすら北に向けて進んでいく予定。
ひとまず日本最北端の地、稚内市まで向かうのだけれど…。
ここでアクシデント発生!!
なんと、バイクを長距離運転するのは命の危険を感じるほどの悪天候になるとの予報…!
遠軽町という北見市に近い街に宿をとっていて、次の日に約250キロ先の稚内までを目指す行程でした。
天候はことごとく最悪。
5月の下旬なのに最高気温6度、くもり時々雨、風速11m、ただでさえ強風で有名なオホーツク海沿岸を250キロ進む…。
車なら何とでもなる条件だけれど、バイクにとって「雨」と「風」は最大の天敵となってしまう。
(ライダーの方ならきっとわかるはず…雨と風は本当にキツイ)
気温が同じ6度だとしても、晴れていて風がなければ全然大丈夫だった。
雨と風の影響で体感温度はグッと下がる。もはや氷点下の気温の中一日中走り続けるのと条件は変わらなかった。
え、じゃあ礼文行けないの?
嫌だ嫌だ絶対行きたい!!
じゃあこんな条件でもなんとかして稚内に行く方法はないのか?
早朝に出発してたっぷり休憩を取りながら少しずつ進んでいく?
いやでも、朝なんて気温2度しかないし本当に大丈夫なのか?
それとも、今宿泊しているホテルを連泊にして出発日を遅らす?
でも、それじゃあ先に予約している宿がすべて予定が狂ってしまうし、
どうやらこの悪天候は運悪く1週間ほど続くそうだ…。
無理に強行突破はあまりにも現実味がなくて、どうやら「礼文島は中断」という勇気ある決断をしなければならないようだった。
稚内と礼文で予約していた宿をキャンセルし、急きょ行き先の変更をしなければならなくなった。
北に行けないなら、どうしたらいい?
急な宿の予約だから、街中の宿なら空きがあるかな?
ということで、北海道で二番目に大きい街、旭川市で4泊分の宿を確保することができた。
(寝る場所確保できて良かった...。)
この日の晩は礼文島に行けなくなってしまったショックで、あまりよく眠れなかった。
思わず北海道で1番大好きな場所に行けることに
遠軽町から旭川市までの移動はバイクで2時間半ほど。
翌日、出発前の準備をしているときに、宿の方が「これからどこに行くの?こんな寒くて小雨の中で大変だね」と話しかけてくれた。
「これから旭川まで行こうと思ってるんです」と宿の方に伝えたら、
「それなら高速を使えば短い距離で行けるよ。こっちの道は山道で滑りやすいかも、それに鹿もよく出るんだよね」と親切に教えてくれた。
(本当にありがとう…悪天候で半べそかいてたので、話しかけてもらえたことが嬉しくてたまらなかったです。)
ということで、宿の方から教えてもらったように、高速を使って旭川まで向かうことにしました。
そしてラッキーなことに、この日は寒くて小雨な悪天候だったけど、今いる場所は運よく「風」がまったくなかったです。
まさしく「不幸中の幸い」でした。
風がある日の高速走行はバイクでは危険だし、何よりも怖すぎるので絶対避けるようにしています。
でも風がないなら、不安だけどなんとかなるかも。
そして無事に旭川までたどり着くことができた。
(なにもトラブルなく到着できて本当によかった…)
いつも誰かが温かな言葉をかけてくれる
旭川で5日間過ごすことになり、その中で良い天気に恵まれた日がたった1日だけありました。
(雨の日はひたすら勉強してました!)
「これは楽しむしかない!」と思い、旭川から南に30分ほどバイクを走らせ、美瑛(びえい)町というなだらかな丘陵地帯がきれいな街にやってきた。
実は、この美瑛町は私が「住んでみたい!」と思える大好きな場所。
(私が北海道の弟子屈町で暮らしていたときは、道教委が配属先の小学校をランダムで選んだので、自分で住みたいと思って住んだ街ではなかった)
美瑛は北海道でも有数な観光地で、観光雑誌の表紙は大体美瑛で撮影されたものじゃないかな?と思うくらい人気な観光スポットです。
今回はずっと気になっていた「あるうのぱいん」というパン屋さんまでバイクを走らせてみることにしました。
私はお米より圧倒的パン派の人間なので、絶対行ってみたいと思っていたところです♪
美瑛小麦のいい匂いがしっかり感じられるパンに濃厚なチーズが美味しすぎました!
アップルティーがおまけで付いてきます☕
テラス席に座り、外の景色を眺めながらおいしいパンをいただきました。(幸せ…♡)
実は注文を待っている間、女性の店員さんから「バイクに乗られてるんですか?」と声をかけてもらいました。
「そうなんです!」と私も嬉しくなって、つい笑顔になって店員さんとバイクトークで盛り上がっちゃいました。
店員さんがバイクで北海道をキャンプしながら一周して、1番大好きな美瑛に移り住んでしまいました、と弾ける笑顔でそう教えてくれたのが、とても心に残っています。
そっかぁ、やっぱ美瑛には人々を魅了させる力がある素敵な場所なんだな。
私も店員さんみたいに「バイクで旅しててここが気に入って住んじゃいました!」なんて言ってみたいな。
お腹も心もたくさん満たされた素敵なパン屋さんでした。
また美瑛に来たら絶対行こう。
奇跡の出会い
旭川での5日間を過ごし、次の目的地は日本海に面する街、羽幌(はぼろ)町でした。
(本当は礼文島からの帰り道で来るはずの場所だった…)
途中の道の駅で何気なく羽幌町の観光マップを眺めているときに「ライダーズカフェ」というものを発見!
これはバイクで行くしかない!と思って行ってみることにしました。
吉里吉里(きりきり)というレストラン&民宿です。
「吉里吉里ライダーズ名鑑」というものが有名で、なんと1981年から5万人近くのライダーの写真を収めたアルバムがあるのだとか。
私も「吉里吉里ライダーズ名鑑」の1人として写真を撮ってもらいました。(嬉しい!)
この写真を撮ってもらう前に、実は駐車場の場所がわからず、お店の周りの道をグルグルしていました…。
とりあえず適当な歩道にバイクを停め、お店に入って「どこに停めたらいいんですか?」とオーナーに聞いていました。
(○○だよ!と言われても口頭じゃよくわからず…)
私が困惑しつつオーナーの方と話している様子を、若い女性2人組にばっちり見られていました。
心配そうな目で見てくれていました。
何とか無事バイクを駐車場に停めることができ、ホッとしてお店に再び入りました。
その時にその女性2人組の方から「無事バイク停めれた?良かったね~」と話しかけてもらい、とても嬉しかった。
実は、この声を掛けてくださった1人の女性と、この旅の中で再び会ってお世話になることになったのです…!
まさしく「奇跡の出会い」となる出来事になりました。
その後、その女性の方のお隣の席に座り、1時間ほどずっとお話をしていたと思います。
初対面の方なのに、すごく波長が合う感じが居心地よく、まるで昔からの友達であったかのような感覚がとにかく不思議でした。
お互い北海道が大好きなこと、
礼文島に行けなくて悔しい思いをしたこと、
お互いの北海道旅行での思い出話に花を咲かせたこと、
お互いオーストラリアに行ったことがあること、
その女性は仕事の出張でこの店に訪れて、これから「豊富町」という石油が湧く温泉旅館に泊まりに行くこと、
私が去年まで小学校の教員をしていて退職したこと、
とにかくいろんなお話をしました。本当に楽しくて幸せな時間でした。
その女性は3年前までワーキングホリデーでオーストラリアに1年間暮らしていたお話が特に楽しかったな。
私も高校生の時に2週間ほどオーストラリアに留学していたこともあって、お互いの思い出話を話したり聞いたりしている時間は、まるで初対面とは思えないほど親密なやり取りに聞こえただろうと思います。
最後に連絡先を交換して、その後もインスタでやり取りをしてしまうほど、私にとって「もっとこの方たちと仲良くなりたい」と思える素敵な旅の1ページとなりました。
家に帰れなくなった
さて、その女性2人組との楽しい時間も終わり、同じく羽幌町で予約していたユースホテルに向かうことにしました。
(その前にコインランドリーへ。長期旅行だとランドリーの手間が意外と負担になる…。でも1時間ほどの待ち時間ができるので、このタイミングでパソコンを開いてマーケティングの勉強をしていました。ハードスケジュールすぎた…!)
なんと、ここでまたアクシデントが発生してしまいました。
ここのユースホテルは19時が夕食の時間と決められていて、みんな同じ場所で夜ご飯を食べるシステム。
知らない人とアットホームな家の雰囲気の中で一緒にご飯を食べるのは少しドキドキしましたが、宿泊者同士での会話もしつつの楽しいディナータイムとなりました。
(こういう民宿って宿泊者同士でお話できたりするから楽しいよね。プライベート重視の時は嫌かもだけど…。)
夕食会場には私のほかに2組の宿泊者がいました。
1組の方は関東からキャンピングカーで来た80代の老夫婦で、もう1組の方は長野から車ではるばるやってきた50代くらいの女性2人組でした。
テレビで天気予報がやっていて、どうやら今年初めての台風一号が沖縄あたりまで接近しているようでした。
この台風は四国、中部、関東と太平洋沿いを北上していく予報らしい。
なんと運の悪いことに、私が太平洋フェリーに乗って名古屋に帰る日と重なるように、台風が北上していくことが発覚。
フェリーと台風がバッティングするタイミングと重なってしまったことをここで初めて知りました。
「え、うそでしょ…」
と思わずぽつりと私は呟いてしまい、「どうしたの?」と老夫婦から話しかけられました。
「実はちょうど台風と重なるタイミングでフェリーに乗って帰る予定だったんです。大変です、家に帰れないかも」と続けました。
ここから夕食会場は「私は家に帰ることができるかどうか」の作戦会議の場となりました。
「え?これまずフェリー運航するの?」
「台風来てるからフェリー運休するのでは?」
「太平洋フェリーはわからないけど、日本海フェリーなら日にち変更できたはずだよ」
(私1人と、老夫婦の方、長野からの2人組の方の5人であれこれ話し合っていました)
それに加えてもう一つ。これは嬉しいニュース。
台風が去った後、どうやら北海道全域が良い天気になるらしい。
悪天候が続く中でのツーリングだったので、せっかく北海道に来たのなら晴れた中で気持ちよく走りたかった。
その思いを他のの4人に伝え、そこからは
「フェリーが運休するかもしれなくて、この後北海道が晴れるなら、予定変更して稚内まで行ってしまうのはどうか?」
の議論に変わっていきました。
そして、5人での作戦会議の結果。
「フェリーが動かなくて家に帰れないなら、いっそのこと稚内まで行ってしまおう!天気にも恵まれるし!」
まさしく、ピンチがチャンスに変わった瞬間でした。
ここまで来たらもう、北を目指すしかない!
礼文に行けず、稚内にも行けないと諦めていたけれど、不運が希望に変わりました。
みんな、一緒に作戦考えてくれてありがとう!!
ならもう、日本最北端に行くしかない!
次の日の朝、朝食の時間のこと。
昨日の作戦会議に参加してくれた1組の老夫婦の方と一緒の時間に朝ごはんを食べました。
「昨日はありがとうございました。昨日新たに宿を予約して、フェリーもキャンセルして、今日稚内の方面に向かって進んでいくことにしました」
と報告することができました。
たわいもないお話をしながらご飯を食べている中で、お2人から「実はね、私たちも若い頃からバイクに乗ってて、2人で一緒に日本一周したんだよ」と素敵すぎる報告を私にしてくれました。
やっぱり日本一周してみて北海道が格別で、綺麗で、素敵なところだという話、
東北や中国地方とか、地方ごとに距離を見ながら走ると日本列島は全部2000kmずつでできているという面白い発見ができた話、
その最中に事故にあって肋骨が折れて大変だった話などなど。
どれもこれも昔を振り返りながら2人で楽しそうにバイクでの思い出を語ってくれた姿は、キラキラ輝いていました。
私が今おいくつなんですか?と聞いたら今年で85歳だと教えてくれました。
60代半ばくらいかな?と思ってました。見た目年齢若すぎます!
85歳って、もはや私のおじいちゃんとおばあちゃんと同じくらいの年齢じゃん!
すごいなぁ。
いくつになってもバイクを楽しめるんだな。
体力勝負なバイクに実は年齢なんて関係ないのかも。
バイクが大好きだっていう気持ちさえあれば、それでいいのかもしれないな。
(でも無理は禁物だけどね!)
いつまでも、お元気にお2人でバイク人生を楽しんでくださいね!
私は再びこうしてアクシデントに見舞われたけど、そんなピンチだって喜びに変えて、バイク人生を楽しもうじゃないか。
お2人から勇気と希望をもらった素敵な経験になりました。
日本最北端の温泉郷
勇気と希望を胸に、私は再び海沿いをただひたすらバイクで北上していきました。
でも実は予約した宿は稚内市内ではなく。
すぐお隣の「豊富(とよとみ)町」という温泉と牛乳で有名な街で、合計5泊することにしました。
(思い切って5泊もしちゃった!)
どうしても、羽幌で会ったお姉さんから聞いた「豊富温泉」が気になって、私も豊富温泉に入ってみようと思ったのです。
羽幌町から豊富町まではバイクで1時間半ほど。
だからたくさんバイクで寄り道しちゃいました。
まずはやっぱここ!
オトンルイ風力発電所!!
圧巻過ぎる風景でした…!
左は日本海と利尻富士、右は風車がずらっと。正面は水平線と道路が重なるくらい、永遠にどこまでも行けそうなほどまっすぐな道。
え、待って?
私は異国の地に来てしまったのか?
とてもじゃないけど、ここが日本だとは思えませんでした。
今まで北海道のいろいろなところにバイクで出かけたけど、さすがにこの雰囲気は圧巻すぎる。
後で知った話なのですが、実はこのオトンルイ風力発電所は、来年の2025年4月に撤去される予定らしいです。
ネットで調べると、北海道ツーリングおすすめスポットにいつも君臨する超有名スポットに来れて本当に良かった。
絶景だらけの最北端
やっぱり最北端と言えば、「宗谷岬」が有名スポットです!
自分の力で、日本最北端の地に足を踏み入れるとき、一体どんな気持ちになるのだろう?
と今回の旅で北海道に来る前からずっと、興味のあったことでした。
先端に行きたがるのは、もはやライダーの性です。
端っこの場所に、ロマンが詰まっているんです。
自分の力で先端まで来れた達成感に包まれて、ここに来るまでの思いを馳せながら、ただ海を眺める時間は、本当にロマンしかないです。
しかも、今回は日本最北端の地。
こんな特別な場所は他になかなかないですよね。
絶好のバイクツーリング日和となり、雲一つない快晴に恵まれました。
ワクワクドキドキで豊富町の宿を出発し、宗谷岬に向かいました。
ナビに従い、豊富町の宿からおよそ1時間ほど、ついに私はやり遂げました。
宗谷岬の駐車場に入った瞬間、なんとも言えない心の高鳴りをしっかり感じました。
ついに、ついに来たぞ!!
憧れの日本最北端の地、宗谷岬だ!!
心臓がドキドキ、うるさかったです。
感無量でした。
ここに来られて、本当に良かった。
やっぱり北海道が心から大好きなんだと、改めて実感させられました。
北海道が大好きなら、やっぱり日本最北端の地には足を踏み入れてみたかった。
礼文島には行けなかったけど、道中でこの目でしっかり礼文島を眺めることもできた。
今はまだ稚内から見ることしかできないけど、次は絶対、絶対礼文に行く。
ロマンと希望を感じさせてくれて、本当にありがとう!!
羽幌の宿で5人で作戦会議したとき、ここに来ると決断して本当に良かった。
ここから、ひたすら目に焼き付けたきれいすぎる絶景を紹介していくね。
これまでずっと天候に恵まれず、予定変更も余儀なくされ、こんなはずじゃなかったバイク旅が、一気に色を取り戻したような感覚になるくらいの感動体験でした。
やっぱり、本当に、ここに来れて良かったな。
もう北海道には住んでいないけど、こうして何度でも北海道を訪れたらいいのかな。
住めなくても、遊びにはいけるもんね!
これからが、とにかく楽しみで仕方がないや。
どうしよう、宿がない
さあ、稚内での1週間も終わりを告げ、いよいよ愛知に帰る方向でバイクを走らせていくとしよう。
フェリー乗り場が苫小牧なのだけれど、稚内から苫小牧まで約360キロ、時間にして6時間半かかる道のりだった。
勉強の兼ね合いもあるので、一日に走れる距離は大体100キロ前後。
となると、3日に分けて苫小牧まで向かおうかな?と思い、宿を探すことになった。
しかし、またここで雲行きが怪しくなってきた…。
まず一つ目、フェリーの予約が全然空いていないこと。
人だけの乗船なら空きは十分にあるのだけれど、バイクを載せるとなると、10日後以降のフェリーでないと空きがないようだった。
またさらに1週間分の追加の宿探しが必要になってしまった…。
ここまで来ると毎回宿を変えるのも大変なので、10日間連泊できる宿がいいかな。
となると、また街の方の宿を探した方がいいのか。
じゃあ、札幌ならどうだ?
都会だし、宿がいっぱいあるはず!!
でもなぁ、料金が高いな…。困ったな、お金なんてとっくに赤字なので、できれば宿代を節約したい…。
そんなとき、スマホの通知が鳴った。
以前、羽幌町のライダーズカフェで意気投合したお姉さんから、インスタのDMが届いたのだった。
ずっと北海道のおすすめスポットをインスタで教え合っていて、その追加の内容を送ってくれたみたいだった。
そのメッセージの内容の最後に、私の救いとなる言葉が書かれていた。
『もし泊まるところに困ってたら、うちに来てくれても大丈夫だから遠慮なく言ってね!』
・・・。
えっ!!いいんですか!!??
速攻で「泊めさせてください」と返信しました。
さらに、札幌で安い宿を探していることを追加で伝えたら、安くてきれいなおすすめホテルまで教えてもらえました。
教えてもらった宿に平日は連泊し、宿の値段が急上昇する金曜日と土曜日の夜の2泊分、お姉さんの家に泊めさせてもらうことになりました。
えー!私の人生にこんなことがあっていいの!?
旅先で出会った人のお家に泊めさせてもらうなんて、そんなことあっていいの!?
感謝感激です…。本当に…。なんとお礼したらいいんだろうか?
あまりにも自分の人生経験上、ありえなかった話が急に目の前に飛び込んできて、焦りと動揺が隠せませんでした。
でも、それ以上に、嬉しさと感謝でいっぱいでした。
小さな夢の芽が生まれたよ
さて、札幌で5日間過ごし、ついにお姉さんのお宅にお邪魔する日がやってきました。
札幌での5日間は、すすきの繁華街の近くの宿を取ったため、バイクはしばらくお休みして、温泉に入って疲れを癒したり、近くのカフェで勉強をして過ごしていました。
(札幌にいるときは、自然がすぐ近くにあるから都会なのに田舎?みたいな変な感覚でした)
金曜日の夜だったので、お姉さんのお仕事が終わって帰宅する時間に合わせてお家に向かいました。
お家に着いたら、おつかれさま、と温かく出迎えてくれました。(嬉しい…)
お姉さんのお宅には、同棲中の彼氏さんもいらっしゃいました。
なんと夜ご飯まで用意をしてくださっていて、荷物を下ろして一息ついたら、3人でテーブルを囲んで仲良くディナータイムとなりました。
ここ1か月間、外食続きでお腹が疲れていた私は、温かな手料理の味が体の奥にまで沁みわたっていくようで、ジーンと心が温かくなりました。
3人で、私が教員を辞めたときの話や、お姉さんのお友達が小学校の先生をしていて、やっぱりキツそうだという話、
お姉さんと彼氏さんはオーストラリアのワーホリで出会って付き合ったんだよ、という話、
エアーズロックに登ってまじ人生変わった、なんて話…。
とにかく一緒に過ごしている時間が温かくて、楽しくて、幸せな時間でした。
たわいもないお話をしている中で、私はお二人から絶えず「君はワーホリ向きの人だよ!」と言われていました。
なぜ私がワーホリ向きな人間かと言うと、
「イエスとノーをしっかり言える」
「自分の意見を持って、それを相手にもちゃんと伝えられる」
と、いい意味で遠慮せず、自我の強い私の特性をすぐに見抜いて、そう言ってくれたみたいでした。
ワーホリなので、語学留学とは違い、必ずしも学校に通う必要もないし、就労もOK。
なんなら「オーストラリアをバイクで走る」なんてすごく素敵じゃない!?と私のワーホリ計画まで提案してくれました。
確かに、いいかも。すっごく楽しそうだ。
お二人いわく、オーストラリアの道を走ったら、北海道なんて小さくてちっぽけに見えるよ!と言われました。
え!?北海道はでっかいどうなんじゃないの!?
広大な土地に魅せられて北海道が大好きになった人間なので、
北海道以上に広大な土地をバイクで走れるかもしれない、となると途端に興味が湧いてきました。
私は、高校生の頃から「オーストラリアで観光がしたかった」と、ずっと心残りだったんです。
高校生のとき私がオーストラリアに留学した理由は「自己肯定感ゼロな私を、変えたいから」でした。
当時の私は、誰に対しても「イエスマン」な私に、嫌気がさしていました。
本当はこの遊びの誘いは嫌だけど、私がノーと言ったら相手は気分悪くするよな…。そういう空気って耐えられないから、私が我慢して平和に丸く収まればそれでいいんだ、という考え方の持ち主でした。
「自分の意見に自信を持ちたい」
「嫌な時はちゃんとノーと言える人になりたい」
「自分の考えを持った、芯のあるかっこいい自立した人になりたい」
そんな思いを胸に抱えて、高校生の私はオーストラリアに勇気を出して飛び込んでみることになったのでした。
オーストラリア留学計画から7年が経ち、現在の私はみごと、「ちゃんとイエスとノーが言える、自立した人」になれているのでした。
7年の時を経て、自分が大いに成長したことを実感する時間でもありました。
お二人からオーストラリアでのお話を聞いているうちに、「あれ?私も行ってみたいかも」という、思いが湧いてきました。
バイクは私の人生の相棒であり、宝物であり、かけがえのないもの。
いつかは日本全国回ってみたいな、とか、じゃあ回れるためにお仕事はパソコン1つで完結できるものなら実現しやすそうだな、とか、
とにかく、「自分がやりたいことを自由にやれる人生」を手に入れたくて、教師も辞めたし、Webマーケティングも勉強している。
パソコン1つで叶うお仕事に就こうとしているなら、日本に限らず、海外にだって行けちゃうのではないか?
しかも7年間ずっと心の奥に秘めていた「もう一度オーストラリアに行きたい」という気持ちが思い起こされた今、これはまたしてもチャンス到来なのではないか?
もちろん、普通に観光でオーストラリアに長期滞在してもいいかもしれないけど、お二人の話を聞いて何より楽しそうだと思ったのは、仕事も含めて、オーストラリアで「暮らす」ということだった。
短い2週間の留学で肌感覚で感じ取ったことを、今でも鮮明に覚えている。
「とにかく、自由」だということを。
平日の昼間、公園を歩いていると、普通に大人が草むらに寝そべってお昼寝しているし、仲良くビーチボールで遊んでいた。
日本ではまず、ありえない光景だと心底びっくりした。
オーストラリアの高校の中もそうだった。
まず、多民族国家なので、日本人の私がいても、学校の中でまったく浮かない。馴染んでいるように見える。
ブロンズ髪で緑のヘアカラーを部分的に入れてておしゃれだな、とも思ったし、中国人も多かったから、普通に黒髪の黄色人種もいる。
アフリカ系の肌の色が暗めの人だって普通にいるし、髪の毛がドレッドでイケイケな男の子も普通にいた。
授業中だって、やることさえ終わってしまえば、普通にスマホやゲームしててもいいし、授業後に先生からの「何か質問はありますか?」には、クラスの半分以上の子が挙手していた。
自由で、主体性があって、自分の意見をはっきり持ってて、そんな世界にすごく憧れた。
そんな世界で生きていけるような人間になりたいと思ったし、
「自由」というワードが私の中の軸となっている理由の、原体験でもあった。
英語話せないし…と一瞬不安になったけど、私は高校生の時に「拙い英語でも、一生懸命伝えようとするその姿勢が一番大切だ」と実感として学んでいるじゃないか。
言葉の壁は、いろいろな方法で乗り越えられることを、私はすでに知っているじゃないか。
んん?
ますますオーストラリアのワーホリ、とても魅力的じゃないか?
もう一度、7年前の私より、さらにパワーアップした私でオーストラリアで「自由な暮らし」を体験してみる人生、とても良いのではないか?
ワーキングホリデーの制度を使うなら、タイムリミットは30歳まで。
若い今のうちに、この思いに気付けて良かった。
それもこれも、やっぱりバイク旅がうまくいかなかったからこそ、出会えた気持ちでもあった。
小さな夢の芽が、生まれた!!
小さな芽を、大事に育ててみよう。
芽を大きくして、つぼみになって、いつか大輪の花を咲かせてみよう。
そして新たな種を蒔いて、きっと、また小さな夢の芽が生まれていくんだ。
小さな夢の循環を楽しんでいけるような大人になれたら、こんなに幸せなことは、きっとない。
わあー!なんか楽しくなってきたぞ!!
こんなに長い記事を、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました!!
この記事を読んでくださったあなたにも、小さな夢の芽が、たくさん生まれますように🌱