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地震や津波を神の怒りと考えてしまう「主体の察知」

噴火や地震を誰かの仕業と考えてしまう

山が噴火したことをみて人間が「神の怒りだ!」と人間は捉えてしまうことがあります。これは古代に限らず、現代でもあります。火山の噴火は自然現象なのですが、人々は、そこに意志を持った何者かが存在していると考えることがあります。それを主体の察知(Agent detection)と言います。認知バイアスの1つです。


主体の察知

主体の察知(Agent detection)とは

そこに意志あるものが存在しているという思い込み

森のなかで小枝が折れる音がしたとき、「何かがいる」と人間や動物は仮定します。この仮定する傾向が、主体の察知です。人間のみならず動物にも見られる認知バイアスです。

なぜ「主体の察知」が起こるのか

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「主体の察知」というバイアスはどのように形成されたのかについては仮設があり、それは、「何かいるかも?」と考えるほうが、考えないよりも生き残りやすくなるから、というもの。森のなかで小枝が折れる音がしたときに、獣がいるかも?と思い、それが間違いだとしても単なる勘違いで、支払う代償はほとんどない、または小さなもの。しかし、本当に何か獣が居たときには、「実際にそれが獣かどうか確かめる」よりずっと速く行動で、危険を回避できます。そうして、人間を含めた動物たちは、風や自然のo音に「意志を持った主体」がいると信じる傾向を持つようになった、と考えられています。

Agenticity

「主体の察知」に関連して、アメリカのサイエンスライター、Michael Shermerは、Agencityという言葉を創造しています。Agenticityとは、「世界が目に見えない意志によって支配されていると信じてしまう傾向」と定義しています(※2)。


擬人化する背景にある「主体の察知」

意志を持っているわけではないのにそこに意志があるかのように考えることが「主体の察知」です。たとえば『機関車トーマス』も一種の主体の察知から生まれたもキャラクターと考えることもできます。

古くも愛着のある愛車がエンジンがかかりにくい時に「機嫌を直してくれよぉ」と口にしたり、思ったりするのもこれです。車には意志はありませんから。

まとめ

この「主体の察知」という認知バイアスは、知ることで、現代に無神論者として生きているつもりでいることが多い日本人でもなお、「バチがあたった」とか「良いことばかり続いたから悪いことが起きた」など、目に見えない均衡を保とうとする力がこの世にあるかのように考える傾向があることに気づけるようになります。

古代であれば、神の怒りを鎮めるために、供え物として人の生命を犠牲にする儀式もありましたが、それはさまざまなシーンでわたしたち現代人にも残っている傾向です。「主体の察知」を紹介したこちらの動画では、冒頭で日本の東北地方太平洋沖地震について(対象者群はどのようなものかわかりませんが)38%もの人々が地震と津波について「神の意志の現れ」だと信じていたことがわかったという報道があったことを紹介しています。

しかし、神の意志と考えて思考を停止しないほうが、実際のところ、わたしたちに前進する力を提供してくれます。アイヌの信仰などを考えるとすべてに神が宿る(アニミズム)という思想は、生活を結果サスティナブルにする良き効果も持っています。なので、それらを否定をする必要もないかもしれませんが、それでも「主体の察知」という知識は、わたしたちが不合理な考えにとらわれないで済む可能性を高めてくれることでしょう。


認知バイアス

紹介した認知バイアスは、スズキアキラの「認知バイアス大全」にまとめていきます。


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参照

※1:Agent detection

※2:Agenticity

※3:Evolved priors for agent detection




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