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トートバッグいっぱいの呪いを。1. 【ホラー小説】

【あらすじ】
自分が既に死んでいることに気づかないまま学校へ通っていた少年カイ。日々の小さな棘にじわじわと損なわれてゆくカイを守るかのように、誰かが「プチ呪い」の書かれた折り鶴を級友達の元にばら撒いていた。笑いを含んだプチ呪いは現実化し、カイの仇を討つ復讐が始まる。次第にエスカレートする呪い。一体誰の仕業なのか。
死者が見える半井さんとの交流をきっかけに、次々と身近な人の真実や別の顔が明らかになってゆく。それぞれの想いと願いは、呪いと紙一重なのだ。
本当に怖いのは人間か幽霊か。家族、恋人、友達。非情なのは誰か。それぞれのエゴがラストに収束する。笑いとじんわりした怖さが同居するカジュアルホラー。

*** 全13chapter  ***

1.

きみを悲しませる人は、
足の小指をタンスの角にぶつけますように。

白シャツにケチャップのしみができますように。

傘を持たずに出て
突然の土砂降りに遭遇しますように。

雨の湿気で髪が3倍に膨らみますように。

靴の中に雨がたっぷり染み込みますように。

ズボンもぐっしょり濡れますように。

袖口からも雨が入り込みますように。

おろしたての靴でぬかるみにはまりますように。

大事な試験の時に寝坊しますように。

鍵を失くして家に入れなくなりますように。

鳩がそいつの頭の上に落とし物をしますように。

腹痛でトイレに入ったら紙がありませんように。

可愛い女子の前で不意におならをしますように。


 小さな折り紙の裏に、ママは呪いの言葉を書いては鶴のかたちに丁寧に折りたたみ、トートバッグにしまっていった。くすくす笑いながらママが口ずさむ呪いは、外国の歌みたいだった。
 白い帆布のトートバッグのオモテには
【LIFE GOES ON】の文字。
 呪いの言葉をお腹に抱えた色とりどりのたくさんの鶴たちにとって、LIFEがGOES ONすることは楽しいこととは思えない。それは僕も同じだ。
それでも嫌でも人生は、この先も繋がっていくんだ。

 どのくらい呪いが集まったかを確かめるためにママがバッグのなかを漁ると、カサコソと紙の擦れ合う音がした。ママの指先が嘴に触れると、鶴はククルゥ、と小さく鳴いた。解き放たれる時を待っているらしい。
 民家の屋根を、
 砂埃の立つ学校の校庭を、
 街のシンボルの青い時計塔の真上を。
 何度も旋回してやがて遠くへ飛んでゆく時。鶴の体の中の呪いの言葉は、魔法の粉みたいにきらきらと煌めきながらあたり一面に撒き散らされるのだ。
 僕のための言葉。
 ママの愛のことば。

 さっきからずっと、目覚まし時計は僕の脳を揺さぶり続けていた。なかなか諦めてくれない。
 僕が自分から、
 手を伸ばして、
 スイッチを、
 オフにしないと。
そうしない限り止むことはないのだ。
 カーテンから漏れる朝の光が瞳を射る。布団の中で僕は絶望的な気持ちになる。

 また今日も朝がきてしまった。なんだってそんなに律儀にまいにちまいにち日付を更新するのだろう。
 僕は胎児のように体を丸めて眠っていた。悲しい人間はこうして眠るものらしい。仰向けになって天井を見上げ、ため息で膨らんだ肺から息を吐き出す。

 壁にかかった制服のブレザーは闇の色だ。それを見るだけで吐き気がする。
 昨夜ママに隠れて洗面所で洗ったシャツの油性マジックの文字(キモイ)は、まだうっすらと残っていた。
 喉元までびっちりととめるシャツのボタンは、僕の首を締め上げる。こんなものをずっと身に纏っていたら、いつか僕は完全に闇に取り込まれてしまうだろう。
 僕の青春と心は、どす黒い色をしている。
 この制服の色だ。

 僕は今日も中学校へ行かなくちゃならない。
 とにかく行くんだと、時計に圧力をかけられている。行ったところで学校の中に僕の居場所はない。教室にある僕の席は、ただの机と椅子。
 日常はたくさんの小さな棘に囲まれている。
 はっきりとした輪廓の、わかりやすい動機は不在。この苦しさは本当のことだけれど、何もなかったふりをするのもルーティン。

 安全な場所を探して、僕はヒトダマみたいに
 渡り廊下を、
 階段の踊り場を、
 屋上の隅を、
いつもさまよっている。
 僕は、いてもいなくてもどっちでもいい存在。「どっちでもいい」は「どうでもいい」と同じ意味だ。
「いなくてもいいや」だった僕は次第に「いなくなればいいのに」へと変貌していく。
 面と向かって言葉で告げられなくても、そういうことはなぜだか伝わるものなのだ。

 僕はいつでも息苦しかった。
 学校でうまく呼吸ができなくなると、僕は校庭の隅にある時計塔へ行く。
 塔にもたれて座り、空に向かって伸びるてっぺんを見あげる。そこを発射台にして飛び立つところを想像するのだ。
 そのときの僕は自由だ。
 クラスメイトたちがいる学校の屋上を越えて、海を目指して飛んでゆく。僕はこんなにも飛べるんだ。
 けれどもせっかくの自由な飛行は、いつもいいところでチャイムの音に破られる。
 絶望の鐘が鳴り響くなか、僕は自由な羽根を折り畳んで心の中にしまい込み、重たい足を引きずって教室へ戻るしかなかった。


 地味な僕なりに、数少ない仲間とはそれなりにどうにかうまくやれていると思っていた。
 時々は誰かにシャツや上履きや教科書に文字(キモイとかマザコンとか)を書かれもしたけれど、それはタチの悪い冗談の範囲内だと流してきた。
 でもそれは僕が鈍感なふりをしていただけで、本当の事態はもっと深刻だったのだと思う。
 ドアの隙間からじわじわと入り込んでくる何かわからないもののせいで、僕は教室のなかで溺れつつあった。
 記憶の底を引っ掻き回して探ってみると、そういえばあの時こうだった、こんなこともあった、と、思い当たる出来事がいくつも発掘されるのだった。

 仲間のなかで僕だけ誘われなかった映画の話。
 休日の自転車での遠出の計画を、僕は聞いていない。
 僕以外の奴らのリュックに、お揃いのキャラクターキーチェーンが揺れているのを見て、ああそうか、と思った。
 僕が加わる話題は、ともに過ごす必要がないものばかりだった。スマホで観たドラマの話。隣のクラスの女子の話。コンビニの新作スイーツの話。軽い会話のジャブ。
 誰かの「ここだけの話」も「打ち明け話」も聞いた覚えがなかった。誰も僕のことを信じてくれていなかったし、僕自身も奴らを信じていなかったということになる。


 月曜日。
 僕は今日も透明人間だった。
 体育の授業でサッカーのグループ分けをする時も、準備運動で二人組を作る時も、僕は誰からも声をかけられなかった。まあまあ仲が良かった(と思っていた)キムラも、もう僕には興味がないらしかった。
 サッカー練習でパスを出し合う相手は風。どこまでも転がるボールを追いかけて、僕は校庭の一番奥の倉庫の前まで走った。
 ギラギラした夏の太陽がじっと見下ろす中、蹴っては追いかけて、減速するボールにようやく追 
いついて。額から流れ落ちる汗が眉で止まらずに目の下まで滴る。半袖の体操服のそで口を引っ張って無理矢理ぬぐう。
 振り返ると、クラスのみんなはすでに教室に戻り始めていた。立ち尽くす僕に誰も気づかない。
砂埃の立つ乾いた校庭の土の上に、僕の目から垂れた汗がボタっと濃いしみを作った。

 3時間目の理科教室への移動の時も、キムラは僕に一瞥もくれずに横を素通りして行った。廊下で桐谷にちょっかいを出してふざけ合っている。僕への当てつけだろうか。
 桐谷の呟きが耳に入る。
「俺さ、あいつが苦手だったんだ。何考えてるかわからなかったし。それに3人だと面倒なこともあるけど、正直言って2人は楽だな」
「まあ、たしかに、奇数の人数ってめんどくさいよな」
「あいつが母親のことをママって呼んでたのも信じらんない。マジで無理。マザコンが過ぎる」
 桐谷の言葉にキムラが苦笑する。
 ふたつの制服の背中が遠ざってゆくのを、僕は突っ立ったまま眺めていた。
 僕の左右をクラスメイトたちが川となって流れてゆく。僕はその流れに取り残された石だ。川の流れに足を取られて転がりまくり、傷だらけになった石。


(続く)↓

文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。