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夏至の日には外でビールを


金曜日。夏至の日。

スピッツの草野マサムネさんが
一年で一番好きなイベントは何か?と聞かれて
「夏至」と答えたのは有名な話だが、
私はマサムネさんの崇拝者なので
いつからか私も夏至という日が大好きになった。

一年に一度のこの日、私はいつも
上に凸な二次関数の綺麗な放物線をイメージする。


その最大値の日。

夏至の日の私の頭の中


今日この日が一年の日の長さの頂点の日であり、
ここから先は日が短くなる一方だ。

この日を一年で一番好きだというマサムネさんに
ものすごくマサムネさんっぽさを感じてしまうのは
私だけだろうか?

かくいう私が
夏至を好きなイベントだと思うようになったのも、
それ自体が後付けの話であって、
私はそもそも夏至をイベントだと思ったことなど
一度もなかった。

だって、ただ一年で一番日が長い日、
というだけだろう。

イベントというのはもっと、
クリスマスとかハロウィーンとか、
バレンタインとか、そういうもののことだ。


人間が目的を持って作り出した一日のことを
我々はイベントと呼んでいるのではないのか。


でもマサムネさんは、
一年で一番好きなイベントは「夏至」だと言う。

なんというのかなあ、つまり私はこういうところに
マサムネさんっぽさを感じていて、


人間が作り出した、楽しむために用意された一日
(それこそクリスマスとか)よりも、
自然現象にただ名前がついただけの一日を
なんとなく得した気分になるからって
「一年で一番好きなイベント」だと言える
マサムネさんのその感性を私は愛していて、
そしてこれからも一生愛していくのだろうなと
夏至の日になると毎年そう思うのだ。



夏至という極大値の日を好きだと言うことも
私から見るとマサムネさんらしいな、と思う。
(そんな深い意味はないんだろうけれど)


この、徐々に徐々に盛り上がっていく感じ。
その最高点。

でも、ここから先は下る一方。


頂点に達してなにかが爆発するみたいな、
そういうこと自体に意味を見出すその感性が
いかにも彼らしいなと思うのだ。
(スピッツのテーマはセックスと死だ)



つまり彼は、人間という儚い生物が
人生のコマを進めていくにつれて
だんだんとだんだんと盛り上がっていって、
次第にしゅるしゅるとしぼんでいく様を
夏至に重ねているのかもしれないな。



人間のそういう様を謳っているのだと思って
スピッツの曲を改めて聴くと、
やっぱりそういうことなんだよな〜(?)と
まるで宇宙の真理を獲得したような気持ちになる。

なんというか、人間を感じる。曲から。

生きる意味すらも感じ取れる気がするのだ。




いけない。話が逸れた。笑


まあとにもかくにも、私にとっても
夏至というのはものすごく好きなイベントだ。

しかも晴れで、さらに金曜日ときている。

これはつまり外で飲むしかないよね、と
前々から考えていたのだった。

しかも、仕事もきっかり定時で終わった。
なんというベストコンディション!

夏至の日に外でお酒を飲むという、
かねてからの私の夢が叶う瞬間だ。


コンビニでお酒とおつまみをしこたま買い込んで、
ニッコニコで近くの川っぺりへ向かう。

極大値の日に酒飲む幸せ。


最高だ!

まだ18:00なのに、こんなに明るい。

まだまだだ。


ここが盛り上がりの頂点ではあるけれど、
まだ日は落ちないし、これからが本番だ。


夏というのは爆発的な季節だ。
一種のお祭りのようなものだ。

その儚さが見え隠れし始める
この夏至という日に想いを馳せ、
私は今あの曲線のどの辺りにいるのだろう、
と冷たいビールを飲みながら考える。


もしも私が
人生における夏至にまだ到達していないのならば、
わたしはそこに向かって進むだけだし、


もし、たとえ今が頂点だったとしても
夏至のあとには大きな花火もあがるし、
大好きな秋も、
厳しいけれど温かな冬もやってくる。


要するに、春と夏が終わっただけのことだ。

たとえここが極大値で
人生における夏が終わっていたとしても、
ここから先は私の好きな季節しかやってこない。


グラフで見れば下っていく一方だけど、
秋や冬には夏にはない良さがあるではないか。


グラフを下っていく途中で見える景色は
登っている時には見えていなかった新しい景色だ。


そう思うと
人生捨てたもんじゃないな、と思えてくる。

そう考えられるようになった
きっかけを与えてくれたマサムネさん。

今年はどんなふうに夏至を楽しんだだろう。


初夏の頃、
みなさまはいかがお過ごしでしょうか。


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