高収入の人ほど「読書量」が多いワケ。
「読書」がなぜ必要なのか。
前回は「教養」の必要性についてお話ししました。
最後にリンクがありますのでどうぞ。
教養を身につけるために非常に効果的なのが「読書」です。
本といってもどんな本を読めばよいのでしょうか?
それは「小説」です。
それも「文学作品」と呼ばれるものをオススメします。
文学作品はネット記事のコラムやエッセイとは違い
明らかに言葉の表現が巧みで
言葉の力というものをこれでもかと感じることができます。
言葉の美しさ、深みもさることながら
手触り、ニオイ、刺激のような五感を擽ってくる表現は
他の文章では体験できません。
ネット記事のコラムやエッセイが悪いと言っているわけではありません。
ただ「語彙力」というものが流行したのも
日本全体に言葉の力が低下したことが要因であるのは間違いないでしょう。
「語彙力」の低下の原因はあらゆるサービスや娯楽が発展し可処分時間の奪い合いにより現代人が持ち得る時間が少なくなったため、分かりやすく、簡潔で、短時間で読めるものに時代のニーズが変化してきたからです。
残念ながら巷に溢れている情報はみな
そういう形態になってしまいました。
加えて
ボクのようなド素人でもこうして稚拙な文章を簡単に世の中に公表でき、
人様の目に触れることができる時代になったことで、
書き手としては嬉しい反面、読み手からすれば雑な文章に触れる機会が多くなってしまったのです。
夏目漱石や芥川龍之介、川端康成の方が圧倒的に文章力が優れているのに
ド素人が書いた文章の方が多くの人に見てもらえる社会は
明らかに文章力や言葉の使い方が上手いから読んでもらえるわけではないことの証明です。
むしろ本の内容よりもアクセス数、販売部数を重視されているので必ずしも良い文章である必要すらありません。
反対に「文学作品」は
商売目的の作品ではない事が多く著者の想いや純度がとても高く
クオリティがケタ違いだということが読めば実感できます。
表現そのものも圧倒的ですけど
作家自身の世間の捉え方や価値観
そして悩み、葛藤、問題意識など
命を削ってまで書き込めた文字をなぞることで
本当の「教養」と呼ばれるものに触れることができる気がします。
池上彰さんも名著「伝える力」でも
小説を読んだ方がいいと言っています。
「読書」とはいわば先輩たちの経験を学ぶことです。
それはある意味でサンプルの量を増やす行為でもあり
初めてのことでも一度疑似として経験できるということです。
こうして色んな人たちの知識や経験、知恵を蓄積することができる
最強のツールが「読書」と言えるでしょう。
本を読むことで頭の中で妄想、空想して豊かに広がる世界観を膨らまして
自分の価値観というものを育てていくものです。
貧弱な価値観しか持っていない者同士が議論し合う姿をたまに見かけると
全然前に進んでいないなぁって笑っちゃいます。
受け手側も受け止める力がないのは明らかで完全に読書不足だとすぐに分かります。恐らく見た事のない世界だから理解できないないのでしょう。
高収入の人ほど読書量が多いという事実。
成功者と呼ばれる人たちにとって
「読書」は間違いなく側にあるものです。
ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。