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コツコツ努力は必ずしも美徳ではない

日本の教育は努力は報われると教わります。

非情なことだけどそれは違うと言いたい。

そんな横一線な結果になんかなりゃしません。
ほんの一握りの人しか努力が報われることがないのが社会です。

だから学校で
「努力したって夢叶わないこと多いぞー」
って本当のことを言ってあげる方が大事だと思います。

「努力をしている人」を批判しているわけではありません。
だからといって努力が不要と言ってるわけでもありません。

だって努力すれば成長はしますから。

目標には届かないかもしれないけど
必ず成長という変化が起きます。

その成長を糧に新しい目標を立てればいい。
軌道修正してあげればいいじゃない。

なまじ「努力は報われる」なんて言うから
叶わない言い訳にしたり
努力しない言い訳が増えてしまうのです。


「努力は報われる」っていう擦りこみが
言い訳の温床になっている気すらします。

「努力なんかしたって叶わない」
みんなそう思ってる。口に出さなくても心の奥底では思ってる。


だから言い訳しちゃうんじゃないかな…。

心のどこかでそう思っているのなら
声に出して本当のこと言っちゃえばいい。
大人も社会も隠すからお粗末なことになるのです。


そして「努力が報われない」もうひとつは
その努力が「適正な方向」に向いているかってこと。

これも残酷かもしれませんが
適正ではないものを、いくら努力したって叶わないものは叶いません。

料理人になりたいのにダンスの勉強とか
小学校の先生になりたいのに美容師学校行くとか
お門違いな努力をいくらやっても目標に届くわけがありません。

当たり前のこと聞こえるかもしれませんが
案外このような人は多いです。

だからこそ
客観的に見ることができる目を持つか
誰かが努力の方向を正してあげないといけません。

とはいえ「努力」そのものが適正かどうかどうか
迷っていても上手くいきません。

なぜなら最初から自身の適正が何かなんて誰にも分かりません。
何でもやってみるという行動は絶対に必要です。

やってみて新しい適正を発見する意味でも
努力という行動は決してムダではありません。
…というより多くの場合がムダに終わります。


「効果的な努力の方向」を運よく一発目から引き当てるなんて
本当に運が良いことで一生見つからない場合も往々にしてあります。

多くの凡人が適正を見つけられずに諦めていくもの。
適正に出会えるだけである意味幸せなことと言えるかもしれません。


コツコツ努力したって叶わないものは叶わない。


人間なんて所詮が100年程度の寿命です。
努力は美徳だなんて1万年時間がある人が言うセリフ
努力すれば必ず叶うという発想はウソではありませんが、
とても限定的です。

正しい努力の先にこそ手に入れたいものが手に入ることを
声を大にして伝えていかなければならない。
間違った努力では
目標に対して確実に届かないということを
教えてあげることが真のやさしさであり思いやりと言えます。


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