共働きで5歳0歳を育てる私に起きた「家事のパラダイムシフト」
子どもが生まれてから5年。仕事家事育児とやるべきタスクや時間に追われる生活に一変。
どれもが中途半端な気がして、がんばっているのに報われなさを感じるようになりました。
そこで、家事は夫婦で分担することで少しずつ肩の荷が降りていく感覚になったことを覚えています。
今日のnoteは、わたしに起きた家事に対するパラダイムシフトについて書いてみようと思います。
家事という生活能力がない人の末路
共働きのいまの時代、夫も家事して当然!という風潮がありつつも、やっぱり夫が家事をやっていると言えば「すごい」とか「えらい」とかよく言われます。
まだまだ家事=女の仕事という文化は根強いし、自分自身も潜在的に家事を分担しているというより手伝ってもらっている感覚があったのかもしれません。
でも、よくよく考えてみれば男の人も立派な大人です。子どもと同じように、できることは自分でした方が夫婦関係にとっても夫自身にとってもいいと思うのです。
なぜなら、家事は生活能力だから。
いくら仕事ができても生活能力がなくては生きていけないことを痛感した出来事があります。
学生時代ローソンのアルバイト先で出会った常連さんのことを時々思い出します。
いつからお風呂に入っていないかわからないような臭いも身なりも恐ろしい70代くらいの男性がいました。
歴の長いパートさんによると、その男性は、20年前はピシッとしたスーツを着て毎朝ローソンに新聞を買いにきていたというのです。
パートさんは「奥さまを先に失くされてからよ。やっぱり男の人はだめね」と言っていました。
妻がすべての家事を担っている場合、残された夫が辿る末路はとても残酷でした。
家事にフラットに向き合う
2度目のパラダイムシフトは、家事に意味や感情を求めなくていいということ。
わたしは、一時期家事ができていないとモヤモヤするのに、家事ばかりしているとまたもやモヤモヤしていたことがありました。
どれだけ家事を手放したとしても、どれだけ完璧に家事ができたとしても、結局モヤモヤするんじゃないかって思ったんです。
あるとき、『どんな仕事も楽しむ!』をモットーにしている夫に家事も楽しめるか聞いてみました。
すると、「家事は楽しめない。というかなんの感情もなしにやってる」という答えが返ってきました。
楽しいという感情もなければ、しんどいとかめんどくさいという感情もない。ただ、生活するためにやらないといけないことだから淡々とやるというのが夫の家事の位置づけのようです。
仕事でも家事でも育児でも、自分のすきなことやりたいことばかりができるわけではないですよね。
そんなとき、やらなくてもいいことなら手放せばいいし、どうしたってやらなくてはいけないなら、無感情にただ淡々とやる方法もあるのかとパラダイムシフトでした。
自分が楽しいこと好きなことは全力で。嫌なこと、嫌いなことは手放して。どうしてもやらないと生きていけないことは淡々と。
ラクに楽しく生きれるシンプルな方法のような気がしました。
まとめ
家事は、ジェンダーバイアスや生育環境から思い込みを持ちやすいものだと感じます。
家事=女の仕事に捉えられる言葉に敏感に反応したり、感情的になっていたわたし。
家事に一喜一憂したり、振り回されていたわたし。
そんなわたしが共働き5歳0歳を子育てしながら、夫と家事分担をするようになり、だいぶフラットな目線で家事と付き合えるようになってきました。
みなさんは、家事分担の気づきはありますか?
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