何者かになれたわけではないけれど、大事なことを見つけました。
私には、これは極めたと言えるものがない。
興味があってハマった時には、これを極めようと意気込みだけはいいものの、少ししたらまた別のものに興味が移ってしまいます。
学校の成績でも特に悪い教科もなければ、いい教科もありませんでした。
これだけは、誰にも負けないというものがないことに、何者にもなれないコンプレックスのようなものを感じていたのです。
そんな秀でたものがない平凡な私の得意とすることはなんなのだろうと模索し続けてきました。
自分の強みを探す本を読んでみたり、自己分析の問いに答えてみたり、家族に聞いてみたり。
なかなか見つからなかった自分のことが、noteを1年半続けるうちに、少しずつですが光が見え始めていました。
何者かになる必要はない
昨日のマツオカミキさんのツイートを読んで、ストンと腑に落ちました。
自分の原動力は、何者かになることではなく、変化や成長にワクワクし続けることだということだと気づいたのです。
日常の中でどれだけ楽しむかを工夫することは、得意かもしれない。
生きていれば楽しいことばかりではないけれど、やらなければいけないめんどくさいことを、いかに楽しく、そして、学びや気づきに変えていくか。
その手段の一つがnoteを書くことでした。
そして、私の気づきが少しでも誰かの考えるきっかけや、肩の力を抜くきっかけ、楽しめるきっかけになったら、こんなに嬉しいことはありません。
同時に、誰かの日常で得た気づきにもハッとしたり、ほっこりしたり、励まされたり。
そこに何者である必要なんてないのだと思えました。
言葉にする力
noteを書いていて、どんなスキルが身についたのか。
それは、文章力とはまた違う、言葉にする力だと思います。
自分はどんな感情を抱いて、何を考えていて、何をしていきたいのか。
これがぼんやりとしていたから、自分の歩みたい方向性があちこちと変わって迷子になっていたのです。
noteで文章を毎日書いているからといって、文章の先生にはなれないかもしれないけれど、自分の本当にやりたいこと、目指したいことは見つかるはず。
遅すぎると思われてしまうかもしれないけれど、やっと自分のことを理解し始めたように思います。
続けること
何かを極めることって、どこまでいけば極めた認定がもらえるのかはよく分からない。
それは、きっと続けることでしか分からないのだろうとも思います。
私は、noteを続けること、毎日文章を書くことをとにかく続けてみようと思うんです。
きっと私にとって一番大事なことだと思うから。
何者かになりたかった自分は、もういません。
どんな感情になりたいのか、なにを届けたいのか。
この目標に向かって進んでいきたい。
マツオカミキさん、素敵なツイートをありがとうございます。
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