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noteが教えてくれた、自分の行動に意味をつくる方法

noterの皆さんは、noteをなんのために書いていますか?

私は、ふとこのままnoteを書き続けて意味はあるのだろうか…と考えたことが数えきれないほどありました。

でも、noteを100日、200日、300日と書き続けてきて、noteを続ける意味が積み重なってきたように感じています。

意味は自分の中にある

そもそも何かをする意味なんて、自分にしか見つけられません。

同じことをしていたって目的は人それぞれ。

noteを書くことも、仕事に繋げたいからとか、文章スキルを上げたいからとか、ただ楽しいからという人もいるでしょう。

働く理由にしても、ただ生活費のために働いている人もいれば、自分の好きなことのために働いている人もいるし、誰かを救いたいという信念を持って働いている人もいますよね。

どんな理由であれ、行動したことに意味のないものなんてないけれど、意味がないと言ってしまえば意味のないものにもなり得ます。

最近、読んだ『イシューからはじめよ』という本にこんな言葉がありました。


脳は「意味のあること」しか認知できない。「意味がある」と思うかどうかは、「そのようなことが意味を持つ場面にどのくらい遭遇してきたか」によって決まる。

イシューからはじめよ

noteを書く意味を言葉にすることの大切さを痛感しました。

アハ体験が起きやすくなる

noteを毎日書くことが、自分の習慣として定着するともう一ついいことがありました。

それは、頭では分かっていることやよく耳にすることなどが、急にこういうことか!と腑に落ちるアハ体験が起きやすくなったこと。


本やVoicyで読んだり聞いたりしていても、noteでいうとこういうことかと理解しやすくなったのです。

例えば、noteを200日書いて気づいたことは、noteがアンラーニングになっているということでした。

noteをしていなかったら、外国に住めばアンラーニングが体験できるのかな?くらいにしか思えていなかったはず。


450日書いて気づいたことは、もっともっとシンプルでした。

書くことは、生きること。

この気づきは、経済学者の成田悠輔さんが、「報われないのにずっとやり続けることが1番人の本質的な振る舞いであり、根本的な欲望の1つ」とおっしゃっていて、思ったこと。

1日1日、1記事1記事書くことの意味を見出しているかのようです。

それが生きることの意味に繋がっていると思うのでした。

書いてみて気づいたこと。

行動していれば、意味なんてあとからついてくる。

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