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考えることについて考える

「考える方が幸せなのか」という川野さんの記事が最近、息子が保育園で直面した壁や夫との会話でタイムリーな内容だったので今日はそのことについて書きたいと思います。

私には幼少期から根本的に変わらないことがあります。それが、考えてしまうタイプということ。

なぜ、それをする必要があるのか?
やらなければ何が問題なのか?

みんながやっていたとしても、やりたくない時や納得できないことはやらないという選択も取ってきました。

そんな私に似てなのか、3歳の息子もこだわりが強く頑固な性格です。

例えば、遠足や運動会などの行事以外では体操服を着たくないとか、保育園の部屋以外ではマスクをつけたくないとか。

彼なりに行事の時に着る体操服や保育園の部屋でつけるマスクには折り合いがつけられています。

大人からしたら、どっちでもいいでしょと思うような些細なこだわりの中にも息子からするときちんとした理由があるのです。

・体操服の感触が好きじゃない
・お気に入りの服が着たい
・お気に入りのピンクのマスクじゃないとつけたくない
・いつもと同じルーティンでいつもと同じ場所でマスクをつけたい
・マスクは鼻の下に位置していないと気持ち悪い

みんなしているからとか決まりだからでは納得できないことに先生からは、「何と戦っているんでしょう。簡単なことだからできるはず」と言われてしまうこともしばしば。

彼の葛藤はあまり人から理解してもらえないようです。

反対に夫は幼少期は考えていなかったタイプ。

やらなければいけないと言われることに疑問すら持たなかったそう。

考える時にはどうしたら楽しくやれるかという視点だったので、嫌嫌やらされていた感覚もなかったようです。

そんなふうに考えられるのなら何も問題はありませんが、私や息子のように考えてしまう人からすると、1番危険なことは、疑問や違和感を抱えたまま、順応してしまうこと。

夫は本当の意味で私たちに共感することはできなくても、息子の気持ちを尊重し、そう考えてしまう子だと理解してくれています。

人は十人十色。みんな違ってみんないい。そう思ってくれる人が増えたらいいなと願うばかりです。

大人になれば環境を変えることは簡単になりますが、幼少期は保育園や学校を変えることへのハードルはかなり高い。

そして、場所を変えても同じである可能性も高いと感じています。

それでは、こだわりが少なく考えない方が幸せなのではないかと考えたことは、今までに多々ありました。

でも、考えてしまう私が考えないことは自分が自分でなくなってしまうような気がして少し恐怖も感じます。

息子のこだわりも息子らしさ、息子の個性なのです。

私も息子も自分はこう思うという自分の感情や思考に悲観することなく、ありのままの自分、それも個性だと思える場所を見つけられることが幸せなのだと感じます。

考えてしまう自分だけでなく、どんな自分も受け入れられると生きやすくなりそうですね。

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