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大学受験に向けた国語の話

こんにちは、これが96本目の記事となったすうじょうです。さて、今回は自分の経験や思いを語るエッセイです。内容は、タイトルの通りで私の学生時代の記憶について思い出しながら話していきます。これは、今まで別の記事で話した国語に関する話のまとめ的な立ち位置です。つまり、前回の「私と英語」と同じコンセプトです。その記事一覧は以下に埋め込みました。

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私は、約1か月前に私流の文章の読み方について話しました。そこで、高校時代の国語での問題の解き方などに一部触れました。それを深く掘り下げていきます。

一般的に理系は、文系科目が苦手な方が多いという噂を聞くが、自分の場合は国語はマーク試験だけで、文で解答する問題が入試本番でなかったので特に悪いことはなかった。現代文に限っていえば、そこまで苦手ではなかった。一方、別の文系科目の社会はというと、自分の学校は地理一択だったが、全然できなかった・・・暗記が多いかもしれないが、世界史とかならもっと高得点をねらえたかもしれないのに、と愚痴を言おうと思えばできるが、本題からそれるのでここではこの程度とする。

さて、国語と言っても現代文、古文、漢文があるので、純に話していきます。

まず、現代文ですが文章の読み方の話からします。私は、文章を読むとなれば、最初から最後まで全文きっちり精読しています。私の場合の精読は、頭の中で場面を想像しながら読み進めていくことです。なので、長い文章の場合、読みきるのに時間がかかってしまいます。また、このせいで誤字に気づきやすいのですが、今回は国語の話なので触れないことにします。(詳しくは、上の記事にて)ほとんどの人は飛ばし読みをして要旨だけしか理解しないそうですが、自分は速読がやや苦手です。できたとしても、数文しか飛ばせないと思います。日常生活で読む必要のないものまで全文読んだりはしていません。これは、読んで内容を理解するとなったらの話です。

さて、文章の読み方の話を終えて、具体的なことを言っていくと、現代文には随筆・論説と小説の2種類が入試センター試験にはありました。過去問演習の結果からいうと、どちらかというと、小説が得意でしたがたまにまったくダメなときもありました。それに比べると、評論は安定してそこそこの点数を取っていました。問題の解き方は、設問を読んでから入るなど様々な形がありますが、私はまずちらっと問題を見てその問題数と最終問題の形式を見てから、読み始めました。そして、文章を精読して傍線部が出ていたら問題に飛んでというのを繰り返して解いていました。例えば、漢字や語彙問題、傍線部の意図・心情問題があるたびに問題文を確認して、答えを検討しているということです。そのために飛ばし読みをしている人に比べて読み切るのに時間がかかっているかもしれませんが、それでも構わない、正解数が多ければいいんだからと割り切って解いていました。ただ、センター試験とその模試の国語の文章は、時間の都合で仕方なく、数文だけ飛ばして読むことがありました。私は、難関大、有名大ではない普通の理系ですが、センターの本番、過去問演習以上の成果が出て、評論・小説合わせて8割取れていました。

私流の精読を現代文に適応して説明すると、抽象的な文章や科学系のものはあまり想像せずに、地の文のまま解釈しています。そして、その他エッセイ、随筆、小説においては、主人公あるいは主観の人と視点を共有しながら文章を体験している形で読んでいると思います。視点を共有というのは、自分がその状況に置かれているとして、そして主人公などの行動どおりの行動を想像し、物語の主人公に頭の中でなりきっているということです。ただし、このときに価値観の違いによる問題は生じず、文章に忠実に体験しています。正答率を計算していないので、なんとも言い難いですが、そのために登場人物の心情問題は得意だったのかもしれません。

補足ですが、小説の問題でそれらしい誤答に引っかかる可能性もありますが、そこはしっかりと考えて解くことにして避けています。

次に古文です。古文は、以前書いた「私の高校時代の先生の話」におけるD先生、E先生のおかげで最低限おさえておくべき助動詞・文法は覚えましたが、それ以外の古文単語の暗記がうまくいかず、古文の意味を正確におさえることができていませんでした。英単語のようにうまくいかないのは、現代語が邪魔をしていたからだと思っています。D先生の授業で有名な古文文法書である数研出版の体系古典文法に書き加えたり、マーカーで印をつけていました。そして、E先生の授業で重要語彙や頻出文法事項を何回も取り上げることで自然と覚えました。なぜかというかやる気の問題だったと反省していますが、古文はあまり自主勉をしませんでした。それでも壊滅状態を避けれれたのは、この2人の先生のおかげだと思っています。

上の記事でもあげましたが、当時のメモを見てその一部を挙げると、「にけりのには完了」、「にやあらむのには断定」、「未然形+ばはならば、已然形+ばはのでかしたところ」などです。前の2つについては、E先生の授業でしつこいくらい繰り返し聞いていたので覚えてしまっていました。最後の1つは、E先生も言っていましたが、高1のときのD先生の授業で印象的だったので覚えていました。けれどもセンター本番は、6割しか取れませんでした。十分だと思われる方もいるかもしれませんが、私の国語全体でみると足を引っ張っていました。

最後に漢文です。先生は、古文と同じで以前書いた「私の高校時代の先生の話」におけるD先生、E先生です。特にE先生のおかげでかなり漢文の得点を挙げられたと思っています。古文では意味を押さえられていなかった私ですが、漢文ではそのような問題はあまり起きていませんでした。古代中国語の漢字の羅列だったからでしょうかね。おおよその意味はおさえられていました。たまに意味が分からない部分もありましたが、なんとかなっていました。E先生の授業で漢文文法書である桐原書店の漢文必携にマーカーで印をつけていたり、重要なページの確認をしました。そして、E先生の授業で古文同様に重要語彙や頻出文法事項を何回も取り上げることで自然と覚えました。また、3年の夏に数回に分けて、ノート5ページに及ぶ句法の確認という名のまとめを行いました。このページは受験まで重宝しました。古文と同様にやる気の問題だったと思っていますが、漢文もあまり自主勉をしませんでした。それでも比較的マーク問題は解けていました。記述型の傍線部訳の問題は、間違えたりしていましたが、マークの場合選択肢から検討すればよく比較的得意でした。

古文同様に、E先生の確認事項の一部を当時のメモを見てみると、「ぶ(不否定語)が上につく方が部分否定」などの文法的重要事項の反復確認でした。センター本番では、なんと9割取れていました。おかげさまで全体で8割にすることができ、古文の失敗を隠すことができました。国語全体では、高得点にできたので、安心しましたが、古文の自己採点のときは焦りました。

以上が、大学入試に向けた私の国語の実際と高校時代の反省について話しました。この前の「私と英語」に比べると、かなりの部分が新情報なので、書くのに時間がかかりました。これから、継続学習の大切さをよく学びました。みなさんは、このようなことにならないようにやる気が出なくてもしっかりと勉強しましょう。

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以上、私の記憶を伝えるエッセイでした。では。

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