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子どもたちの眠る場所ー京都国際写真祭ーKYOTOGRAPHIE 2024

今年で12年目を迎えるKYOTOGRAPHIE(京都グラフィー)。
春の京都に「写真祭」という文化としてすっかり根付いたように感じます。

KYOTOPHONIEというミュージックフェスティバルが始まったり、KG+という公募型の展示会場が100カ所を超えて開催されるなど、京都の街とアートがゆるやかに繋がりながら、表現者の舞台が広がっていると感じます。

そして何より「見る側の人間」にとって、敷居が低く入りやすいアート環境であることもまた素晴らしい。運営側の優しい意図を感じずにはいれませんし、日本においてまだこの規模で成されているイベントは多くはないと思います。

13年前、私が京都企業の広報として働いていた時に、KYOTOGRAPHIEの代表、仲西さんが来社され、新しい写真祭の構想を聞かせてくださいました。
・・・何やら京都で新しい事がはじまろうとしている。ゼロから何かが生まれようとしている。
広報部長と私は、仲西さんの穏やかな口調ながらも「描く夢を必ず現実のものにする」という決意に感激したことを覚えています。そして初回からスポンサーとなりました。

それからほとんど毎年巡ってきた KYOTOGRAPHIE。
ある時は取材として ある時は取材される側として。
独立した後はサポートスタッフとして携わっています。

この記事では、
子どもたちの眠る場所 ジェームス・モリソン
会場:京都芸術センター

の展示についてのレビューをさせていただきます!
ジャーナリズム色の強いこちらの展示は、ダイレクトに現状を目の当たりにさせられ、心を揺さぶります。

世界中のさまざまな境遇にある子どもたちのポートレートと寝室を撮影。子どもたちに影響を与える社会の問題、経済状況や親の価値観などを通して、子どもを取り巻く環境にまなざしを向ける。

公式パンフレットより引用

日本、アメリカ、モンゴル、ボリビア、ウクライナ難民キャンプ…
世界中の子どもたちの寝室と、ポートレートの展示です。
世界で起きている事象の一片を、子どもたちの生活という視点を通して知ることができます。

この展示会で紹介されている子どもたちは、まだ自分の意志や力で暮らしを選ぶような年齢ではありません。ですので、多くは大人たちの影響下で作り上げられた「眠る場所」です。

溢れるばかりのおもちゃで満たされた裕福な家
ゴミ捨て場脇で間借りし、床からは汚染物質が染み出るような家
宗教や政治が反映された家

写真家ジェームス・モリソンが切り取る「子どもたちの眠る場所」の表現は、非常にフラットで皮肉さや悲観的に感じる要素はありません。
だからこそ際立つ子どもたちの個性があり、生き方が見えてきます。

そして、暮らしの背景からは、気候変動からジェンダー問題、富、貧困、難民問題が垣間見えます。

しかしながら、傍から見て一括りに「問題」と言ってしまうものって、実際当事者になるとそれは「問題」なのだろうか。と展示を見ながら考えました。
本人にとっては、問題ではなく「日常」という色合いが強いのではないだろうか。

裕福であれば幸せなのだろうか。
貧困であれば不幸せなのだろうか。
綺麗なものは善で
汚いものは悪なのだろうか。
何かと何かを比べるから、自分の境遇にランクを付けてしまうだけなのではないだろうか。

優劣ではない。
優劣ではないんだけれども、同じ地球に生きる者として見過ごしてはいけない現実があることをメッセージとして受け取った展示でした。


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