Dr.タカフミ

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最近の記事

#51 悩める人間

All things come to those who wait 日本にも多くの類似した表現がある 果報は寝て待てという諺がある 出来るだけの努力したあかつきには、良いことは待つ者のところに訪れるということ 人事を尽くして天命を待つ 自分ができることは最善を尽くして、結果は運命に任せるという意味 待てば海路の日和あり たとえ悪いことが続いていても、待っていればいい日がやってくるという意味である  この3者のベースには頑張りや努力がある しかし「棚から牡丹餅」という似たような

    • # 50 悩める人間

      コロナ禍でオンライン会議に慣れてしまった。これからも、これでやりたいし、わざわざ出向くのは勘弁してほしい。 要するに、面倒臭いのだ。 ザックリであるが「面倒臭い」について考えてみたい。 漸進法で進める。 1。学会や会議に出席するのは対面の良さがある。 2。何が良いのか?面倒臭い割に効果がない様に思う!無駄な会議も多かった。 3。リモートでの打ち合わせはコロナ禍では普通になっていた。それは世界の趨勢でもあった。しかし、マグニフィセント7と呼ばれる世界に名だたる大企業も、post

      • # 49 悩める人間

        どんな人でも、一気に暗くなる 『君も必ず死ぬんだよ』と言われると。 死に対する恐怖について考えたい。この問題はあまりにも深くて、どこまで掘り下げられるのか? 漸進法で進める。 1。数年前に僧医の講演を聞いた。医師であり禅宗の僧侶である彼、曰く「死ぬことは怖いとは思わない。天寿をまっとうすると、意外に思うかもしれないのだが、死に直面しても、気持ち良く死を迎えることが可能だ。僧侶はそれを知っている。死期の近いことを悟ると、自ら食事を取らなくして、早めることもある。」 2。それは、

        • # 48 悩める人間

          自己愛について#47で思考、自己愛と進歩が幸福につながった。しかし、自己愛に関して語り尽くしていないし、神への愛についてもだ。 神への愛と自己愛は交わることのない平行線である。しかし、神への愛を最もとする人々から自己愛は公正性に欠けると指摘される。 自己愛をさらに深掘りしたい 漸進法で考える。 1。神を信ずることにより公正性を保ているのだろうか? 2。神を信じているなら、神が中心となるわけだ。自分が世界の中心であるという、不自然な立ち位置は回避できる。謙虚になれるし、公正な

        #51 悩める人間

          47 悩める人間

          自己愛、について話をしたい。これは自分にとっても自信がない、避けて通りたい話題なのだが。 漸進法で進めると、この避けたい話題も、自分の枠を超えて見知らぬ終着駅に到達するのだろう。 1。宗教は自己愛に否定的である。それは神への愛の対極だから。 2。誰もが神を信じているわけではない。しかし、自己愛という言葉は無神論者の中でも気になる。まずは、無神論者の立場から自己愛の話をしてほしい。 3。これは、無神論者と神を信じる者とでは自己愛に対する考えが違うことを暗黙の了解にしているので

          47 悩める人間

          # 46 悩める人間

          自然に向き合う様々な方法があるのだが、科学的な思考は一般的であり、頼りにされている。今回は科学的思考について考えてみたい。これについて不透明感もある。 漸進法で考察する。 1。科学的手法は論理の三要素 (三角ロジック)に沿っている。以下に示す三つの要素からなる論法である。 「主張(結論)」 「根拠となる事実(証拠;証拠物件)」 「根拠となる事実から主張を演繹/帰納するための推論過程(論拠)」 一方で、カールポパーは反証可能性を科学的基本条件と見なし、科学と非科学とを分類す

          # 46 悩める人間

          # 45 悩める人間

          日常茶飯事に遭遇する二律背反への対応、態度について考えてみたい。これによって、日本社会の実相が垣間見れるかもしれないから。 漸進法で進める。 1。二律背反はアンチノミーの訳語。あることがらについて互いに矛盾する命題が,同じように有効な基礎づけをもって主張されること。 創造的中道法は、二つの要求を同時に満足できないとき、二つの要求を入れて解決できるような「第3の道」すなわち「真ん中に道、中庸をつくる」ことで相反問題を解決する手法なのであり、漸進法と名付けている。これは背後にあ

          # 45 悩める人間

          # 44 悩める人間

          権力や力の(power)の濫用は古今東西、未来永劫に存在し続ける。これを受け入れる遺伝子が我々に備わっているのだろうか?摩訶不思議である。 力や権力などについて調べてみた。 今回も漸進法を取り入れて話を進める。 1。権力の各分野へ不当な行使は続いている。それが世界の秩序を乱しているのではないだろうか? 2。昔から、権力は秩序を乱してきた。その乱れが新たな世界、新たな秩序をもたらしたのだ。 3。権力がまるで進歩の立役者のような意見だ。力は後退をもたらすこともあった。ローマ教皇

          # 44 悩める人間

          # 43 悩める人間

          心や意思や欲望が社会生活で大きな役割を果たす。これは理性が果たす役割より重要と言う人がいる。何かしら気になる! 今回、このテーマを漸進法で考えてみた。 1。現実にそれが大きいとはいえ、理性が果たす役割を凌駕しているのかは甚だ疑問だ。 2。社会で、コミュニケーション能力とか人付き合いは重要であり続ける。理性的だけどお付き合いしたくない人もいる。 3。それは公平な考えではない。極論でもある。 4。人間の意思は心と直結しているので、どうしても好き嫌いが出てきて、公平感が保てない

          # 43 悩める人間

          # 42 悩める人間

          さてさて、昨今の政治、裏金作りで大騒ぎだ。 再度、この問題を取り上げてみた。 ここでも漸進法で話を進めて行く。 1。野党はこの問題を自民党一党支配の弊害であり、体制の問題として政局化を計っている。 2。元々、現在の体制を正当化するものは初めからあったのだろうか? 一方で、野党の言うような体制の変革を正当化するものは何もないのではないか?現在、変化を求めるのは、単に混乱を誘発するだけではないだろうか? 3。それで日本がおかしい事になるのか?カオス到来? 4。いやそうではな

          # 42 悩める人間

          # 41 悩める人間

          虚栄心や自己愛につき、書き綴ってきた。しかし、これら知識をどの様に関連づけるのか、それは理性の役割。 ここでも漸進法で進めてみる。結論有りき話でもなく、どんな結論になるのだろうか? 1。「自己愛は実を言うと悲惨である。が、それを感じさせないというか、鈍くさせるのが、虚栄心なのだ」と断言する人もいる。 2。自己愛や虚栄心、この2つの言葉をにこだわる必要はないし、あえて否定する必要もない。資本主義の原点は自己愛や虚栄を認めることから始まっている。余談であるが、確かに虚栄心は

          # 41 悩める人間

          # 40 悩める人間

          愛という概念は?そんな話題を取り上げてみる。難解でもあり、果てしない議論が展開されてきた。 漸進法で考察した。 昔から自己愛、言い換えると自我には多くの見解がある。 大多数、否定的だ。これを邪欲とまで言う人もいた。 自己愛はそれを指摘されると、猛烈に反発して、指摘者を抹殺する場合もある。その激しさの余り、多くの人は嫌悪感を抱く。極端ではないとしても、感性が拒否反応を示す。 だから、自己愛を見せない様に振る舞う。一見ジェントルに見えるのだが実は虚栄的である。 自己愛であろう

          # 40 悩める人間

          # 39 悩める人間

          昔は、虚栄心が職業選択の主なる動機だったと言われている。 現在は職業選択に多様性があるし、階級意識が少なくなった。とはいえ、その選択に虚栄心が関わる確率は高い。 民間で親会社と下請けでは上下はある。行政ではそれが顕著で、ヒエラルキーを形成している。 だから、上の立場に立ちたいと言うのは自然だ。これが虚栄心と連結、結びつくのも宜なるかなだ。 これって、何も人間だけではない。猿のマウンティングも似たり寄ったりではないだろうか。 そもそも、虚栄心とは、高等動物にある自分のことを実

          # 39 悩める人間

          # 38 悩める人間

          地政学的リスクが高まっている。そこで、今風の権力と正義について考えた。 権力と正義は必ずしも一致しない。権力は統治能力があるので、否応なしに人を服従させる。一方で、正義については力が備わっていないので、それが正か否か、批判や異論が噴出してくる。否応なしに従える力は備わっていない。 人は生活しなくてはならないし、生きてゆかなくてはならないので、正義と権力の2者択一では権力を選択す確率が高い。 しかし、正義は長い目で見ると人間を導いてゆく。常に悪徳との戦いがあるのだが、長期的に

          # 38 悩める人間

          # 37 悩める人間

          今回は想像力について考えてみた。これは知っているつもりでも知らない自分に気づかせてくれる。 愛執(あいしゅう):欲望にとらわれて心が離れないこと。愛着(あいじゃく)とも言う。 理性的な魂は個々にとらわれずに、バランスを重んじるので、愛執を抱く事は無い。 だが、一見は何かしら鈍感で、ザックリで、いい加減な性格にも映る。 日本では「いい加減」と言う言葉は「おざなり。無責任」とされ、日の目を見ない。しかしながら、世界標準で考えると、理性の本質に迫る意外性のある言葉なのかもしれない

          # 37 悩める人間

          # 36 悩める人間

          次に、挙げるのが、ヨーロッパの修道院を巡る話だ。テレビは神に身を捧げ、禁欲の生活をする修道士、修道女に畏敬の念を抱く様に作られていた。だが、気になったのは、豪華な壁画や彫刻の数々、何か質素な生活とは違う。 調べて見ると、修道院はトップが教皇の指名した貴族であり、吸い上げた金をローマ教皇に上納する支部の役割を果たしていた。 中世ヨーロッパの修道院の土地所有は想像を絶する。 イングランド全土のほぼ4分の1が、大小800あまりの修道院の所有になっていたといわれ、そこからの収益は国

          # 36 悩める人間