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「本物を知ること」は、本物を見なくても可能だ 〜 古典彫刻模型博物館(ドイツ・ミュンヘン)編

本物を現地で見る。

私の「アートの聖地巡礼の旅」のキーワードだ。

正直言って「本物」が持つパワーは、計り知れない。ましてや、現地で「本物」を見ることは、誰にとっても最高の体験だ。

こんなことを書いておいて、しかも、これから旅の備忘録を様々な形で書いていくつもりなのに(先日書いたように)「その前」にどうしても書かいておかなければならないことがある。

それは、本物を現地で見るために旅を重ねてきた私が「本物を知ること」は、本物を見なくても可能だ、と気づいてしまった体験だ。逆説的なようだけれども、旅することすら難しい今、これを記録することに意味があると信じる。

* * * * *

某月某日、ドイツのMünchner Haus der Kulturinstitute(ミュンヘン文化研究所)へ仕事で訪れた。

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ミュンヘン文化研究所内には、複数の研究機関があって、その中には、Staatliche Graphische Sammlun(州立グラフィック・アート・コレクション)や、Zentralinstitut für Kunstgeschicht(美術史中央研究所)もある。

ただ、現地へ行くまで同じ建物内(ミュンヘン文化研究所内)にMuseum für Abgüsse Klassischer Bildwerkeがあることは、知らなかった。直訳すると古典彫刻模型博物館で良いのだろうか(*1)。その名の通り「本物」の古典彫刻がない博物館だ。そのかわり古典彫刻の模型がずらーっと並ぶ。

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ただ、博物館とはいえ、残念ながら、私が信頼しているガイドブック、『地球の歩き方』『Lonely Planet』『Michelin Green Guide』にさえ、紹介されていないし、ミュンヘン文化研究所の中にあるので、観光客は、ほぼゼロだ。まあ、ミュンヘンまで来て、模型を見ても意味ないよと最初は、思っていた。

しかも、前述の様々な研究機関の学生達によって、模写されたり、着色されたり、こねくり回されている彫刻が多かったので「ローマン・コピー(古代ローマ時代にギリシア彫刻を模刻した彫刻)も、コピーは、コピーです!本物を見なさ〜い!」なんぞ、学生達へ力説していた私は、拍子抜けしてしまった。

例えば、本物じゃないから、《プリマポルタのアウグストゥス》(本物はヴァティカン美術館所蔵)のどんなに近くで写生しても問題ない。ちなみに、下の画像、向かって右側が《プリマポルタのアウグストゥス》ね。

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なんと、ローマ皇帝の髪型を研究しているコーナーもある。ローマ皇帝の彫像の名品を髪型別に並べてしまう、こんな展示も模型だからお手のもの。

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古代ギリシア彫刻が彩色されていたことは、考古学的に知られている(あのパルテノン神殿も極彩色だった)けれども、ここ、ミュンヘンでは、コレー(古代ギリシア時代のアルカイック期の少女像の名称)も、模型だもの、当時のように彩色してしまうのだ(真ん中のコレーの本物は、ギリシア・アテネの新アクロポリス美術館に所蔵されている)。

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いや〜面白い。アートが生きている。本物じゃないのに生き生き見える。

模型でも意味があるんだなと感心しながら、その場をまさに立ち去ろうとした瞬間だった。アートの世界で仕事して、初めて衝撃を受けた模型があった。それが、下の画像、左側の奥に見える《ファルネーゼのヘラクレス》の模型だ。ギリシア神話のヒーローの一人、ヘラクレスは、持物(アトリビュート)であるライオンの毛皮と共に描かれるのですぐわかる。

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何に衝撃を受けたかというと、その大きさだ。「え、こんなに大きかったの?」と本当に驚いた。

1546年にローマのカラカラ浴場で発見された《ファルネーゼのヘラクレス》は、紀元前4世紀の古代ギリシアの彫刻家リュシッポスのブロンズ像を、古代ローマ時代に大理石で模刻した作品と考えられている。しかも、この《ファルネーゼのヘラクレス》は、私の嫌いなローマン・コピーだけれども美術史の中では、有名な作品で、現在、ナポリの国立考古学博物館に所蔵されている。

《ファルネーゼのヘラクレス》も大小のバージョンの模刻があるが、ナポリの国立考古学博物館所蔵の作品は、3.15m(*2)ある(オリジナルのブロンズ像を拡大して模刻したのではないかという説が有力)。

「3.15m」を含めた机上の知識だけで《ファルネーゼのヘラクレス》を知っているつもりだった。でも、私は、その作品を「本当の姿」として知らなかったのだ。つまり、模型であっても《ファルネーゼのヘラクレス》の実寸大の大きさを「体験する」ことによって、はじめて頭の中の知識とイメージが結びついたのだった(*3)。

それは、作品の知識が、本当に自分のものになった瞬間だった。つまり、本物を見なくとも「本物を知る」という意味を学んだのだ。

理想をいえば、ナポリの国立博物館で本物の《ファルネーゼのヘラクレス》を見るのがベストだろう。遠い昔にナポリへ行ったことは、あるのだが、お恥ずかしながら《ファルネーゼのヘラクレス》の記憶がない。それでも、今回のミュンヘンでの体験によって、私の知識の中で《ファルネーゼのヘラクレス》は、限りなく本物に近い姿で存在するようになった。

その後、調べてみると、私がミュンヘンでみた模型とは、別の《ファルネーゼのヘラクレス》の模型が英国ケンブリッジ大学所属考古学美術館に所蔵されていた。その公式サイトで興味深い言葉を見つけた(*4)。

Every cast tells two stories.
One ancient. One modern.

そして、この体験から日本のある場所へ行くことを決めた。

続く。

* * * * *

NOTE:
*1.「Abgüsse」は、英語だと「casts」になる。直訳の「鋳物」というのも何か変だ。「a plaster cast=石膏模型」になので、ここでは「模型」と訳した。Museum für Abgüsse Klassischer Bildwerkeの公式サイト(文字化けに注意)。


*2. 英国ケンブリッジ大学の考古学美術館所蔵の模型《ファルネーゼのヘラクレス》の解説では、「3.15m」。ウィキペディアでは、「3.17m」。

*3. 古典彫刻模型博物館内に展示されている模型は、全体的にほぼ実寸大と推測出来たので、撮影した《ファルネーゼのヘラクレス》も3m近いと推測されるが、キャプションを撮影出来ず未確認。

*4.*2と同じ英国ケンブリッジ大学考古学美術館のサイトより引用。cast=模型か鋳物が日本語に近いと思うのけれども、訳は、各自ご自由に。

(ヘッダー画像は、著者が撮影したドイツ、ミュンヘン、Museum für Abgüsse Klassischer Bildwerke)