45歳からの独立
今現在僕は45歳。もういい年だ。子供の頃はこのくらいの年になったらどっしり構えていて、余裕のある日々を送るのだろうと思っていた。
それが、現実は全く違った。
この年から挑戦を始めようとしている。
45歳からの独立というと長い間積み上げたキャリアを使い、自分で会社を作るというパターンがあると思うが、自分自身が進む道はそういう方向ではない。
・僕が積み上げたキャリア
僕が地元島根にUターンし勤めた先は福祉施設だった。介護施設で介護士として5年、障がい者施設で3年、合計8年間。すこしずつキャリアアップはしていて、現場で求められなくはない。
高齢化社会のど真ん中、過疎地の島根で必要とされる職種であることは間違いない。
しかし、この業界からは身を引いた。
・なぜ福祉の業界を去ったのか
一番の理由は一緒に働く人たちとのビジョンの差であったかも知れない。僕は働いた現場で未来のビジョンを話す機会はほとんどなかった。僕はまずビジョンを描き、そこに価値を感じ走り出すタイプ。ビジョンが無ければ、どこをどう進んでいいのか分からない。
福祉の現場にいると、そんなこと考えず手足を動かせというような風潮を感じる。それも大切だが頭も使いたい。創造的なことが好きだ。
更に、もう一点は自分の生み出す付加価値について。福祉の仕事をしていた時も基本的に勤務時間というのがあり、時間を拘束される。会社員にしてみれば当たり前のこと。時間を捧げ、その間の労働力の対価で給料をもらう。
ベースになっているのは「時間」だ。時間を売っている。
その時間が自分にとって我慢の時間でなければ、時間を売った感覚にはならない。しかし、僕は売っている感覚だった。つまり我慢料金だった。仕事が終わり、自由になると解放された気がしていた。
これってなんだろう・・・飼われている?我慢してその代わり、月に一度給料をもらって、それで生活して、我慢して・・・これを繰り返す?あと何年?
・このループから抜け出そうと思った。
そう、何と言ってもこのループから抜け出そうと思った。
それが僕が独立を掲げた一番大きな理由。
このループを抜け出さない限り、次の人生が開けない気がした。
独立・・・いったい何からの独立を意味しているのか?
そんなことを考えていたら「尾崎豊の卒業」をフレーズを思い出した。
この支配からの卒業、この戦いからの卒業。
僕の独立は尾崎の卒業に近いかも知れない。この社会のルール、仕組みに飛び込んで、一通り経験して、そこからはもう卒業。
今までのルールや価値観の外でもう一度新しい人生を始める。そんな感覚だ。
僕にとっては今、このタイミングで進路を決めた。これは人によって様々だろうし、どのタイミングが正解かなんてわからない。
でも、間違いないのは「民泊すさのわ」のことを考えているとワクワクするということ。民泊事業や地域振興、お金のこと、人との繋がり。それらを会社員という枠組みではなく、僕個人で考え動かし始めるようになると、今までの人生経験すべてが、役に立っているような気がする。
・45歳からの独立
正直45歳からの独立は遅いと思う。でも僕にとってはこのタイミングだった。あとは、時代の流れもある。今年立て続けに、大企業が終身雇用の限界を訴えるようなコメントを出した。45歳以上の社員を雇い続けることに限界があると。これも時代の流れを見れば納得が出来る。大企業こそ新しい付加価値の創造が求められる時代。時代はAI,Iot,・・・とデジタルに大きく舵を切っている。大きな方向転換、この変化についていけるのはデジタルネイティブの若い世代。僕らの世代とは価値観、考え方が違う。彼らが新しい世界を作っていく。
会社からお荷物となるような年代になってきた僕ら世代。このまま会社にいてもポストは狭まるし、若い世代は台頭してくるし・・・それなら飛び出そう!そういう気持ちもあった。
・日々を記す
そしてこの時代面白いのは、SNSなどを使って日々を記せること、残せること、共有できること。
現在進行形で進んでいる事業の動きをリアルタイムで伝えることも出来る。一つの生命体を育てるような感覚。
こうして育てていく感覚は独立して0から始めることでより深く感じられると思う。
45年自分として生きてきたからこそ、伝えられること、与えられる価値そんなものもあると思っている。
これから、それらをひとつひとつ具体的にし、形にして表現していきたい。