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いい人でいるって良い事だと思ってた②

夫と出会ってからのあれこれ

運命を変える出会いと呼べば、大袈裟に聞こえるかもしれないが、夫との出会いは、結果的に私そのものを変えた。彼が、これまで一度も自分自身を鑑みたことがなかった私に、彼と出会う前の過去まで遡って「自分と向き合う」ところまで導いてくれた。

私が夫と出会ったのは、ちょうど私が長い遠距離恋愛を終えて、心にぽっかり大きな穴が空いていた時だった。(色々勉強したところ、そういった状況で誰かと出会って恋に落ちるのは良くないみたいだが(汗)、ここでは目を瞑って聞いてほしい)

寂しく、露頭に迷っていた私はすぐに彼に惹かれ、あれよあれよと恋に落ちた。でも、今思えば彼と出会った頃の私は、本当の私を彼に見せていない。「いい子」の仮面を被り、自分を良く見せるための嘘を幾つも悪びれもなくつき、そんな仮の姿を、彼は私だと思って信じた。

彼はまっすぐだ。嫌いなものや人に対してハッキリと嫌いと言い、好きなものはとことん追いかける。いい意味で我儘だ。自分の心が一番の優先順位で、他人は二の次ということを無意識的にできている人だ。

そういう、私と全く正反対のところに無意識的に惹かれたのだろう、私たちは出会ってから5ヶ月で結婚した。

だけど結婚生活が始まり、私が仮の姿を四六時中保つことができず、彼が「本当の私」を暴き始めてから私の新婚生活は地獄と化した。

私はこれまでの恋愛同様、重たい女と化していた。自分というものを持っていない私は、どっぷり夫に依存した。すでに愛されているのに、夫にもっと愛されたくて、その確証が欲しくて、そして私だけを見ていて欲しくて、、、尚且つ常に見捨てられないか心配で。

新婚生活は泣いてばかり

彼についていた嘘も少しずつバレていく。それは当たり前のことで、私の一番近くにいつも居る彼が、見抜けないはずがなかった。

私はそれまで、噓も方便だと思っていた。とくに相手を傷つけないための嘘ならついて平気だと思っていたし、自分に関することも、ストーリーをある程度化粧して綺麗に聞こえるようにしていた。その方が都合がよかった、あんな失態やこんな失敗を、そんなに悪く無いものとして書き換えていた。でもそれは表面上だけであり、そういった出来事一つ一つに向き合って、自分の中で解決をした事が一度もなかったため、全てが私の不安定さや、人を疑う心、自信のなさ等に繋がって、私を形づくっていた。

それで夫と幾度も激しい喧嘩を繰り返した。彼についていた嘘が少しずつバレていった。その喧嘩の中で、彼の醜い部分も露呈するし、私のいい子の化けの皮も剥がれていく。嘘だけではなく、私の存在そのものの虚像がバレていく。言ってはいけない言葉で、激しくお互いを罵り合い、傷つけあった。

それは生まれて初めての、自分自身と強制的に向き合わされる時間だった。一番大切な人であるはずの配偶者にも平気で嘘をつく自分、そしてそれが当たり前になっていた自分、虚像のベール「いい子」を覆って周りの目を欺く自分、自分に自信がないから相手を疑い更に不安に拍車をかける自分…あげだしたらきりが無いくらいに。

新婚生活1年は、そんな喧嘩で泣いてばかりだった。
ある喧嘩の中で夫は私に言った。
「君にどんなトラウマがあるのかわからないけど、それを僕に背負わせるのはおかしい。君はメンタル的に相当な問題があるのに、専門家の所へ行かないのもおかしい。」
それを言われた直後、「いい子で、どんな人にも害が無い私」はその言葉を断固拒否していた。信じられなかった。そんなはずはない、私は精神的におかしいはずがない、私には問題なんてない。と。

しかし、問題が露呈し喧嘩をする度に私の精神はどんどん弱くなっていく。自分の問題に直面するだけではなく、彼からの暴言にも疲弊していった。見捨てられ不安のある私は、彼が突き放すような言葉を発する度に、壊れた。

私の新婚生活はこんなはずじゃなかった、そしてとうとう「死にたい」と思うまでの精神状態になった時、藁にもすがる思いで、まず占いに走り、そして臨床心理士の元へと駆け込んだ。心療内科に行くなんて心の病んだ人がすることだと思っていたが、そんな勝手な思いこみもどうでも良くなっていた。他人に自分の結婚生活、もとい自分の問題を人に話すときはいつも泣いていた。「いつもいい子で特に問題のない私」の像は自分の中で完全に崩れ去っていた。

でもそれは、痛くて辛くて無理やり起こったことだとしても、良かったのだ。だって、私はいい子ではなかったのだから。ずっとそれを偽装し続けて、心が悲鳴をあげているのに聞こえないふりをしてきたのだから。自分自身にずっと嘘をついて生きてきたのだから。遅かれ早かれ、気づくべきであった事に、私の場合は30手前で気づいたというだけの話

何がなんでも、彼との関係を改善したくて始めた模索だったが、それは結局、自分自身に向き合い、自分がどういう存在なのか、どういう癖や思考があるのかを知り、認め、そこから改善を行なっていくという作業だった。いわば、初めての自分自身のために費やす時間であり、それが結果的に相手との関係性を改善していくのだ。

(長くなりすぎたので)続く

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