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今日願うこと。
8月6日。
75年前、広島に原爆が落とされた日。
最初に言わせてください。わたしは「戦争」や「原爆」に対する知識は全くと言っていいほどない。学校で教えられたことをベースに、戦争映画、ドラマ。こうやって毎年この時期になると放送されるメディアから得た知識くらいしか持ち合わせてない。なので特別な意見や知識などをここで語ることはできないけれど、わたしなりの「想い」を書き記せたらな、と思います。
まず今更でしかないけれど「75年前」と聞いて思ったこと。
「え!!???最近じゃん!!!」
75年前なんてうちの祖父母はきっと生きているだろうし(ごめんおじいちゃんおばあちゃん。正確な年齢を知らない孫で・・・。)、現在アラサーのわたしが生まれたときは戦争が「40年前」くらいの話だったっていうことだよね!!?(当たり前すぎる)
でも「75年前」だと「最近だな」と感じるのに、
「戦争」と聞くとわたしには関係ないような大昔の話に感じてしまうのは何故だろう。
戦争のことを知るたびに、つらく悲しい気持ちになる。
あまりにも悲惨で泣けてくる。
「つらい」とか「悲しい」とか出てくる言葉はすべて本心だけど、
「この自分の感情は偽善ではないだろうか?」
とも感じてしまい、「戦争」という世界の歴史の中で本当に起こった出来事に対して、そんな言葉しか出てこない自分に悔しさを感じてしまう。
わたしには知識もなければ、何かを動かすような力もないけれど、戦争が
“もう二度と繰り返してはいけない歴史”であることは分かっている。
じゃあそのために、同じ過ちを繰り返さないために、わたしは何ができるんだろう。
一度「戦争」は抜きにして、まわりの身近なことで考えてみる。
どうしても好きになれない人や、苦手だと感じる人、「憎い」とまで思えてしまう人、誰だっている。
わたしも日々の生活の中で、「この人とは合わないかも」と感じてしまうことは、少なくはない。
だけど、「自分が“受け入れられない人”も、誰かにとっては“大切な人”。」なんだよなぁ。
世界中の人を受け入れて大切にするのは難しいけれど、
せめて自分のまわりにいる人に対して、思いやりを持てたら。
きっとそれは顔も見たことのない、名前も知らない、きっと今後出会うことすらない、そんな誰かの幸せにも繋がるような気がする。
海外ではまだ徴兵制度があったり、わたしがすっかり過去のことだと思い込んでいた「戦争」によって、幾人もの人が命を失っている。
「戦争」を望んでいる人なんているんだろうか。
どうか
世界が幸せでありますように。
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