信じられない!ありがとうの効果でガサツが直った!!

小林正観さんのいうありがとうの奇跡を実験しているブログです。現在、4万回を超えるありがとうを言うことに成功しています。


今日は、私のガサツな行動が直ったことについて書きたいのですが、そもそも皆さんはガサツな人と丁寧な人の圧倒的な差って何だと思いますか?


私は考え抜いた結果「音が違う」という結論にいたりました。ガサツな人は圧倒的に生活音が大きく、丁寧な人は生活音が小さいのです。



私は、元々かなりガサツで、足音だけで私が来たことが分かると言われたり、ドアを締める音がうるさかったり、とにかく生活音が大きいので



よく家族には「存在がうるさい!」



なんて叱られて大きくなりました。

ところが最近、周りの人から


「なんだか、ガサツな感じがましになった??」


と言われるようになったんです。

私としてはこれまでに何度もガサツな生活態度を直そうと思っても直らなかったのでとっくに諦めていたところを、急に何名かに同じことを言われて戸惑いました。



そして考えた結果、もしやこれもありがとうの効果か!?と思い至りました。

なぜなのか分かりませんが、最近は身の回りに溢れている音に注意がよく向くようになったことには気づいていました。



というよりも、周りに溢れている音の聞こえ方が変わってきたんです。今まで普通に聞いていた音楽に涙したことは以前も書きましたが、生活の中にある音に対しても好きな音や苦手な音があることに気が付きました。


今まで意識したことがなかったのに、お茶碗を洗う音や、化粧をする時の音、誰かの足音や、本をめくる音など、とにかく身の回りで聞こえる音に意識がいつのまにか向いており、「あぁ、いい音だなぁ」とか、「これは苦手な音だな」と思うことが増えていたんです。



これまで、誰に何度、生活音がうるさいと言われても自分では全く自覚できず、


「どこがうるさいの??」


と本気で分からずにいたのに、最近は自分が出している音が自覚できるようになり、確かにうるさいかも…?と気づけるようになりました。


そして、好きな人が出す音は心地よく聞こえたり、物を優しく丁寧に扱ったほうが好きな音が出ることにも気づきました。



そのせいか、なるべく音がしないように身の回りのものを扱うようになり、その中で聞こえる自分の出した音を楽しむようになっていました。その結果、周りからガサツが直ったように見えたのかもしれません。



これまで私は生活音がうるさいと言われたりガサツと言われる度にそれを直そうと必死に音を立てないよう努力したことがありました。でも、そもそも自分の出している音を意識できておらず聞こえていなかったんだから直りようがなかった。



盲点でしたが私は、ただ自分の出している音を聞けばよかったようです。そして、身の回りの音に敏感になったことこそがありがとうの効果ではないかと考えました。



ありがとうと声をかけると水の結晶が美しくなるというのは有名な話ですが、身体も勿論水でできているので、細胞レベルで私の体には変化が起こっているのだと思います。身体がかわっていくなかで、今まで周りにあった音まで愛しむ対象として聞こえるように感覚が変わってきた。



以前も書きましたが、世界は美しいもので溢れている。というのは私にとってのキーワードのように感じます。ありがとうの言葉のおかげで、美しい音に気づくことができた。美しい音に気づいたら自分の行動まで少し美しくなった。


きっとまだまだ、私には見えているようで見えていないもの、聞こえているようで聞こえていないものが沢山あって、それにこれからも気付いていけるんだと思うんです。その度に、やっぱり世界は美しいものに溢れているんだなって感動するんでしょうね。


それにしても、ありがとうの言葉で長年直らなかったガサツな行動が直ってしまうなんて…本っ当に凄いです!!


今日も読んで下さり、ありがとうございました!!

※このブログは2020年11月17日に記載したブログのコピーです。

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