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<再現性あり。ポイント解説。>僕が年収200万円から年収3000万円を5年間で達成した話

自己紹介

まず、私の自己紹介をしたいと思います。

幼稚園の時には、ちょっとした問題児だったようです。喧嘩等をするというよりは、集団下校時に一人で勝手に帰ったり、運動会で一人だけ踊らなかったりしていたようです。コミュニケーション能力が不足していたのでしょう。

小学校の時は、友達が少なく、学業成績は並でした。しかしながら、社会科にだけは異常な好奇心を示していました。例えば、資料集を読み漁り、大人向けの社会に関する雑誌等を読んだり、日本経済新聞を読んだり等していました。なお、いじめはなかったです。小5までは公文式に行っていましたが、全くやる気はなく、宿題もほぼしていませんでした。
転機は、小6の時でしょうか。まともな塾に通い始め、中学は公立に進学予定だったので、先取り学習等をしていました。

中学校の時は、少しは友達ができました。中学校入学時のテストでは20段階に均等に分けて(1段階12人)、1が一番よく、20が一番悪いというもので、7段階でした。
当時はそれなりに頭がいいと思っていたのでショックでしたが、それからがんばり始めて、1段階の下~3段階を行き来していました。
中学校の共通テストでは、高校は一番手の高校に70%の合格率と言われたものの、インフルエンザにかかり落ちてしまい、3番手高校に進学することになりました。

高校の時は、ショックが大きく、当初は積極的に関わりませんでしたが、次第に慣れていきました。1年目から全科目バランスよくいい評価をとっており、内申書では、3年間でA,B,C,D,Eの5段階で分けるとAでした。
模試では一度だけ、私立文系型で高校で1位を取りました。

大学入学時に、このままではいけないと考え、社交的になろうと心がけ、実際に人と沢山会うということをしました。読書量が結構あったと考えています。この期間には、国家公務員になろうと考えており、3年次に国家公務員総合職法律区分試験に合格はしたものの、面接で落ちました。なお、一浪で中央大学法学部入学で、ストレートで卒業しました。3年次に卒業単位は取り終えました。

官僚になれないのなら、研究者になろうと考え、青山学院大学大学院国際政治経済学研究科を受験し、合格しました。GPAは高くはなかったですが、なぜか合格しました。
さて、大学院での研究や指導が補助金等の業務を行う中で一番役に立ったと言えます。
審査員を説得するための文章表現やデータの使い方に加え、短期間で文章を読み、情報処理を行うという点も大きくプラスに働きました。
卒業後は、博士課程に行こうとは思ったのですが、学会に参加し、明らかに私よりも優秀な東大博士の人が非常勤でかなりきつそうにしているため、私は見切りをつけました。なお、青学修士は取っています。

そういえば、大学の時に、法律をやっていたし、完全に公務員試験と重なっている行政書士試験を受けて行政書士になろうと試験の半年ほど前に考え、それから勉強し、一発合格でした。

さて、行政書士に合格した私は、有望な業務は何かを模索する中で、補助金業務が非定型で高難度業務であり、儲かるという本を読み、戦略論を大学院でやっていたこともあって、経営戦略もスムーズに学ぶことができました。

さて、5年間の大まかな年収の推移を示して個別具体的な内容を示していきたいと思います。

1年目ー200万円
2年目ー500万円
3年目ー1000万円
4年目ー1500万円
5年目ー3000万円

さて、今回は体験記的なものに留まらず、再現性があることをウリにしています。

1年目の業績(2018年)

これまでの自己紹介でわかるように、私はいきなり開業しました。何も社会人経験はありません。逆に理不尽な経験をする必要はなくよかったかもしれませんし、早く成長できたのでよかったと思います。

2018年の4月に行政書士登録をしました。開業時に最初に仕事をくれたのは叔父でした。官公署に提出する書類の作成を任されました。
次に、まだ熊本地震の余波もあり、熊本地震グループ補助金の最終回の受付の仕事をしました。これが、補助金としては最初の仕事です。

それから、グループ補助金を通すのも大変でしたが、通したことで信頼され、補助金の仕事を次々とやっていくことになります。
書籍を中心に学び、セミナーの類にはでていません。

また、異業種交流会にも何度も参加しました。数十人いたら、1人ビジネスにあう人を見つけてくればいいという考えのもと、異業種交流会に行きましたが、だいたい1人は見つけることができました。

しかし、秋頃、異業種交流会の主催者が紹介した仕事で大きな問題がおこったのです。

それは、報酬未払いです。
また、反社会的勢力と結託して、私や行政書士会を脅すのです。

行政書士会会長は警察から接近禁止を受けている反社の人物を同席させ、恫喝に屈してしまいました。

この未払いがなければ、初年度から400万円はいくはずでしたが、残念ながら、200万円という結果になりました。

1年目の反省

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