幼児性=サディズム


これ当たり前なんだけれど、一応。


他者へのレスポンスによる是非判断、つまりリビドー。
性行為と暴力や甘えも同様であり、肉体側の欲求でしょうね。

これ全部、基準となる相手があって発生するワケですよ。
自分の外側への欲求。

他人に肯定されれば「正しい」。

否定されれば「間違い」と。


中央値がこういうモノを求め続けた結果、
主体を失った日本人は洗脳され、こうなってしまったと。

マウンティングなんてのは主体の無さの証明な訳で、
基準となるターゲットへの依存であり、サディズム、幼児性。
誰かの作ったルールを求める他人軸でしかない。

マルキ・ド・サドなんてのは中身は当然幼児だったわけです。

自己評価の基準を求め、強い自分、偉い自分を求めた結果と。
承認欲、自己肯定、これが性欲、カニバリズムに向かったと。
優性思想、トップダウンの力学、垂直思考はコレであり、
他人の成果を求める前例主義、パクりの原理。

変質者の多くは知能が低く、それ故、下位基準の弱者を求める。
自分が上だと思いたいが故、子供をれいぷしたくなる。
その為に必死に下位を求める、或いは生み出す、捏造すると。

東京のフレネミーは全員サディストでしたね。


てめぇのやんちゃターゲットによそ者を選び、神の気分を味わったと。
冤罪野郎のクソコテ・ぴろぴとゆー〇んちゅらしき映像作家は、
一人称を「ボク」にして邪悪なボーダー依存を20年以上続け、
たまたま出会った無関係なよそ者に未だマウンティングを繰り返してる。

あのエラソーな狂人に譲歩したばかりにサディズム、幼児性のアンカー、
彼の邪悪でどす黒いマインドペニスの呪いを紐づけられてしまったと。

公私混同を拒絶した恨みを燃え滾らせ、未だに因縁を吹っ掛けてくる。
自分の膨大な失点はスルーして、コチラの微細な失点を必死に求める。
言うことなす事噛みついてきて、否定し、マウントを繰り返す。
これもう、完全に

「契られてる」


アレって肉体は醜いオッサンだけど未だに心は子供なワケですよ。
責任感、罪悪感を持たない子供。
基準となるターゲットに依存し、搾取したい、男乳が吸いたいと。
ゆえに何故か知らん間に、コチラの趣味に自分を被せてきている。
知らないハズのコチラの趣味を何故か知らん間にハッキングでパクってる。

彼は元々蟻にも映画にも興味なんてなく、ただ褒めてほしいだけ。
単なる承認欲であり、含蓄もなく、見栄のアイコンだけをちりばめる。
その為だけにず~~~っとパフォーマンス、尖った演技をしている。

これ単なる中二病なワケだけど、
賞賛されたいが為、未だにそれをアイディンティティにしていると。

こういったヤバい人間はネットさえなければ切り離せるんでしょうが、
どうにもこうにも見つかってしまった。
彼は立場の弱いコチラをマウンティングターゲットにして、
偽りのアイディンティティを俺以外の外部に向けアピールしていると。

自分こそが「オリジナル」だと。


モチベはターゲットの万能上位として、リエママの様な他人軸なワケです。
ネガキャンしつつ粘着し、コピーキャットとして同化しようとしてる。

こうなったら一生恨まれるでしょうね。


マルキ・ド・サドの貴族が村娘に加害する生理現象が発生してる。
リビドーが発生してる。

吸血鬼に見初められた状態がコレ。


こういうのをあのジャイアンから食らうのが嫌で逃げてるわけで、
彼の様な支配的エターナル変質者からは逆に、

「獲物」に裏切られた気分と。


彼の作品から異常性が見抜けないなら、心理学もないでしょうね。
自分を子供に見立てた加害行為、弱者依存症。

恨む筋合いはあっても、恨まれる筋合いはない。


彼の行動から法則なんて一発で見分けられそうなもんだが、
何故か全国規模で「俺の方が悪人」になってたと。
わっかりやすいのにねぇ・・

全員バカだから無理か?


だからいつも冤罪が繰り返される。
ああいったエラソーなバカの方が上に来るし、優遇されると。

日本は既に動物園ですから。


心理学なんて知識として学ぶようなもんじゃなく、
自分発祥のニュアンスの裏付けを用語確認するだけでしょうに。
いっくら勉強したって得られないのが心理学だと思いますが。

そもそもが精神感度と経験の無い人には理解できないし、
薄っぺらな専門用語など、何時だって簡単に見抜かれると。

理解もしない知識なんて宮崎勤のセブンのビデオでしかない。
知識という虚無、これが「無垢の巨人」の正体。

そういう考察。

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